17.後三年の役の駅リプライズ
後三年は2007年11月に訪問している。
駅名の由来は「後三年の役」で、
駅舎内やホームから見える看板にも、
その資料や情報が書かれている。
ようこそ秋田県 美郷町
後三年の役とは・・・
奥羽を支配した清原氏の内紛に端を発し発した争いは、
後に源氏の介入により後三年の役へと発展しました。
沼柵(横手市雄物川町)で清原清衡、源義家軍に勝利した清原家衡は、
応援に駆けつけた藤原武衡とともに、
より強固で天然の要塞といわれた金沢柵(横手市金沢)に本拠を移します。
これにより、合戦は横手市と美郷町にまたがる金沢地区を
主戦場に繰り広げられることになりました。
金沢柵の堅い守りに対し、清衡、義家軍は日本史上初といわれる
兵糧攻め(敵の食料補給路を断って食料が届かないようにする攻め方)を展開、
難攻不落とされた金沢柵も一〇八七問十一月十四日(旧暦)、
ついに陥落し後三年合戦は終結しました。
合戦に勝利した清衡は性を実父と同じ藤原に戻し、本拠を平泉に移しました。
幾多の戦いで凄惨な場面を目の当たりにしてきた清衡は悩み苦しみ、
この世に平和な浄土を築こうと大伽藍(僧侶が集まり修行する神聖な場所)の
建設に取りかかります。
当時の伽藍の中で唯一現存する中尊寺金色堂こそ、
清衡が提唱する平和希求の象徴なのです。
清衡が礎を築いた奥州藤原氏の栄華は以後一〇〇年続き、
その思想は今も語り継がれています。
前回訪問した時から駅舎はリニューアルされていた。
参考として拙作「Station-駅から始まる物語」から、
奥羽本線後三年駅の記事を一部抜粋して転載しておく。
転載にあたって一部改行を施している。
997.JR奥羽本線後三年駅
JR後三年駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する奥羽本線の駅である。
奥羽本線の大曲から横手までは、奥羽北線として青森から延伸していき、
最後の区間として1905年6月15日に開通した。
同年9月14日には奥羽南線が福島から延伸して、
最後の延伸区間である湯沢から横手が開通、奥羽本線は全通した。
後三年は1921年12月12日に開業した。
画像は旧駅舎で、2012年12月22日には2013年の、
秋田デスティネーションキャンペーンに合わせて新駅舎が完成している。
画像 dd09202
撮影時刻 2007/11/16 13:31:02
REI RINGONO Station
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後三年の滞在時間は31分で、14:25の秋田行きで大曲に出る。
ここからいよいよ田沢湖線の乗り潰しに挑戦する。