9.女川駅の昼下がり-復興と震災の傷跡の混在
小牛田を定刻に発車した石巻線は小雨の中を女川を目指してただ走りつづける。
石巻で仙石線との接続を取るために32分の停車時間がある。
その時間を利用して改札の外に出てみるが、以前来た時と変わらなかった。
ただ、駅の正面のガラスには東日本大震災での浸水位置を現す掲示物があって、
この場所でも膝の位置くらいまで浸水したことがよく分かる。
再び石巻線に乗り込んで女川を目指す。
石巻線を進んで浦宿に到着するまでは雨が降り続いていたが、
女川に到着する頃には小降りになっていた。
女川に初めて駅が出来たのは金華山軌道によって石巻湊と女川に1926年で、
鉄道省(現・JR東日本)石巻線が1939年10月7日に開業、
それを受けて金華山鉄道は廃止に追い込まれた。
2011年3月11日の東日本大震災により女川駅は甚大な被害を受け、
石巻から女川まではバス代行となり、復旧に伴ってバス代行は短くなり、
女川の隣の浦宿までは2013年3月16日に復旧したが、
海から近い女川の被害は甚大で、駅舎は一部の鉄骨を残して全て押し流され、
停車中の気動車は山の中腹当たりまで押し上げられていた。
街の高台移転などを併せて内陸部に200m移動し、2015年3月21日に漸く全線復旧した。
旧駅舎には併設されていた温泉施設の休憩場として、
キハ40が朱色の首都圏色に塗色され保存されていた。
新しい駅舎は木材を基調とした復興を象徴するデザインで、
駅前にはシーパルピア女川という商業施設も同時に開業した。
この中には飲食店なども入っていて、
その中の一つ、「まぐろ屋 明神丸」に入り、トロぶつ丼1,200円を喰う。
ここには他にもテレビなどで良く取り上げられていた段ボール店もあり、
段ボールで造った原寸大のランボルギーニ、“ダンボルギーニ”の店などもある。
シーパルピア女川は東日本大震災の復興の象徴として存在している。
しかしここから出て海まで行くと、未だに瓦礫が散乱して復興が道半ばだと思い知らされる。
その中には横転した女川交番などもあった。
そこには町役場の設置した掲示物があり、以下のように書かれている。
女川交番
昭和55年に建設された、鉄筋コンクリート2階建の施設。
1階が交番、2階が休憩室として使われていました。
原位置付近で転倒しており、
津波の引き波により転倒したと考えられます。
現在満潮時に30cm程度浸水している状態で、
建物の上部には漂流物による損傷等も見ることができます。
杭が引きぬかれているのも特徴です。
女川駅の駅舎は旧駅舎の時の温泉施設もそのまま復活されており、
2階部分が温泉施設となっていて、1階の売店が受付になっている。
そのため売店に入るだけでも靴を脱いで上がらなければならない。
3階部分には外から上がれるようになっていて、海まで見渡せる。
しかし一方で逆側を見てみると、高台に復興住宅が建っているのが見渡せる。
以前からの低地には墓地しか残っていない。
2時間22分の滞在時間をたっぷりと愉しみ、13:24始発で石巻まで戻る。
ここで予定していた仙石東北ラインではなく、その後の普通列車に乗り換える。
先代までそのまま帰ったのでは帰りの新幹線の時間には早すぎるため、
途中の駅で下車して駅取材も組み入れようと思ったのだ。