林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

特別寄稿「夏の日差しの中で・・・」

2012-08-27 | 日記
僕が初めて彼女の顔を見たのは、
高校に入学してのクラス分けで教室に入った時だったと思う。
たまたま隣の席になったのが彼女だった。
彼女は少し緊張したように僕を見た。
僕は彼女の端正で美しい顔に見とれてしまった。
そして彼女の持っていた学生鞄に目をやった。
そこにはインレタで“YOUKO SHICHIYOU”と貼られていて、
剥がれないように上からテープで留められていた。
そのインレタはヘルベチカ・メジウムといって僕の好きな書体だった。
僕は彼女の美しい顔立ちよりも、
同じ書体のインスタント・レタリングを使っていることで彼女を気に入った。
先生が来る前に少し彼女と話した。
彼女の名前は「七曜陽子」と云った。
なかなか名前を名乗ろうとはしなかったが、
僕は自分から名前を云って彼女の名前を聞こうとした。
僕の名前を聞いて彼女はますます目を伏せて、蚊の泣くような声で名乗った。
何故、彼女がそこまで内気なのか、その時はまだ分からなかった。
春の日差しはまだ柔らかく、彼女を優しく包んでいた。

高校生活を続けていくうちに、
徐々にいろいろな事情というものが分かっていった。
彼女は同じ中学の出身だった。
それなのに初めて顔を見るというのは変な話だった。
その後、友達からいろいろと話を聞いて、彼女が“ヤマ”出身者だと知った。
“ヤマ”とは僕の住んでいる町の外れにある小高い丘のことで、
本来の「山」という概念からは少しかけ離れた小さなものであった。
それでも漁師町で住人の大半が漁業か農業に従事している小さな村では、
それは確かに「山」であった。
そして住人から“ヤマ”と呼ばれている場所に住んでいる人たちは、
昔から町の住人とは区別されていた。
正確に云えば差別されていたといった方がいいかも知れない。
“ヤマ”に住む人は昔から人々がやりたがらない仕事に従事していた人たちだった。
戦後も暫くは土葬が続いたこの町では、
土葬に従事する人々が墓地のある“ヤマ”に住んでいて、
普段は忌み嫌われていて町で買い物さえ許されなかった。
戦後は戸籍も作られ、子供たちも地元の学校に入学できたが、
それでも特別な教室に押し込まれ、
町に住む人たちと同じ授業にでることは許されなかった。
だから同じ中学出身でありながら、彼女の顔を見たことはなかったのだ。
さすがに高校になると県立で地元の人間が大半を占めてはいるが、
同じ市内の中学からの進学者が入り乱れ、
市内の特別な地域の“ヤマ”に住むものでも町に住む人たちと同じ教室になった。
寧ろ、“ヤマ”に住む子供が中学より先に進学することはほとんどなかったので、
特別な教室というものも事実上作られなかった。
彼女は入学した時から新品の制服を着ていた。
それは普通の高校生にとっては当たり前のことだが、
“ヤマ”に住む人たちにとって、
ほとんど現金の収入というものがない人たちにとって、
子供に新品の制服を着せて高校に行かせるというのは、
たとえ授業料の安い県立高校とはいえ、並大抵の苦労ではなかった筈だ。
それでも子供を普通の人間として生きさせたいという親の強い願いが、
相当の無理をしてでも彼女を高校に行かせたのであろう。
“ヤマ”に住む人たちは昔から町に出ることが許されなかったため、
同じ一族で結婚を繰り返していた。
だから所謂“血が濃く”なっていて、
そのために脳の発育に問題のある子供も多かった。
でも彼女からはそういったことは全く感じられなかった。
人から“ヤマ”出身者と云われなければ、
普通の町に住む人と区別がつかなかった。
僕は町に住むものとして幼い頃から“ヤマ”については両親から聞かされていたし、
決して“ヤマ”に近づいては行けないと強く諭されていた。
ましてや“ヤマ”の人たちとは絶対に口を聞いてはいけないと云われていた。
だが、何故そこまで彼等を忌み嫌うのか全く理解できなかった。
僕は時間が経つに連れてどんどん彼女に惹かれていった。

1学期も終わりに近づいた頃、僕は勇気を出して彼女に告白した。
彼女は困ったような顔をして「それはいけない」と云った。
彼女は自分が“ヤマ”出身者であることを自覚していたし、
たぶん両親から決して町の人間と深く付き合ってはいけないといわれていたのだろう。
そうすることが“ヤマ”に住むものとしての掟なのだと・・・。
僕は困惑の表情を見せる彼女にそれ以上強く交際を求めることが出来なかった。
これ以上強引に誘ってしまうことは、
彼女を傷つけることになると思ったからだ。
しかし本当にそうだったのだろうか。
本当にそれだけだったのだろうか・・・。
町に住む人間として、“ヤマ”に住む人への差別意識を拭えなかったのでは、
或いは町に住むほかの人たちから後ろ指をさされることに、
無意識に脅えてしまっていたのかも知れない。
僕には勇気がなかった。
僕は臆病だった。
1学期の終業式の日、その日は朝から暑かった。
教室にいても汗が額からしたたり落ちるような暑さだった。
ホームルームが終わってみんな帰り支度を始めた時、
珍しく彼女の方から僕に話しかけてきた。
そして最後に小さな声で「ありがとう」と云った。
その言葉の意味がその時はよく分からなかった。
夏の日差しが彼女を照らし、
逆光の中で彼女の顔が良く認識できなかったが、
それでもその表情は僕の記憶の中に強く鮮明に刻まれていた。
何故ならば、それが彼女との最後だったからである。
2学期から彼女は登校しなくなっていた。
いつの間にか退学届けが提出されていた。
そして夏の間に“ヤマ”に住む人たちが居なくなった。
引っ越していったわけではない。
ただ、忽然と居なくなったのだ。
それは僕には良く理解できなかった。
何故、人が、しかもそこに住む幾つかの家族が突然居なくなったのか・・・。
それが大人達の事情だと云われても、納得できなかった。
ただ、七曜陽子の最後の表情が、僕の記憶の中に深く刻まれ、
それは決して忘れることはなかった。
また夏が来て、強い日差しを感じる頃になると、
高校の教室で1学期の終わりに彼女が見せた逆光の中の微かな表情が、
僕の頭の中で強い光を放って蘇ってくる。

今は再開発で嘗て“ヤマ”と呼ばれていた場所には道路が出来て、
京葉道路武石ICと幕張メッセを結ぶ県道となってしまい、
かつてそこが“ヤマ”と呼ばれていたことも人々の記憶から薄れつつあるけれど、
僕はこの道を通るたびに、
人々が、大人達が語ろうとしない触れては行けない真実を、
どうしても記憶から押し出すことは出来ないでいる。
彼女の逆光の中の表情とともに・・・。

※この作品は林檎乃麗が見た夢を元に書き下ろしたものであり、
実在の人物、学校、地域及びその慣習などとは関係ありません。
悪しからず、ご了承下さい。

2004/08/03 22:09

初出:ASAHIネット電子フォーラム、serori・networkの中の会議室「短文文筆家集合所」
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ホームページ更新

2012-08-26 | 更新情報
「Station-駅から始まる物語」を第410回更新しました。

760.弘南鉄道大鰐駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/

「駅名表示板コレクション」を第42回更新しました。

駅名表示板コレクションに福井鉄道福武線ハーモニーホール電停、福井鉄道福武線三十八社電停、
福井鉄道福武線浅水電停を公開いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/

「気動車」を第35回更新しました。

国鉄一般形にキハ400-503の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/

「電車」を第119回更新しました。

「直流」の近郊形に「115系信越本線」の画像を添付しました。
地下鉄の都営地下鉄(東京都交通局)に12-000形大江戸線」の画像を添付しました。
中小私鉄の銚子電気鉄道に「デハ700形銚子電気鉄道線」の画像を添付しました。

http://train.bokunenjin.com/

「旅の徒然に」を第294回更新しました。

「REI RINGONO Home Page」から「会津の風・伊豆の風」を移設しました。

http://ringono.web.fc2.com/
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特別寄稿「二千円札」

2012-08-25 | 日記
2003年1月9日、初めて二千円札を手にした。
以前から仕事の関係で見たことはあるのだが、
自分の所有物として入手したのはこれが初めてである。
銀行に行けば両替はしてくれるのだろうけれど、
市場の貨幣流通の中で手にする時を楽しみにして、
敢えて両替という手段を用いなかった。
確か沖縄サミットを記念して出されたのだから、
3年経って漸く手にしたことになる。
故・小渕恵三首相の念願だった二千円札。
しかし残念ながら殆ど市場では受け入れられず、
来年の紙幣デザイン変更でも、
二千円札は忘れられた存在になっている。
新年早々手にした二千円札は縁起物として、
お守り代わりに財布の中に入れておこうと思う。
生活に困ったら使っちゃうかも知れないけれど・・・。

2003/01/13 01:47

※写真:入手した二千円札 撮影時刻 2003/01/10 00:02:38

初出:ASAHIネット電子フォーラム、serori・networkの中の会議室「短文文筆家集合所」
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ホームページ更新

2012-08-19 | 更新情報
「Station-駅から始まる物語」を第409回更新しました。

759.JR奥羽本線大鰐温泉駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/

「気動車」を第34回更新しました。

JR一般形にキハ143-104の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/

「旅の徒然に」を第293回更新しました。

「REI RINGONO Home Page」から「長月白神磐越三陸の旅」を移設しました。

http://ringono.web.fc2.com/
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特別寄稿「初夢2008」

2012-08-17 | 日記
僕はそのホテルにチェックインした。
突然の訪問だったのでよい部屋が用意出来ないということで、
なんだか雑然とした部屋に通された。
それでも休むことは出来る。
僕は部屋を出て居酒屋に向かった。
居酒屋には仲間がいる筈だ。
しかし仲間のテーブルは4人がけでもう席が無く、
仕方なくカウンター席に通された。
カウンター席はテーブルも狭く、そんなにおつまみを置くスペースもない。
「とりあえずビール!」と注文してからメニューを見る。
いろいろ喰いたいものもあるが、カウンターのスペースも狭いので頼めても2つ、3つが限度だな。
そう思ってメニューを見ていると、ビールのほかにメロンソーダが4つも置かれた。
メロンソーダなんて注文したかな?と思ったが、
とりあえず、ポテトサラダだけ頼んだ。
ほかにも注文したかったので、とりあえずメロンソーダ4つを飲み干さなければならない。
しかも知らないうちにまたオレンジジュースまで置かれていた。
これじゃいつまでたってもビールを飲めないな・・・。
仕方なく、ほとんどビールに口を付けることなくその居酒屋を出てホテルの部屋に戻った。
部屋に戻ると中の様子がどうも変だった。
壁や掛けてあった絵が無くなっている。
そこで警察を呼ぶと、3人の制服警官とともに杉本彩が入ってきた。
杉本彩は部屋の中を見回して、壁のフックに目をとめた。
絵を掛けてあったフックだ。
そのフックには何か文字が書かれていたが、日本語ではないので読めなかった。
「これがポイントね」杉本彩はそういって部下に指示してその写真を撮り、部屋を出て行った。
部屋のテレビでは雨の中に犬が置き去りにされている姿が映っていた。
可哀想に・・・。
そう思って何とか連絡出来ないかなと思ったが、この部屋には電話というものがなかった。
電話も盗まれたのかなと思ったが、ここで何が盗まれたのかが分かった。
全てが分かったのだ。
ブロチゾラム(睡眠薬の一種)が盗まれていたのだ。
すぐに連絡をしようと思ったが、この部屋には電話がなかったのだ。

※これは林檎乃麗が見た初夢を文章化したもので、
実在のホテル、居酒屋、警察、芸能人、向精神薬とは一切関係ありません。

2008/01/02 11:54

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特別寄稿「初夢2007」

2012-08-16 | 日記
荒廃していた。
全ては崩壊し、見渡す限りひび割れた大地が残されているだけだった。
僕はその中を車で走っていた。
みんなが待っているその場所へひたすら車を走らせていた。
廃墟と化した街を抜け、荒廃した大地を進むうち、
どちらがその場所か分からなくなっていた。
それでも僕はひたすら車を走らせていた。
「間に合うのか・・・」僕は自問してみた。
しかしその答えは分からない。
暗く曇った空がますます不安をあおっていた。
思いっきりスピードを出していたため、その壁に気が付くのが遅れた。
ブレーキを掛けては間に合わない。
僕はハンドルを切って車体を横にしながら制動した。
それでもスピードが殺しきれずに壁に少し当たってしまった。
「大丈夫、まだ走れる・・・」自分に云い聞かせながらまた僕は車のアクセルを踏んだ。
その廃墟は巨大な壁に囲まれていた。
その壁の向こうにやはり廃墟と化した工場が見える。
巨大なタンクや煙突が不気味にこちらを見下ろしていた。
煙突やタンクの形からこちらであろうと判断した方に更に車を走らせていた。
そのころその場所では人びとが部屋に集まっていた。
全ての椅子に多くの人びとが座っていたが、一つだけ赤いソファが空いていた。
その席に座るべき先生をみんなが待っていた。
人びとは不安がってざわざわとざわついていた。
飯島愛が云った「きっと来てくれるから大丈夫よ・・・」
だが、先生が来てくれる気配は全くなかった。
僕もその場所に行って先生を待たなければならない。
暗雲垂れ込める廃墟の街をただひたすらその場所に向かって僕は走り続けていた。

※これは林檎乃麗が見た初夢を文章化したもので、
実在の都市、芸能人とは一切関係ありません。

2007/01/02 12:23

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特別寄稿「終戦記念日」

2012-08-15 | 日記
8月15日は終戦記念日である。
第2次世界大戦で最後まで抵抗を続けてきた日本だが、
2度における原子爆弾の攻撃により、
遂にポツダム宣言を受諾、無条件降伏した。
毎年この日に靖国神社に戦没者慰霊に行く政治家が、
公式参拝かどうかが話題になるが、
そのことを含めてあの戦争が日本にとってどういう意味を持っているのかを、
もっと考える日にしてもいいのではないかと思う。
そういう意味で終戦記念日を国民の祝日にしてはどうだろうか。
学校が夏休みの時に国民の祝日にしても意味がないという意見があるかも知れないが、
明治維新後の日本がどういう歴史を歩み、
どうして第2次世界大戦で中国大陸や東南アジアに挙兵していったのか、
そのことをもっと子供達を含めて真剣に考えるべきではないかと思う。
そのためにこの日を国民の祝日にして、
夏休みの宿題として自分の意見をきちんとまとめさせるのも良い。
事実上の敗戦記念日なのだから、
そっとしておきたいという意識もあるのかも知れないが、
日本が同じ過ちを犯さないためにも、
もっと真剣にあの戦争のことを検証するべきである。

2003/08/15 21:59

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特別寄稿「初夢2006」

2012-08-14 | 日記
僕はその列車でずっと旅をしていた。
列車は箱庭の中を何時までも走り続けていた。
座席の脇に緑の公衆電話が付いている。
不思議に思っていると一人の女性が近づいてきていった。
「これは200系初期車なのよ」
東北新幹線200系初期車ならそういう構造になっていたかもしれない。
僕らを乗せた列車は砂漠の中をどんどん走り続けていた。
そして終着駅に着いた。
僕は列車を降りて改札口に向かって歩いた。
反対側のホームには見たこともない列車が入線している。
写真を撮れないのがすごく悔しかったが、そのまま改札に向かった。
改札は思ったよりも混雑していてなかなか抜け出せない。
僕は改札口を諦めて地下へ入っていった。
地下はお洒落な喫茶店のようになっていった。
あたりは明るく壁には綺麗なガラス製品が飾られている。
腹が減っていたのでここで食事をとるのも悪くないなと思ったが、
店員に聞くとここは化粧品の販売店で喫茶店ではないという。
残念に思いながらここを出て再び階段を上った。
改札はだいぶすいていたが、まだ人だかりはしていた。
僕が改札を出るとひとりの男が赤い林檎を持って立っていた。
男は云った。「この林檎を持ち主の女性に返さなければなりません」
「持ち主の女性・・・」僕は考えた。
列車の中でそれが200系初期車と教えてくれた女性ではないのか。
僕らは彼女を追ってバスに乗った。
バスは箱庭の中の砂漠を進んでいった。
そして何もない砂漠の真ん中で僕らは降りた。
そしてその男が僕に赤い林檎を手渡した。
「これは勇者の林檎です。これを受け取りなさい」
「勇者の林檎・・・」
僕はその林檎を受け取って手の中で見た。
その林檎はまるで桃のようにピンクに柔らかい光沢を放っていた。
「その林檎で世界を救いなさい
「世界を・・・」この箱庭の世界をこの林檎が救えるのだろうか・・・。
「その林檎には林檎の霊が閉じこめられている」
「りんごのれい・・・」
「そう、それでこの世界をおまえが救うのだ!」
そういってその男は再びバスに乗って去っていった。
ピンクの林檎はさらに光を放っていった。
しかし僕は考えた。
この林檎でどうやって世界を救えばいいのだろう。
僕は砂漠の真ん中にいた。
すでにバス停さえ砂に埋もれていて、再びバスの来る気配はない。
駅はどちらの方向なのだろう。
僕は駅がどこにあるのか分からず、砂漠の真ん中で途方に暮れていた。
ピンクの林檎とともに・・・。

※これは林檎乃麗が見た初夢を文章化したもので、
実在の車両、化粧品販売店、赤い林檎、砂漠とは一切関係ありません。

2006/01/02 12:48

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特別寄稿「初夢2005」

2012-08-13 | 日記
街は崩壊していた。
ビルは崩れ、橋を落ち、瓦礫が空から降ってきた。
俺は慌てて街から脱出しようとしていた。
そこに白いランボルギーニ・カウンタックが走ってきた。
窓がスライドしてTOKIOのリーダーが顔を出した。
「乗ってく?」
俺はお言葉に甘えてその車に乗せて貰うことにした。
後部座席に井上和香が乗っていた。
リーダーは後ろを親指で指して「マスコミには内緒ね!」と云った。
確かにマスコミに知れたら大騒ぎになるだろうなと思った。
俺は大阪まで送ってもらい、そこである男と待ち合わせをした。
俺が瓦礫に襲われていて遅くなったため、
その男はビルの中のパチンコ屋に行ってしまったらしい。
俺もそのビルの中に入っていった。
しかしそのビルは複雑に入り組んでいて、なかなか内部構造を理解できない。
俺は廊下を歩き、エレベーターに乗って進んだが、
とうとう迷子になってしまった。
歩きすぎたために体力を消耗してしまい、俺はある病院に入った。
その病院の待合室で診察の時間を待っていた。
しかしいつまで経っても診察の時間は来なかった。
混んでいた診察室もどんどん空いてきてとうとう2人くらいになってしまった。
ずっと待っているのにおかしいなと思っていたら、
受付の脇に俺のカルテが捨ててあった。
その黄色いカルテを見るとsterbenと書かれていた。
もう俺は死んでいたのか・・・。
だから呼ばれなかったのか・・・。
俺は納得した。
俺はその病院から出てビルの屋上に出た。
ビルの屋上は公園になっていて、子供たちはバレーなどで遊んでいた。
しかし大人達は公園の見える喫茶室の中で縮こまっていた。
外の寒い風を避けているのだろう。
少年チャンピオンや少年ジャンプを読んでいる。
ビルの外に出ようと思ったが、ビルの中は複雑に入り組んでいて、
外に出方が分からなかった。
そのビルの中は永遠の回廊になっていた。
そして俺は永遠の回廊という迷路に迷い込んでしまっていた。

※これは林檎乃麗が見た初夢を文章化したもので、
実在の街、芸能人及びその熱愛情報、病院、漫画雑誌とは一切関係ありません。

2005/01/03 16:25

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ホームページ更新

2012-08-12 | 更新情報
「Station-駅から始まる物語」を第408回更新しました。

758.JR奥羽本線大曲駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/

「駅名表示板コレクション」を第41回更新しました。

駅名表示板コレクションに北陸本線越前花堂駅、越美北線越前花堂駅、
福井鉄道福武線ベル前電停を公開いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/

「気動車」を第33回更新しました。

「私鉄」を加筆いたしました。
JR特急形にキハ281-1の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/

「電車」を第118回更新しました。

「直流」の近郊形に「115系中央本線」の画像を添付しました。
地下鉄の都営地下鉄(東京都交通局)に「10-300形都営新宿線」の画像を添付しました。
中小私鉄の流鉄に「3000系流山線『流星』」の画像を添付しました。

http://train.bokunenjin.com/

「旅の徒然に」を第292回更新しました。

「REI RINGONO Home Page」から「葉月関西純情物語」を移設しました。

http://ringono.web.fc2.com/
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ホームページ更新

2012-08-11 | 更新情報
「REI RINGONO Home Page」を第384回更新しました。

「REI RINGONO Essay」に「林檎乃麗日記 弥生2012」を公開いたしました。

http://www.asahi-net.or.jp/~ez9t-sn/

「Station-駅から始まる物語」を第407回更新しました。

757.JR奥羽本線横手駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/

「駅名表示板コレクション」を第40回更新しました。

駅名表示板コレクションに京成本線京成上野駅、京成本線市川真間駅、
福井鉄道福武線花堂電停を公開いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/

「林檎乃麗鉄道写真館」を第315回更新しました。

「鉄軌collection_2004」の2データを新規公開いたしました。

http://reiringono.gooside.com/

「気動車」を第32回更新しました。

JR一般形にキハ201-303の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/

「電車」を第117回更新しました。

「直流」の近郊形に「115系高崎線」の画像を添付しました。
地下鉄の都営地下鉄(東京都交通局)に「10-000形8次車新宿線」の画像を添付しました。
中小私鉄の流鉄に「2000系流山線『青空』」の画像を添付しました。

http://train.bokunenjin.com/

「旅の徒然に」を第291回更新しました。

「REI RINGONO Home Page」から「文月北海道純情物語2006」を移設しました。

http://ringono.web.fc2.com/
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特別寄稿「初夢2004」

2012-08-10 | 日記
その飛行機はゆっくり降下していた。
しかしその女性パイロットは客席の方を向いて座っている。
「前を見ていなくて大丈夫なのですか」と訊くと、
その中年女性は「この方が左右も見回せるから良いのです」と答えた。
その空港は水浸しになっていたが、滑走路は微かに見えていた。
パイロットは「この空港は干潮の時だけ滑走路が現れるのです」と云った。
それで、滑走路が水浸しになっているのかと思った。
飛行機がゆっくりと滑走路に近づくと、滑走路は90度に曲がっていた。
パイロットは首を少し捻っただけで飛行機を上手く90度回転させて着陸させた。
やはり後ろ向きに座っていた方が良いのだなと思った。
飛行機から降りて旅館に向かう途中、
同僚はこっそりと云った。
「今、旅館で着る浴衣はほぼ一社が独占しているのだ」
そうだったのか。
「だが、浴衣の生地はなかなか手に入らないから他の会社では作れない」
そういって彼は更に続けた。
「だから浴衣の直し屋になろうと思っているんだ」
それは良いかも知れない。
それから僕らは「佐藤食堂」という看板のある食堂に入った。
そこは会議室にある様な長テーブルに、ボロい椅子のある大衆食堂だった。
おいらはそこでラーメンをオーダーした。
しかし出てきたのは湯麺だった。
この食堂では湯麺をラーメンといって出しているのである。
店のすぐ近くをバーミリオンとクリームのツートンの電車が走っている。
是非写真を撮りたいと思ったが、
食堂の人がいろいろ話しかけてきてなかなか出る機会がない。
そしていろいろと話をしている内に、
ここが課長の親戚だという事が分かった。
店は大変混んでいて、座れない人も出ているほどだった。
そこでやっと思い出した。
「佐藤食堂」は表からはいると大衆食堂だが、
裏からは「佐藤照代拉麺店」になっているという、
大阪では非常に有名な店だったのだ。
電車は軒下ぎりぎりのところを走り、店は何時までも賑わっていた。

※これは林檎乃麗が見た初夢を文章化したもので、
実在の飛行機、空港、同僚、浴衣メーカー、佐藤食堂、鉄道会社とは一切関係ありません。

2004/01/01 13:55

初出:ASAHIネット電子フォーラム、serori・networkの中の会議室「短文文筆家集合所」
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特別寄稿「初夢2003」

2012-08-09 | 日記
その社員寮は木造の古臭い建物であった。
まるで昔の小学校のようで、黒光りしている廊下が続いている。
部屋にはいると犬がいた。
ゴールデンレッドリバーと思われる大型犬だ。
「何故犬がいるのですか」と管理人に質問してみた。
管理人は「遠藤が結婚したからです」と答えた。
僕が更に「何故遠藤が結婚すると、犬が僕の部屋に来るのですか」と質問してみると、
「以前は遠藤と田中が一緒の部屋だったのですが、
遠藤が結婚して千秋と一緒に住むために、
田中が犬小屋に住むことになったのです」と答えた。
「成る程!」僕は納得して紙袋を開けて犬に餌をやろうとした。
すると紙袋の中にも二匹の犬がいた。
小型犬がこちらも潤んだ目で見ている。
更に鴨居にもマルチーズと思われる太った犬がいた。
僕は電話をしたが、その会社は出なかった。
かつてLSDを開発したあの会社なのだ。
しかし今は誰もやる気がなくなってしまったらしく、
電話をしても誰も出ようとはしない。
その社員寮の同僚は「あそこはもう駄目だ・・・」と云って、
共同浴場に行った。
僕は彼の後に付いていった。
ここの寮は男女共同なので、風呂にも服のまま入る。
僕も服のまま風呂に入りながら、考えていた。
誰かが救急車を呼んだらしく、僕も同乗した。
だが救急車は病院の場所を知らないらしく、同じ道を行ったり来たりした。
その分院は誰も場所の分からないところに建っているらしく、
ここ最近は誰もたどり着けない。
本院でも場所が分からなくなっているらしい。
救急車は更に分院の場所を探していたが、
僕はそれなら近くの本院に行けばいいじゃないかと密かに思っていた。

※これは林檎乃麗が見た初夢を文章化したもので、
実在の社員寮、犬、お笑いコンビ、製薬会社、病院とは一切関係ありません。

2003/01/05 14:20

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パワフル×スマイルちばフリーパスの旅 外伝

2012-08-08 | 鉄道・旅行
国鉄気動車で唯一の通勤形であるキハ35系の中で、
温暖地向け両運転台トイレ無しの形式に付番されたのがキハ30形0番台で、
全部で100両製造されたがJR時代になって続々と後続の一般形気動車が製造され、
その多くが淘汰されていったが、
62号車、98号車、100号車の3両のみが現役車両として久留里線で活躍している。
しかしここにも淘汰の波は直ぐそこまでやってきており、
後続のキハE130形が今秋にも投入されることが決まっていて、
それに合わせて廃車されることが濃厚となっている。
そこで7月28日土曜日にこの3両を撮影するために木更津まで行き、
さらに久留里まで行って取材した。
キハ30形62号車は木更津駅に併設されている幕張車両センター木更津派出に留置されていて、
当日は営業運転されていなかったが望遠で何とか取材することが出来た。
100号車は営業投入されているところを取材出来た。
しかし98号車がどこにあるのかは最後まで分からなかった。
しかし7月31日火曜日に幕張駅側線でその答えを知ることが出来た。
この日は月末で4時間残業し、帰宅が9:00p.m.を過ぎてしまったが、
この時に幕張駅側線にDE10型1202号機に牽引されたキハ30形98号車を目撃した。



たぶん幕張車両センターで検査あるいは修理を受けていたのだろう。
木更津はあくまで派出扱いで、簡単な検査などは可能だが、
大規模な検査や大きな修理は内房線、総武快速線を経由して幕張本郷にある幕張車両センターまで運ばれる。
以前、姉ヶ崎にある会社に通勤していた時にもDE10形に牽引された車両を目撃したことがある。
DE10型1202号機は幕張車両センター木更津派出の所属である。
幕張車両センターから総武快速線に入る列車は幕張駅の側線で一旦停止して、
快速列車などのダイヤの隙間を縫って本線に合流する。
よく特急や209系、211系などが待避線に停まっているのを目撃することがある。
写真を撮っていたら信号が変わったのか、そのまま千葉方面に走って行ってしまった。
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東千葉「(麺)並木商事」

2012-08-07 | 飲食店
以前からその名前に惹かれて一度は訪れてみたいと思っていたラーメン店が、
総武本線東千葉駅から徒歩3分くらいの位置にある「(麺)並木商事」である。
不思議な店名でおよそラーメン店らしくないが、
店の前の看板に“鶏”と書かれているように、鶏白湯ラーメンが一押しらしい。
7月28日にパワフル×スマイルちばフリーきっぷの旅の夕食にこの店に入った。
店内は狭く、カウンターのみの店で、訪問時は学生が多くて席もひとつしか空いていなかった。
一般的には濃厚なつけ麺でも有名だが、今回は並商味玉ラーメン780円をオーダーする。
ラーメンが出来るまで店内を何気なく見回していて、偶然店名の由来を発見した。
壁に掛けられていた「修了証」の店主の名前のところに「並木章二」と書かれていた。
つまり店名は店主の名前を捩ったものだったのだ。
そんなことを思っているうちにラーメンが出来た。



並商ラーメンは醤油味だが、見た目は醤油ラーメンは分からないくらいに濃厚だ。
見た目だけだとまるで味噌ラーメンのようである。
トッピングは焼き目のついたチャーシュー、刻んだ長葱、
それにコリコリとした食感がアクセントになっているキクラゲ、
そしてトロトロになるまで煮込まれた軟骨も美味い。
上には乾燥した海苔が掛けられているが、
スープもかなり魚介系の味覚が強く出ている。
個人的に魚介系は余り好みではないが、それでもここまで濃厚だと気にならない。

場所は千葉市民会館の近くで東千葉が最寄り駅だが、
JR千葉駅から徒歩でも10分くらいでいける距離である。
幟は出ているがコインパーキング利用の100円バックを大きく掲げていて、
店名そのものは近くに行かないと確認することは出来ない。
隣には風俗の無料案内所があり、むしろそれを目安に行く方がいいかもしれない。
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