林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅15.

2023-06-30 | 鉄道・旅行

 15.東海道本線各駅下車の旅-塚本と再訪の東淀川

立花を16:24に発車した電車で二つ先の塚本に行く。
中間の尼崎は2021年7月21日水曜日に、
おおさか東線の新大阪から放出まで乗り潰しで、
新大阪に戻るのに折り返さず、
放出からこJR東西線直通のJR片町線で尼崎まで出て、
夕食を取ってから東海道本線で戻った。
この時に駅取材も完了している。

JR塚本駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り通過線、2番線は上り主本線、
3番線は下り主本線、4番線は下り通過線となっている。
1番線と4番線は事故防止のため柵が設置されている。
塚本に駅が設置されたのは1934年7月20日だが、
1918年5月15日には歌島仮信号所が設置され、
同年8月1日に北方貨物線の開業に伴い歌島聯絡所に改称された。
1922年4月1日に歌島信号場に改称された。
この信号場は1922年4月1日に一度廃止されたが、
1934年5月25日に再設置され、同年7月20日に駅に昇格した。

塚本の隣は大阪で16:41でもうひとつ隣の東淀川に行く。

 ※東淀川駅西口

 ※東淀川駅東口

JR東淀川駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
1番線は下り通過線が使用、ホームは閉鎖、
2番線は下りが使用、3番線は上りが使用、
4番線は上り通過線が使用、ホームは閉鎖されている。
官設鉄道の大阪から向日町までの区間が敷設されたのは、
1876年7月26日であるが、
東淀川に駅が設置されたのは1940年4月1日である。
戦前の新幹線計画、一般的に云われていた“弾丸列車計画”で、
新大阪駅が設置される予定だったのがここであった。
しかし戦後改めて東海道新幹線の敷設が検討された際、
山陽新幹線延伸を考慮して東海道本線と北方貨物線の分岐点に予定を変更、
東淀川から約700m先に新大阪が設置され、東海道新幹線が乗り入れた。
そのため1964年10月1日の東海道新幹線開業に合わせ、
東淀川駅を廃止も検討されたが、
地元住民の反対もあり存続が決まった。

 ※東淀川駅旧駅舎
 ※撮影時刻 2016/05/15 15:10:02

画像の旧駅舎は西口で、旧駅舎時代は地下通路で結ばれていた。
北宮原踏切が“開かずの踏切”として問題視され、
2018年11月11日に橋上駅舎に切り替え、
それに併せて東西自由通路が設置された。

駅取材終了後、近くで見つけた「ラーメン虎と龍」に入店し、
夕食として白虎とんこつラーメン720円を喰った。
このあと大阪まで戻り、予約しているホテルヴィアイン梅田に行く。

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅14.

2023-06-29 | 鉄道・旅行

 14.東海道本線各駅下車の旅-甲子園口と立花

西宮で駅取材して15:48で隣の甲子園口に行く。
西宮を出る時には細かな雨がまた降り始めていた。

JR甲子園口駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上り方面折り返し専用、3番線は上りが使用する。
4番線は上り通過列車が使用するため、柵が設置されている。
2番線は大阪方面から来て当駅で折り返す列車要で、
ホーム端には車止めが設置されている。
盛土上にホームが設置されていて、南北それぞれに駅舎が設置されている。
甲子園口に駅が設置されたのは1934年7月20日である。
駅所在地は兵庫県西宮市甲子園口二丁目で、駅名も地域名から来ている。
ただ、阪神甲子園球場までは2.3km離れている。

甲子園口を16:06に出る電車で隣の立花に行く。

JR立花口駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は通過列車が使用する。
3番線、4番線は上りが使用、4番線は通過列車が使用する。
1番線と4番線は事故防止のため柵が設置されている。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。
立花に駅が出来たのは1934年7月20日で、
橋上駅舎化されたのは1970年10月である。

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅13.

2023-06-28 | 鉄道・旅行

 13.東海道本線各駅下車の旅-甲南山手と芦屋と西宮

摂津本山まで戻って青春18きっぷを使って入場し、
14:54発で隣の甲南山手に行く。

JR甲南山手駅は島式1面2線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り、2番線は下りが使用、
1番線、2番線の外側にホームのない通過線がある。
甲南山手に駅が出来たのは1996年10月1日である。

駅取材してからホームに戻り、15:11で隣の芦屋に行く。

JR芦屋駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り待避線、2番線は下り主本線、
3番線は上り主本線、4番線は上り待避線となっている。
そのため緩急接続が可能になっていて、
更に1番線と4番線の外側には通過線が設置されていて、
特急や貨物列車などが通過する際に使用する。
画像は北口で駅ビルが設置されており、橋上駅舎化されている。
芦屋に駅が設置されたのは1913年8月1日であった。

15:29発で芦屋から2つ先の西宮に行く。
間のさくら夙川は2016年5月13日に、
阪急で駅取材していた時に、阪急夙川から徒歩移動で取材しに来ていた。
乗り込んだ電車は15:33に西宮に到着する。

JR西宮駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は特急線として通過列車が使用、
一部の快速線のみが停車し、原則として2番線は緩行線を使用する。
3番線、4番線は上りが使用、原則として3番線緩行線を使用、
4番線特急線は通過列車と一部の快速のみが使用する。
西宮に駅が出来たのは1874年5月11日で、
神戸から大阪の区間が開通したのと同時に開業した。

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅12.

2023-06-27 | 鉄道・旅行

 12.東海道本線各駅下車の旅-摂津本山と阪急岡本駅

JR摂津本山駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
1番線、2番線は上り、3番線、4番線は下りが使用する。
ただ、外側の1番線、4番線は通過列車が使用、
そのため転落防止の柵が設置されている。
南北に駅舎があり、橋上駅舎化されている。
摂津本山に駅が出来たのは1935年12月25日である。
現在の所在地は兵庫県神戸市東灘区岡本一丁目だが、
武庫郡元山村であり、予讃線の元山駅と区別するため、
律令制の国名だった摂津を冠して摂津本山の駅名になった。

北口を取材する中で、全景撮影のために、
駅前の道を撮影ポイントを探しながら歩いていたら、
案内板に阪急岡本駅が徒歩圏内にあることを知る。
そこで予定はなかったが、急遽阪急岡本駅を取材することにした。

阪急電鉄岡本駅は相対式2面2線の地上ホームを有する神戸本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用する。
画像は南口で、1番線に隣接して設置されており、
ホームより低い位置に南改札が設置されている。
2番線側にも北改札口が設置されているが、出入口に駅舎はない。
1番線と2番線の間は地下道で結ばれている。
以前は構内踏切で結ばれていた。
阪急は1906年10月19日に箕面有馬電気軌道として設立され、
1910年には宝塚本線、箕面線が完成した。
1918年2月4日には社名を阪神急行電鉄に変更し、
1920年には神戸本線、伊丹線が開業した。
戦時中の1943年10月1日に京阪電気鉄道と合併し、
京阪神急行電鉄となり、戦後京阪電鉄は独立するが、
新京阪鉄道が敷設した路線を譲り受け京都本線とした。
岡本駅は阪神急行電鉄神戸線(現・神戸本線)開通と同時に開業した。
所在地の兵庫県神戸市東灘区岡本五丁目で、地名から駅名が来ている。

阪急岡本駅を取材してJR摂津本山駅に戻る途中、
足下の石柱の案内には「国鉄元山」と書かれていた。
たぶん、国鉄分割民営化された、
1987年4月1日以前に設置されたのだろう。

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅11.

2023-06-26 | 鉄道・旅行

 11.東海道本線各駅下車の旅-住吉と再訪の六甲道

六甲道ではまた雨が降り出したが、
そのまま取材を続行することとして隣の住吉まで行く。

JR住吉駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
1番線、2番線は上りが使用、1番線は特急線として通過列車が使用、
一部の快速線のみが停車し、原則として2番線は緩行線を使用する。
3番線、4番線は下りが使用、原則として3番線緩行線を使用、
4番線特急線は通過列車と一部の快速のみが使用する。
画像は北口で、橋上駅舎化されている。

また南口には神戸新交通六甲アイランド線の改札があり、
構内で乗り換えが可能になっている。
官設鉄道(現・東海道本線)の住吉駅が出来たのは1874年6月1日で、
六甲アイランド線の住吉駅が出来たのは1990年2月21日である。
神戸新交通は神戸市が中心となって設立された第三セクター鉄道で、
新交通システムのポートアイランド線と六甲アイランド線を運営している。

住吉での駅取材後に再び六甲道に戻る。
乗り込む時にちょっと印象的な駅名標を見掛けたからだ。
これを取材するためだけに六甲道に戻った。

この謎のデザインの駅名標はホームの端に1箇所だけ設置されていて、
あとは他の駅と同じようなJR西日本在来線の標準的なデザインである。
これを取材して、次は2つ先の摂津本山に行く。

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ホームページ更新

2023-06-25 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1568回更新しました。

1858.JR御殿場線松田駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「駅名標コレクション」を第386回更新しました。

「ま」に常磐線快速松戸駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/

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ホームページ更新

2023-06-24 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第262回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に海浜幕張「舎鈴・プレナ幕張」を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1567回更新しました。

1857.JR内房線那古船形駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅10.

2023-06-23 | 鉄道・旅行

 10.東海道本線各駅下車の旅-摩耶と六甲道

灘では本降りの雨になってしまったが、
取り敢えずそのまま隣の摩耶に行ってみることにした。
天候は不安定で、摩耶に到着した時には再び雨は止みかけていた。

JR摩耶駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り、2番線は下りが使用する。
緩行線のみにホームがあり、急行線にはホームはない。
画像は南口で、橋上駅舎化されており、こちら側出入口のみである。
摩耶駅は1904年2月1日に灘信号所が開設されたのに始まる。
1907年8月20日には神戸港への貨物線が開業した。
1910年10月1日に貨物駅として灘駅となり、
1917年12月1日に旅客営業の灘駅が開業したことにより、
貨物駅の灘駅は東灘駅に改称された。
しかし貨物取り扱いが廃止されたことにより、
1972年10月1日に東灘操車場に格下げされ、
国鉄分割民営化に合わせ、1987年4月1日に再び信号場となった。
2010年頃、この地に旅客駅の設置が計画され、
2016年3月26日に摩耶駅が開業した。
計画当時は“まや”と平仮名表記にする予定だったが、
最終的には“摩耶”となった。

13:16に摩耶を出て、隣の六甲道に行く。

JR六甲道駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は特急線として通過列車が使用、
一部の快速線のみが停車し、原則として2番線は緩行線を使用する。
3番線、4番線は上りが使用、原則として3番線緩行線を使用、
4番線特急線は通過列車と一部の快速のみが使用する。
高架下に駅機能を有している。
六甲道に駅が出来たのは、吹田から須磨までの区間が電化された、
1934年7月20日に同時に開業した。
高架化されたのは下り電車線が1976年6月29日、
上り電車線は同年10月26日である。

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅9.

2023-06-22 | 鉄道・旅行

 9.神戸からの東海道本線各駅下車の旅-元町と灘

加古川で念願だったかつめしを堪能し、再び入場する。
そして11:37発の新快速に乗り込む。
この列車は姫路始発で、加古川を出ると、
西明石、明石、神戸の順に停車していく。
神戸到着は12:03で、ここで下車して普通列車に乗り換える。
東海道本線の終点は神戸で、ここに港があったことが、
明治時代には大きな意味があったのだろう。
ここからいよいよ東海道本線全駅取材の旅の始まりである。

東海道本線は全長713.0kmの主要幹線で、総駅数は186駅、
支線を除いた本線のみでも173駅が存在する。
東京から熱海までのJR東日本には37駅、
熱海から米原までのJR東海には84駅、
米原から神戸までのJR西日本には52駅が存在する。

JR西日本管区の52駅の中で、
取材済なのは新大阪、大阪、三ノ宮、京都、長岡京、米原、
神戸、山科、膳所、石山、さくら夙川、東淀川、吹田の13駅のみである。
また東淀川は駅が橋上化されリニューアルしているので再取材したい。
そこで神戸から未取材駅をひとつずつ降り潰していく。

まずは神戸のひとつ隣の元町である。

元町駅はJR東海道本線のほか、阪神電鉄本線の駅もある。

JR元町駅は1934年7月20日開業で、
島式2面4線の高架ホーム構造になっている。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は特急線として通過列車が使用、
一部の快速線のみが停車し、原則として2番線は緩行線を使用する。
3番線、4番線は上りが使用、原則として3番線緩行線を使用、
4番線特急線は通過列車と一部の快速のみが使用する。

阪神電鉄元町駅は島式1面2線の地下ホームを有している。
地上にはJR東海道本線元町駅があり、駅舎を共用している。
西口では東海道本線高架ホームの下に入口が設置してある。
また道を挟んだ向かい側のJRAウインズ神戸A館にも出入口がある。
阪神電気鉄道1899年6月12日に摂津電気鉄道として設立され、
同年7月7日に阪神電気鉄道に社名変更した。
本線は1905年4月12日に出入橋(現・廃止)から神戸の区間が開業した。
1906年12月21日には出入橋から梅田(現・大阪梅田)まで延伸した。
元町に駅が出来たのは1936年4月1日で、
国有鉄道東海道線元町駅開業の約2年後である。

元町で駅取材を完了し、13:01で隣の灘駅に行く。

JR灘駅は島式2面4線の高架ホーム構造になっている。
1番線、2番線は上りが使用、3番線4番線は下りが使用する。
島式ホーム外側の1番線と4番線は通過列車のみが使用し、
停車する車両は全て2番線、3番線を使用する。
そのため、1番線と4番線には事故防止のためロープが張られている。
橋上駅舎化されたのは2009年9月23日である。
初代の灘駅は現在の摩耶駅付近に設置されていた。
現在地に灘として開業したのは1917年12月1日で、
それに合わせて初代灘駅は東灘に改称、その後廃止された。

元町でも雨粒は落ちていたが、灘では本降りになってしまった。
ホームに戻り、隣の摩耶へ行く列車を待っていると、
貨物列車が通過していった。
咄嗟のことだったので、上手く撮影出来なかったが、
EF210形300番台だった。
瀬野八補機のEF67形の後継機として製造されたものである。
山陽本線瀬野から八本松の急勾配区間で、後押しの補助機関車として、
貨物列車の通過を補助するほか、
他のEF210形と同様に本務機としても使用できる汎用型である。
EF210-325は2020年度登場の4次車で、
吹田機関区所属機である。

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅8.

2023-06-21 | 鉄道・旅行

 8.予定変更の新快速-加古川の昼食

08:45に京都に到着してホームに降り、
東海道本線下りの乗り場に向かう。
そこには08:52京都発の新快速が停車していた。
ここからは新幹線の中で考えた通り、
新快速で姫路方面に向かい、空の様子を見ながら行動を決める。
京都で乗り込んだ時にはまだ雨は降っていなかった。
乗り込んだ新快速は野洲を始発して08:50に京都に到着、
2分の停車で京都を出発し、高槻までは各駅に停車する。
山崎を出た当たりで空は灰色と云うより黒に近くなっていた。
高槻発は09:15で、ここから快速運転となり、
茨木、新大阪、大阪と停車していく。
車窓からはずっと灰色の雲が見えていたが、
高槻を出たあたりでとうとう雨粒が窓に当たるようになってきた。

大阪到着は09:35である。
本来ならば各駅下車して今日はここで終了の筈だったが、
まだ朝のうちに大阪まで来てしまった。
大阪駅は各ホームの屋根を撤去し、
南北の駅ビルに跨がる形で大屋根が設置された。
ただ、ホーム屋根の支柱は標識や防犯カメラなどが設置されているため、
そのまま残されていて、ちょっと違和感を感じる。
これも新旧の融合ということなのだろうか。

またこの乗り場ではホームドアではなく、ホーム柵が設置されている。
この柵は昇降式になっており、電車のドアが閉まると柵が上から降りてくる。
関東ではあまり目にしない独特の方式である。
その後雨はいったん止んだが、
六甲道に到着する頃には再び雨粒が落ちてきた。
そのまま神戸から山陽本線に乗り入れ、
舞子当たりでは車窓から明石海峡大橋が見える。
魚住を過ぎた当たりから雨は止んで微かに日差しも見えるようになってきた。
そこで姫路まで行かず、加古川で下車することにした。
加古川は2020年7月23日に訪問済みだが、
その時予定していた加古川名物かつめしを喰えなかったので、
今回では明日の夕食にリベンジすることにしていた。
しかし折角ここまで来たのだし、
加古川到着は10:51で、予定している店舗の開店は11:00p.m.なのでちょうどいい。
ここで下車して少し駅取材して開店を待つことにした。

今回も下車する時に青春18きっぷの4回(人)なのに、
幕張駅で間違って5回(人)に押印された旨を説明し、改札を出る。
2年前の記憶を頼りに「かつめしいろはーす」に向かい、
ポークヒレかつめし1,100円を喰った。
再び駅まで戻り、青春18きっぷで入場する。
いろいろと考えた挙げ句、やはり原点である東海道本線全駅取材を敢行すべく、
先ずはここから神戸に向かい、未乗車駅を下車しながら大阪を目指すことにする。
それでどうしてもまた雨が強くなってきたら、
岡山方面に避難して雨の止んでいるところから駅取材すればいい。

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅7.

2023-06-20 | 鉄道・旅行

 7.山陰本線の寄り道-梅小路京都西

東海道新幹線「のぞみ1号」は08:08に京都に到着、
在来線乗り換え口から改札を出て、
山陰本線乗り場へと向かう。
京都駅の烏丸口駅舎に隣接する単式ホームは0番線に付番、
その西側が30番線乗り場となっていて、
30番線に並列するように櫛形ホーム31番線から34番線が、
山陰本線方面の列車が使用する。
因みに京都駅0番線ホームは30番線と合わせ、
全長558mで日本一長いホームとして知られている。
33番線ホームから08:15園部行きに乗り込む。
京都の隣が梅小路京都西である。

JR梅小路京都西駅は相対式2面2線の高架ホームを有する、
山陰本線の駅であり、京都から園部までの嵯峨野線の駅でもある。
1番線は上り京都方面、2番線は下り園部方面が使用する。
開業は2019年3月16日で、付近にある京都水族館や、
梅小路蒸気機関車館を拡張して2016年4月29日に開業した、
京都鉄道博物館への最寄り駅として京都市とJR西日本、
また国の補助金なども活用して建設された。

山陰本線は中国地方の日本海側、山陰地方を結ぶ、
京都から幡生までの676.0kmの幹線で全区間がJR西日本の所有である。
京都から園部までは京都鉄道に敷設され、国有化後に綾部まで延伸された。
綾部から福知山までは現在の福知山線の一部として阪鶴鉄道によって敷設、
阪鶴鉄道が国有化後に阪鶴線となった。
福知山から香住までは播但線の一部として敷設された。
一方、宇田郷から阿川までは美祢線の一部として開業、
阿川から幡生までは小串線として開業、
間の香住から宇田郷までは山陰本線として順次開業され、
1933年2月24日に須佐から宇田郷までが延伸開業して全通、
全区間を山陰本線に編入した。

改札口は自動改札になっており、
しかも駅員がいなくて青春18きっぷでは通れない。
仕方がないので自動改札を強行突破する。
警報が鳴っていたがそれは無視した。
ここでインターホンを押して駅員が来るのを待ってはいられない。
駅前の広場には旧京都市電の車両が静態保存されていた。

これは以前にも取材したことのある2000形2001号車だった。
駅の回りを散策して十分に取材する。
駅からゲートを挟んで隣には京都鉄道博物館が見える。

下車したのが08:17なので10:00p.m.の開館までには1時間半はあるが、
それでも入口には既に並んでいる客が多く見えた。
やはりこの施設は人気なのだろう。
十分に取材して京都に戻る。
梅小路京都西の改札口はやはり無人だった。
今回は強行突破はせず、インターホンを押してみる。
すると直ぐに声がして、青春18きっぷで入場したい旨の話しをすると、
インターホンの下に切符を奥スペースがあり、
それを係員が遠隔で確認して、自動改札のスイッチを一瞬だけ切ってくれる。
そのすきに入場するという仕組みのようだ。
こんなに便利なら出る時も強行突破するのではなかった。
ホームで08:42発の京都行きを待つ。
反対側の2番線には287系が通過していった。

これは京都を08:38に発車した「まいづる1号」である。
今年5月の関西京都大阪乗り潰しの旅で京都から西舞鶴まで乗った。
京都から福知山までは「はしだて1号」と連結して運転される。
梅小路京都西で08:42発に乗り込んで京都まで戻る。
京都に到着したのは08:45だった。
この段階ではまだ雨は降っていないものの、空は厚い雲に覆われていた。

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅6.

2023-06-19 | 鉄道・旅行

 6.「のぞみ1号」の旅と車内での計画変更

駅弁を購入して停車していた「のぞみ1号」に乗り込む。
今回は乗車時間が2時間8分のため普通席を予約した。

指定席は6号車2番E席である。

今回の「のぞみ1号」もN700Sが充当されていた。
N700SはN700系の後継車両で、
その前に登場したN700Aは使用機器の変更など、
いわばマイナーチェンジだったが、
今回のN700Sは車両のデザインから変更された、
いわばフルモデルチェンジである。
ただ、国鉄時代から使っていた新幹線を3桁の数字で表す方式は、
既に800系が九州新幹線で使われており、
700系の後継車両をN700系にしたが、
次がないのでN700Sと結局“700”に固執した名前になった。

N700Sの“S”は“Supreme”の略で、“最高”を意味する。
JR東海のホームページによると、運行開始は2020年7月からで、
「安全性、安定性、快適性、環境性能などすべての面で最高の性能を備えた車両」とのこと。
また「高速鉄道で世界初となるバッテリ自走システムを搭載」しており、
停電時に駅間で停車し、乗客が何時間も通電してない車内に取り残される事態を避けるため、
搭載バッテリで自走して近くの駅まで行くことが出来る。

新横浜に着く頃には駅弁を食べ終え、車内でまったりする。
横浜の街を出ると車窓には緑が広がってくる。

車内でスマホから京都、大阪、神戸、姫路の天気をチェックする。
京都は午前中の降水確率が90%で、絶望的であった。
大阪、神戸は午前中は“雨マーク”だったが、
午後からは“曇りマーク”になっていた。
姫路も午前中に“雨マーク”が残っていたが、
今回の予定外である岡山を見てみると“雨マーク”はなかった。
本来の予定では今日は京都から大阪、明日は大阪から姫路と、
各駅の取材をすることになっていたが、
予定を変更せざるを得ない。
先ずは京都から姫路まで行き、
天気を見ながら取材出来そうだったからここからスタート、
無理そうであったら予定を大幅に変更して、
今日は岡山から姫路までの取材に変更してもいい。

いろいろと考えを巡らせていると、
「のぞみ1号」は定刻通り、08:08に京都駅に到着した。
京都で下車して見ると空は曇っていたが、
まだ雨の降る気配はなかった。
そこでここから直ぐに姫路に行くのではなく、
先ずは予定通り、山陰本線に乗り換え、
2019年3月に新規開業した梅小路京都西の取材を決行しよう。

 ※参考/JR東海 https://jr-central.co.jp/
 ※参考/日本気象協会 tenki.jp https://tenki.jp/

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ホームページ更新

2023-06-18 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1566回更新しました。

1856.JR外房線上総一ノ宮駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「旅の徒然に」を第645回更新しました。

「全国普通鉄道 乗り潰しの旅」に富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅」を公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/

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ホームページ更新

2023-06-17 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1565回更新しました。

1855.JR福塩線府中駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「旅の徒然に」を第644回更新しました。

「鉄道取材旅行記」に「富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅」を公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/

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青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅5.

2023-06-16 | 鉄道・旅行

 5.前日夜の天気予報と幕張駅職員の大失態-旅の始まり

8月21日日曜日の前日、仕事から帰って早く寝なければならないが、
最終的に天気予報を確認しようと思って、
日本気象協会のホームページ、tenki.jpにアクセスし、
最終的な天気予報を確認した。
8月20日土曜日午前11時段階の天気予報を、
日本気象協会 tenki.jpで調べてみると、
京都の21日日曜日は05時から21時までずっと“小雨”マークが並んでいる。
この日は実質的に取材は不可能ではないかとの結論に至った。
大阪は05時から小雨、10時からは弱雨で、16時以降は“晴れ”マークだった。
22日月曜日は大阪も姫路も“晴れ”若しくは“曇り”マークだった。
そこで夜に急遽、悪天候用の装備に変更することにした。

通常の鉄道撮影では一眼レフカメラはCANON EOS D90を使っているのだが、
雨の予報では一つ前に使っていたCANON EOS 7Dを使うことにしている。
最新機を濡らしたくないと考えているからである。
EOS 7Dの方が少し重いが、レンズが24mm-200mmで、
EOS D90の24mm-135mmよりは望遠側に強いという利点もある。

8月21日日曜日、当日朝は雲が蔓延っていたものの、
まだ雨は降っていなかった。
4:00a.m.前に起床し、04:40幕張発の初電に乗るべく駅に向かった。
幕張駅の窓口で青春18きっぷ4回(人)に検印してもらう。

総武緩行線で秋葉原まで行き、山手線・外回りで東京まで出る。
東京駅での乗り換え時間は25分で、
丸の内南口の有人改札を青春18きっぷで出る。

この時、駅員に検印が5回(人)に押されてしまっていることを指摘される。
検印自体も非常に薄くて見づらかったが、
確かに4回(人)の部分は空白で、
5回(人)のところに、「ありがとうございます JR東日本
8.-21 幕張駅」と押印してある。
東京駅の改札職員からは改札を出入りする時に、
4回(人)なのに5回(人)に押印されてしまった旨を伝えれば、
有効なのだと云われる。
逆に云えば改札を出入りする度にいちいち説明しなければならない。
とほほ・・・。
今回はの旅では駅取材を中心に考えているので、
そのたびにいちいち説明しなければならないのは非常に面倒だ。
いったん外に出て、ここからは東京から京都までの、
乗車券・新幹線指定席特急券で再入場する。

東京駅06:00発車の東海道新幹線「のぞみ1号」で京都を目指す。
車両は既に入線していて、今回もN700Sだった。

ホームに上がって売店で駅弁を購入する。
今回はジェイアール東海パッセンジャーズの「特製幕之内御膳」にした。
キャッチコピーには「関東、東海、関西の味を一度にお楽しみいただけます。」とある。
東京から新大阪を結ぶ東海道新幹線にはぴったりの駅弁である。
予約した席は6号車2番E席で、京都までの2時間8分の旅を愉しむ。

 ※参考/日本気象協会 tenki.jp https://tenki.jp/

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