林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

九州完乗の旅再び23

2023-10-31 | 鉄道・旅行

 23.西九州新幹線武雄温泉駅と新大村駅

特急「リレーかもめ9号」で09:16に武雄温泉に到着し、
同一ホームで乗り換える西九州新幹線N700S80000番台を取材し、
これの発車を見送ってから有人改札で武雄温泉駅を出る。

JR武雄温泉駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の高架ホームを有する長崎本線の駅である。
また2022年9月23日に西九州新幹線が、
武雄温泉から長崎まで部分開業し、全通まで暫定的に起点駅となった。
南口御船山口で新幹線駅舎となっていて、
北口楼門口は在来線駅舎となっている。
新幹線ホームは在来線と並行して単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線構造の高架ホームになっているが、
現時点で博多からの特急「リレーかもめ」が新幹線ホームに乗り入れ、
中間改札なしで同一ホームの乗り換えが可能な構造になっている。
在来線は単式ホームが1番線に付番、島式ホームは2番線と10番線に付番されている。
1番線と2番線は佐世保線上下線が使用する。
基本的には1番線を使用、上下線の行き違いの時に2番線を使用する。
のた、2番線の反対側は10番線に付番され、
新幹線ホームと線路を共有し、現時点では新幹線側のホームを使用し、
特急「リレーかもめ」と西九州新幹線「かもめ」の同一ホーム乗り換えが可能になっている。
新幹線は島式ホームが在来線狭軌線路の10番線と新幹線標準軌の11番線に付番、
このホームで同一ホーム乗り換えが行われている。
西九州新幹線は減じたんで武雄温泉で折り返し運転のため、
原則として11番線に入線し、清掃後に折り返して長崎まで行く。
現時点で12番線は乗降には使用されておらず、予備ホームとなっている。

佐世保線は長崎本線肥前山口から分岐して佐世保までを結ぶ48.8kmの幹線である。
交流電化されている単線で、博多から特急も直通する。
早岐から大村線も分岐していて、ハウステンボス行きの特急も通過する。
佐世保線は九州鉄道が鳥栖と長崎を結ぶ幹線鉄道(現・長崎本線)の一部として建設されたもので、
1895年5月5日に佐賀から武雄(現・武雄温泉)までが延伸、
同時に武雄温泉が武雄の名称で終着駅として開業した。
1897年7月10日に早岐まで延伸、1898年1月20日に支線として佐世保まで延伸した。
長崎本線となる幹線も1897年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸している。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、早岐から佐世保が佐世保線となった。
有明線として開業していた肥前山口(現・江北)から諫早までの区間が、
1934年12月1日に長崎本線に編入、
これと同時に長崎本線として開業していた肥前山口から早岐までと、
既に佐世保線として開業していた支線の早岐から佐世保までを佐世保線とした。
1935年11月9日に北佐世保まで延伸したが、
1936年10月1日に佐世保鉄道が国有化されて松浦線が設立、
この時に佐世保線にも接続したが、
1943年8月30日に佐世保から北佐世保までが松浦線に編入された。

1975年6月19日に駅名を武雄温泉に改称、この時点で橋上駅舎化された。
2008年2月17日に島式ホーム2番線、3番線(現・10番線)が高架化された。
翌年、2009年12月5日に単式ホームの1番線も高架化された。

南口御船山口を取材してから北口楼門口に出て駅舎取材する。
こちら側は在来線駅舎だが、駅前の道には開業を祝う横断幕も飾られていた。
武雄温泉では接続する「かもめ9号」を見送り、
次の「かもめ13号」で新大村に向かう。
乗り換え時間は44分だった。

武雄温泉駅の券売機で新幹線自由席特急券1,260円を購入、
ぐるっと九州きっぷと重ねて自動改札に投入して通過する。

折り返し10:00武雄温泉始発の西九州新幹線「かもめ13号」で新大村まで行く。
乗車時間は16分で新大村駅に到着する。

JR新大村駅は単式1面1線の地上ホームを有する大村線の駅である。
また西九州新幹線の駅でもあり、相対式2面2線の高架ホームを有している。
在来線は単線の大村線の上下線が同一ホームを使用する。
新幹線は11番線が上り武雄温泉方面、12番線が下り長崎方面となっている。

もともと大村線には新大村は設置されておらず、
西九州新幹線の開業と同時に請願駅として開業した。
そのため新幹線の駅舎とは別に、高架下に在来線の駅が独立して存在する。

在来線は無人駅であり、新幹線駅とは独立している。
在来線が地上を走っているため、
さくら口(東口)とさざなみ口(西口)駅舎とは地下通路で結ばれている。
2022年9月23日の西九州新幹線開業と同時に新規開業した。

新大村での滞在時間は38分と長めで、この時間で駅取材をする。
駅前のロータリーでは人感センサーで音声案内が流れる仕組みになっていて、
長濱ねるさんがアナウンスを担当していた。

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九州完乗の旅再び22

2023-10-30 | 鉄道・旅行

 22.特急「リレーかもめ9号」と初めてのN700S80000番台

ホテルルートイン博多駅前をチェックアウトし、
通勤客とは逆走して博多駅に向かう。
ぐるっと九州きっぷと事前に購入していた、
「リレーかもめ9号」のB特急券で改札を潜り、ホームへと降りていく。

この特急券はえきねっとで購入し、
JR幕張駅の指定席券売機で発券したもの。
ホームにはまだ「リレーかもめ9号」は入線していなかったが、
隣のホームには783系が停車しており、
HUIS TEN BOSCHカラーの非貫通型先頭車を取材できた。
そうしているうちに特急「リレーかもめ9号」が入線してきた。

特急「リレーかもめ9号」は787系が充当されていた。
787系は1992年7月に登場した特急型交流電車である。
博多と西鹿児島(現・鹿児島中央)を結ぶ特急「つばめ」として登場した。
ダークグレーを基調としたカラーリングが特徴である。
しかし2004年3月13日に九州新幹線が部分開業したことにより、
博多から新八代を結ぶ「リレーつばめ」に充当、
しかし2011年3月12日に新八代から博多まで延伸、
九州新幹線が全通すると余剰車両が発生してしまった。
それから10年以上が経ち、西九州新幹線が、
2022年9月23日に部分開業すると、
博多と武雄温泉を結ぶ「リレーかもめ」として充当が開始された。

特急「リレーかもめ9号」は08:10に博多駅を出発する。
鹿児島本線を新鳥栖まで行き、ここから長崎本線に入線する。
西九州新幹線の未開業区間は新鳥栖から武雄温泉で、
新鳥栖から九州新幹線に乗り入れ、博多まで行く。
上越新幹線が大宮から東北新幹線に乗り入れるのと同じ理屈である。

車窓から九州新幹線新鳥栖駅が見える。
博多を出てから1時間6分、09:16に武雄温泉に到着する。
武雄温泉の新幹線ホームは単式1面1線と島式1面2線構造になっているが、
島式ホームの10番線は標準軌ではなく、狭軌で敷設され、
在来線の長崎本線から分岐してここに接続する線形になっている。
そのため特急「リレーかもめ」はここに乗り入れ、
中間改札なく新幹線に直接乗り込める構造になっている。
ここで停車中の西九州新幹線「かもめ9号」が停車している。

充当されているのはN700S80000番台で、
東海道・山陽新幹線の最新車両N700Sをベースに
デザインはJR九州デザイン顧問の水戸岡鋭治氏が手がけている。
現時点で博多には乗り入れておらず、武雄温泉と長崎の折り返しのみなので、
6両編成となっていて、グリーン車は連結されていない。
ただ、自由席は東海道・山陽新幹線と同じ座席配列になっているが、
指定席は木を基調とした2席+2席になっており、
800系と同じデザインが採用されている。

自由席は東海道・山陽新幹線の普通席と同じタイプである。

西九州新幹線部分開業の2022年9月23日に合わせ、
前年末にY1編成が完成、年明けから大村車両基地に搬入が開始、
開業までに6両編成✕4本=24両が新造された。
開業後に追加で1本と導入され、計5本30両が投入予定である。
また、現時点で東海道・山陽新幹線と連絡しておらず、
ドクターイエローの入線が難しいため、
Y1編成とY3編成に軌道検測器、Y2編成に架線検測器を搭載している。

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ホームページ更新

2023-10-29 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1601回更新しました。

1891.JR飯田線元善光寺駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「旅の徒然に」を第648回更新しました。

「全国普通鉄道 乗り潰しの旅」に「青春の旅立ち-飯田線の旅リベンジ」を公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/

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ホームページ更新

2023-10-28 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第280回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「東京都」に祐天寺「祐天寺来々軒」を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1600回更新しました。

1890.JR飯田線飯田駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp

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九州完乗の旅再び21.

2023-10-27 | 鉄道・旅行

 21.博多の夜と朝-イルミネーションと小雨の予定変更

吉塚で「或る列車」を緊急取材し、18:47福北ゆたか線に乗り込む。
福北ゆたか線は博多から筑豊本線経由で折尾までを結ぶ路線で、
直方で運転系統が変わる。
吉塚で乗った電車も博多止まりである。
博多で降りた時には既に夜の帳が降りていて、
駅前にはイルミネーションが設置されていた。

ここを出て予定していた「博多一幸舎・総本店」に行こうとしたが、
駅を出たタイミングでちょうど雨粒が落ちてきた。
傘を差してまで行く必要はないと判断し、
ここに行くのは断念して駅舎内で飲食できるところを探した。
しかし既に“博多ラーメンの口”になってしまっていたので、
駅に併設されている商業施設「博多デイトス」の中にある、
「博多めん街道」に行くことにした。
ここは博多駅2階にあり、外に出なくて済む。
博多駅で食事を取る時に何度か訪問していて、
「博多一幸舎」に数回と「元祖博多だるま」にも一度入店したことがある。
本店に行きそびれたこともあり、今日は「博多一幸舎」に入ることにした。
オーダーは味玉ラーメン900円でにした。

喰い終わって外に出てみると既に雨は止んでいた。
駅内売店でつまみなどを買い、ファミマで酒を買って、
ホテルルートイン博多駅前にチェックインする。

ここは博多で宿泊する時には定宿にしているホテルで、
Net DE 早割7日前プランで予約、
禁煙・シングルで価格は7,400円である。

窓からは博多駅博多口のイルミネーションが見える。

購入した福太郎の明太せんべいでハイボールを愉しむ。

翌朝は5:00a.m.に起床して大浴場で朝風呂に入り、
部屋に戻ってクールダウンしながら6:30a.m.を待ち、
1階「花茶屋」に行った。
しかしまだ空いていない。
よく見るとここの朝食バイキングは6:45a.m.からだった。
いったん部屋に戻り、時間になって再び1階に降りる。

ここでスクランブルエッグ、ベーコン、肉団子、オニオンリング、鶏天、
もちポテト、ハム、玉子焼、沢庵、焼き鯖、明太子、海苔、
サラダ(千切りキャベツ、コーン、人参、ポテトサラダ)、お茶、コーヒーを喰う。

部屋に戻って歯を磨いてからチェックアウトする。
部屋の窓からは昨日の喧噪とは打って変わってビジネス街の様相を見せていた。
11月21日月曜日は西九州新幹線全駅取材をしながら長崎に移動する。
まずは08:10博多発の特急「リレーかもめ9号」で起点の武雄温泉を目指す。

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九州完乗の旅再び20.

2023-10-26 | 鉄道・旅行

 20.吉塚駅緊急下車と「或る列車」

門司港で駅前を散策し、門司港レトロを堪能してから、
再び駅に戻り、16:42門司港始発の羽犬塚行きに乗り込む。

充当されていた821系はJR九州の標準タイプの一般型交流電車で、
2018年から製造が開始され、
2019年3月16日のダイヤ改正より営業運転が開始された。
現在、3両編成✕10本=30両が新造され、
運転開始当時は南福岡車両区に配属され、
鹿児島本線博多エリアを中心に投入された。
2022年9月23日に全編成が熊本車両センターに転属、
鹿児島本線の門司港から八代、
更には福北ゆたか線や豊肥本線電化区間にも充当されるようになっている。

これに乗って博多まで戻り、夕食を喰ってからホテルにチェックインする予定だった。
しかし博多の隣の吉塚に停車した時、隣ホームに「或る列車」が停車しているのに気付いた。

疲労から少しうとうとしていたが、さすがに目が覚めた。
慌てて緊急下車し、これを取材することにした。

「或る列車」は国鉄形気動車を改造した団体列車の一つで、
種車はJR四国所属だったキハ47-176とキハ47-1505である。
小倉車両センターで改造し、2015年8月8日から運行が開始された。

この車両は愛称名にもなっている「或る列車」がデザインコンセプトになっている。
「或る列車」とは鹿児島本線を敷設した九州鉄道が、
明治時代にアメリカのJ.G.ブリル社に発注した5両編成の特別客車で、
日本で最も豪華な客車だったと云われている。
九州鉄道が国有化されたのちに受領され、
東京地区で外国要人や団体専用に投入されたが、
定期運用の実績はなく、戦後1950年代中期に廃車された。
正式名称はなく、そのため「或る列車」の愛称で呼ばれていた。
形式図は残っているものの、写真や映像はなく、そのため幻の客車となっていた。

JR九州では豪華列車「ななつ星in九州」に続く観光列車として、
ななつ星よりも手軽に乗れる豪華観光列車を製造することを決定、
九州鉄道が明治期に発注した「或る列車」をモチーフに気動車改造の観光列車を開発した。
「或る列車」はの情報に関しては世界的に著名な鉄道模型愛好家の原信太郎氏が、
形式図を元に製作した模型をベースに、JR九州デザイン顧問の水戸岡鋭治氏が設計した。
九州鉄道の「或る列車」の塗色はは青、若しくは黄緑と伝えられているが、
それも正確なことは分からず、原信太郎氏が作成した模型は塗色されていない。
そのため真鍮の色のままで完成されていて、この模型の色をそのまま採用した。

1号車はキハ47-176を種車として完成されたキロシ47-9776で、
トイレはなく定員は22名である。

2号車はキハ47-176を種車に完成されたキロシ47-9776で、
トイレ有り定員は18名となっている。

型式番号の“キロシ”は気動車の“キ”に、
客車のグレードを一等から三等に“イ、ロ、ハ”を当てた明治期の等級を継承し、
普通車を“ハ”、グリーン車を“ロ”にした国鉄時代の分類に、
食堂車を意味する“シ”を加えた。
“シ”は客車で使われる符号で、気動車に使われるは初めてである。

製造費用は2両で約6億円で、
水戸岡鋭治氏も「ちょっとお金を使いすぎてしまった」と発言している。
誕生当時は大分車両センターの所属だったが、
2017年3月3日付で佐世保車両センターに転属した。

回送車両だったのでゆっくり時間を掛けて取材できた。
既に夜の帳が降りてしまっていたので、
吉塚での駅取材は断念し、そのまま下り列車に乗って博多に向かった。

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九州完乗の旅再び19.

2023-10-25 | 鉄道・旅行

 19.鹿児島本線門司港駅再び

スペースワールド駅で緊急下車、駅取材してホームに戻り、
15:42発の下りで終点の門司港まで行く。

ここは2003年7月5日に訪問、取材済みだが、
2012年9月重要文化財である駅舎の保存修理が行われ、
2019年3月10日にグランドオープンした。
これを取材するために門司港を再訪問したのである。

JR門司港駅は頭端式2面4線の地上ホームを有する鹿児島本線の起点駅である。
関門トンネルが完成するまでは関門海峡を渡る連絡船の駅として賑わっていた。
1番線、2番線、4番線、5番線が鹿児島本線下りとなっており、
3番線はホームに面していない留置線のため欠番となっている。
ホームの東側には留置線が多くの留置線があり、
かつては外浜駅まで鹿児島本線の貨物支線が伸びていた。
外浜までのこの貨物支線は2005年10月1日に0月1日に営業休止、
2008年9月5日に廃止された。
廃止後も線路は残され、この線路を再利用する形で、
2009年4月26日に平成筑豊鉄道が門司港レトロ観光線のトロッコ列車の運行を開始した。

門司に最初に駅を設置したのは1887年に設立された九州鉄道で、
九州で初めての鉄道路線として1889年12月11日に、
博多から筑後川北岸にあった千歳川仮停車場までを敷設した。
1891年4月1日に千歳川仮停車場から門司(現・門司港)まで延伸、
また同年7月1日には熊本まで延伸している。
門司港に駅が出来たのはこの時で、開業時は「門司」の駅名だった。
1901年5月27日に山陽汽船が下関と門司の間に関門連絡船を就航させる。
1907年7月1日には九州鉄道が国有化され、山陽汽船も国鉄関門連絡船となる。
1909年10月12日の線路名称制定により鹿児島本線の所属となる。
1914年(大正3年)には東方から約200m移転し、現在の駅舎が完成する。
1942年7月1日に関門トンネルが完成し、
それに合わせて同年4月1日に駅名が「門司」から「門司港」に変更される。
戦後も国鉄関門連絡船は定期運用されていたが、1964年11月1日には廃止された。
現在の駅舎は2代目で、ネオ・ルネッサンス式木造2階建ての駅舎は九州で最も古い鉄道駅舎であり、
鉄道駅舎としては初めて国の重要文化財に指定され、
駅前には噴水が設置、周辺も門司港レトロ地区として観光スポットとなっている。
門司港駅に近接して2003年8月9日には九州鉄道記念館が開業した。
本館は元の九州鉄道の本社であり、
蒸気機関車2機、電気機関車2機、気動車1両、電車2両、客車1両、貨車1両、
さらには前頭部のみ電気機関車2両、1両が展示されている。

門司港駅周辺は門司港レトロと呼ばれ、古い建物が残っている。
その風景を求めて観光客が多く押し寄せている。

また駅の近くには「バナナの叩き売り発祥の地」の記念碑がある。
そこには以下のように書かれていた。

  バナナの叩き売り発祥由来の記

 昔を偲べば、大陸、欧州、台湾、国内航路の基幹と、
 九州鉄道の発着の基地点として大いに発展した。
 ここ桟橋通りは往昔の絵巻の一こまとして、
 アセチレンの灯のにぶい光の下で、
 黄色くうれたバナナを戸板にならべ、
 だれとはなしに産まれたと伝わる名セリフは大正初期~昭和十三、四年まで不夜城を呈し、
 日本国中の旅行者の、目を楽しませた。
 バナナの叩き売りの風情は門司港のこの桟橋通り附近を発祥の地と由来せし。

  昭和五十三年四月吉日

          門司港発展期成会
          北九州市門司区役所

更に「平成29年(2017年)4月『門司港バナナの叩き売り』は、
関門“ノスタルジック”海峡の構成文化財の一つとして、
JR門司港駅、旧門司三井倶楽部とともに『日本遺産』に認定されました!」とも書かれている。

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九州完乗の旅再び18.

2023-10-24 | 鉄道・旅行

 18.鹿児島本線緊急追加のスペースワールド駅

黒崎の次は門司港に行く予定になっていたが、
ししぶでの下車を飛ばしてしまったために少し時間に余裕が出来ていた。
そこで以前から気になっていたスペースワールドで下車して見ることにした。

JRスペースワールド駅は島式2面4線の高架ホームを有する鹿児島本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、停車車両は1番線を使用、
2番線は原則として特急や貨物列車などの通過列車が使用する。

3番線、4番線は上りが使用、基本的には3番線を使用する。
一部の列車は4番線を使用する。
鹿児島本線は九州鉄道により敷設された路線だが、
1891年4月1日に黒崎から門司までの区間が開業した際、
現在より内陸部を走るルートによって敷設された。
その後、1902年12月27日に黒崎から小倉までを、
海側の短絡線を走る戸畑線が開業した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化されたが、
翌年、内陸部を走る経路は大蔵線と改称、1911年10月1日に廃止された。
戸畑線が正式な鹿児島本線のルートとなったが、
その当時は八幡製鐵所工場敷地を迂回するルートとして敷設されていた。
しかし1970年代になると一部の機能を移転したことにより遊休地が生じ、
そこに1990年4月22日に開業したのが、
宇宙を題材にしたテーマパークの“スペースワールド”である。
開業当時の最寄り駅は枝光だったが、
八幡製鐵所を迂回する形で敷設された鹿児島本線を、
遊休地の西側を直通する線形に変更することが検討され、
短絡ルートが1999年7月2日に高架路線として完成、
同時に“スペースワールド”への最寄り駅としてスペースワールド駅が開業した。

“スペースワールド”は入場者数の減少による経営難を理由に閉園が決定、
2018年1月1日午前2時に閉園した。
しかし閉園後も駅名の変更は行われず、そのまま“スペースワールド”のままである。
同じような事例には外房線行川アイランド駅などがある。
跡地にはイオン系の商業施設「「THE OUTLETS KITAKYUSHU」が開業した。

駅取材してこのあともともと予定していた門司港に行くことにする。

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九州完乗の旅再び17.

2023-10-23 | 鉄道・旅行

 17.鹿児島本線海老津駅と黒崎駅

原田駅でもともと予定していた12:47の区間快速でししぶを目指す。
・・・のつもりだったが、疲労の蓄積があったためが寝過ごしてしまい、
ここでの下車は断念して、次の予定であった海老津へ行く。

JR海老津駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の築堤上の高架ホームを有する鹿児島本線の駅である。
単式ホームの1番線は上り門司港方面が使用、
島式ホームの2番線は上下線の待避線、
3番線は下り久留米方面が使用する。
駅舎がホームより低い位置にあるため、地下道で繋がっている。
鹿児島本線は九州鉄道によって敷設された路線であり、
1889年12月11日に博多から千歳川仮停車場の区間が敷設されたのに始まり、
翌年、1890年9月28日には博多から赤間まで、
同年11月15日には赤間から遠賀川まで延伸された。
しかしこの時点で海老津駅は開業しておらず、
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
海老津に駅が出来たのは1910年2月6日になってからである。
現在の駅所在地は福岡県遠賀郡岡垣町海老津駅前1-1で、
駅の所在地が住所に反映された形になってといるが、
開業当時の所在地名は福岡県遠賀郡岡垣村字海老津で、
駅名は所在地から取られている。

駅に設置された「海老津・駅名の由来」には、

 「海老津」の「海老」は「曲がりくねった大地」、
 「津」は「港」を意味しこの地が曲線系の台地に設けられた
 川港の町であった事を表しています。

 ※「岡垣町」の前身であった「岡垣村」は1907年に
  「岡県(おかがた)村」と「矢矧(やはぎ)村」が合併してできた村だが、
  「矢矧村」は村の名前を残せなかったため、
  当時の遠賀郡長は「矢矧村」側の住民に配慮するために、
  あえて駅名を「岡垣」にせづに「矢矧村」の中心地だった
  「海老津」を駅名にしたに言われています。

と書かれている(原文のまま)。

海老津で駅取材して、14:14発の小倉行きに乗り込み、次に黒崎に行く。
ここは2003年7月5日に訪問、取材済みだが、
駅舎がリニューアルされていたので再取材したかった。

JR黒崎駅は島式2面4線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
また、筑豊電気鉄道の黒崎駅前駅にも接続する。
鹿児島本線のほか、折尾から直通する筑豊本線の福北ゆたか線も接続する。
1番線は鹿児島本線下りと折尾から福北ゆたか線直通列車が使用、
2番線は鹿児島本線からの上り列車が使用する。
3番線は福北ゆたか線からの直通で黒崎折り返し列車が使用、
4番線は福北ゆたか線からの鹿児島本線上り直通列車が使用する。
一部の折り返し列車は4番線も使用することがある。
現在の駅舎は1984年10月16日に完成した6代目で、
この時初めて橋上駅舎化された。
2016年3月5日に駅舎がリニューアルされた。
黒崎は北九州市の工場地帯に位置する駅で、
駅の北側には安川電機や三菱化学等の工場が広がり、
その北側には洞海湾に繋がる。
洞海湾の更に北側には筑豊本線(若松線)で行くことが出来る。
筑豊本線(若松線)には黒崎下りで2つめの折尾駅で乗り換えることが出来る。
黒崎駅は九州鉄道の駅として1891年2月28日に開業し、
九州鉄道の国有化とともに1907年7月1日に国鉄の駅となった。
1914年6月25日には九州電気軌道が黒崎駅前から折尾までを開業する。
九州電気軌道は香春口から北方間を開通させた小倉電気軌道などと、
戦時下の陸上交通事業調整法により1942年9月22日に合併し、西日本鉄道となった。
1951年には筑豊電気鉄道が設立され、
1956年3月21日には貞元(現・熊西)から筑豊中間までが開通し、
3年半後の1959年9月18日には熊西から-筑豊直方(ちくほうのおがた)までが開通した。
1995年4月1日には西鉄から北九州線の業務を委託され、
2000年11月26日には西鉄が黒崎駅前から折尾までの北九州線を廃止し、
熊西から黒崎駅前間を路線のみを所有する第三種鉄道事業者になり、
筑豊電気鉄道が路線に乗り入れる第二種鉄道事業者となった。
筑豊電気鉄道の黒崎駅前駅は駅前ロータリーの西側にあるCOM CITY黒崎の更に西側にある。
筑豊電気鉄道は鉄道法によって開業したが、西鉄九州線と乗り入れたために路面電車が使用されている。

筑豊電鉄黒崎駅前電停で車両取材し、そのあと熊西まで行って更に車両取材しようと思ったが、
付近の工事の影響で電停が利用休止となっていて、近寄ることも出来なかった。

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ホームページ更新

2023-10-22 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1599回更新しました。

1889.JR仙石線中野栄駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「旅の徒然に」を第647回更新しました。

「鉄道取材旅行記」に「青春の旅立ち-飯田線の旅リベンジ」を公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/

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ホームページ更新

2023-10-21 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第279回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「東京都」に二子玉川「しぶそば・二子玉川店を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1598回更新しました。

1888.JR仙石線陸前高砂駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/

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九州完乗の旅再び16.

2023-10-20 | 鉄道・旅行

 16.鹿児島本線原田駅とカレーなる昼食

二日市での昼食は断念し、予定通り鹿児島本線下りで原田に移動した。
原田は「はるだ」と読み、かつては交通の要衝でもあった場所である。

JR原田駅は単式1面1線と島式2面4戦の、
計3面5線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
また、筑豊本線の終点として接続する。
ただ、筑豊本線は若松から原田までの66.1kmの路線だが、
運行上は若松から折尾までは若松線、桂川から原田までは原田線として分離され、
折尾から桂川までは篠栗線吉塚から桂川までの区間と合わせて、
福北ゆたか線として運行されている。
駅舎に隣接した島式ホームは0番線、1番線に付番、
0番線は原田終着の筑豊本線原田線の専用ホームで行き止まりとなっている。
1番線は鹿児島本線下りが使用する。
島式ホーム2番線、3番線の2番線は鹿児島本線下り、3番線は鹿児島本線上りが使用、
駅舎の反対側の単式ホーム4番線も鹿児島本線上りが使用する。
2番線、3番線の島式ホームと4番線の単式ホームと駅舎とは跨線橋で結ばれている。
0番線は非電化の筑豊本線原田線専用なので架線は張られていない。
また1番線と筑豊本線原田線とは線路が繋がっていて、
鹿児島本線と筑豊本線原田線とは直通も可能な線形になっている。
鹿児島本線は九州鉄道によって敷設された路線であり、
1889年12月11日に博多から千歳川仮停車場の区間が敷設された。
原田もこの時に同時に開業している。
翌年、1890年3月1日に千歳川仮停車場から久留米まで延伸され、
千歳川仮停車場は廃止された。
筑豊本線は筑豊興業鉄道によって敷設された路線で、
1891年8月30日に若松から直方までの区間が開業、
その後延伸を繰り返し、1894年8月15日には社名を筑豊鉄道に変更、
筑豊鉄道は1897年10月1日に九州鉄道に合併した。
九州鉄道は鉄道国有法により国有化された。
筑豊本線が全通し、原田まで延伸したのは1929年12月7日である。
4番線はもともとなかったが、上り待避線にホームを設置する形で1996年3月16日に設置された。
現在の駅舎が登場したのは1999年3月13日である。
駅所在地は福岡県筑紫野市原田で、
開業当時の所在地名である福岡県御笠郡筑紫村字原田から駅名の由来である。
原田はかつて長崎街道の宿場町として栄えた。
地名の由来は古くから筑前国御笠郡原田邑と読まれていて、
平野部にある田を表す“原田”から来たとする説や、
この地を治めていたとされる大蔵氏の八代目である大蔵種直が、
大宰府の大監に任命された時に原田次郎(原田種直)を名乗り、
原田氏を立ち上げ、それがそのまま地名になったとする説などがある。

駅取材してここで昼食を喰える場所をネットで探し、
「TENSHO BURGER 原田店」を見つけ、
スマホで地図を見ながら行く。

イートイン可能の店であったが、
実際は店の前のオープンテラスにテーフルひとつしかなく、
さすがに寒さもあってここでは喰えないと思い、
ここに来る前に見かけた駅近くの「R's Cafe」に入店する。

ここでカレーライス・ランチセット1,350円を喰う。
昼食を喰い、原田駅に戻って上り方面に乗り込む。
乗った電車は12:47原田発の区間快速・福間行で、
事前に予定していた列車だった。

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九州完乗の旅再び15.

2023-10-19 | 鉄道・旅行

 15.鹿児島本線竹下駅と二日市駅-昼食予定先の断念

ららぽーと福岡でRX-93ffνガンダム立像を取材し、
徒歩で再び竹下駅を目指した。

途中、踏切で通過する813系を取材する。

JR竹下駅は島式1面2線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
1番線は下りが使用、2番線は上りが使用する。
橋上駅舎化され、東側の博多駅五十川線と西側の竹下2106号線に出入口がある。
駅は九州新幹線および博多南線の高架下に設置されている。
また、駅構内西側は博多運転区(旧・竹下気動車区・現南福岡車両区竹下車両派出)であり、
ホームからも多くの留置車両を見ることが出来る。
鹿児島本線は九州鉄道によって敷設された路線であり、
1889年12月11日に博多から千歳川仮停車場の区間が敷設されたのに始まり、
翌年、1890年3月1日に千歳川仮停車場から久留米まで延伸され、
千歳川仮停車場は廃止された。
しかしこの時点ではまだ竹下に駅は設置されておらず、
竹下に駅が設置されたのは1913年9月21日になってからである。
現在の駅舎が完成したのは1973年3月で、
西口通路が完成したのは2011年11月15日からである。
現在の駅所在地は福岡県福岡市博多区竹下四丁目であるが、
開業当時の地名は福岡県筑紫郡那珂村字竹下だった。
駅名は地名から取られており、“竹下”は古くは“岳下”と書き、
丘陵の麓という意味だったという。

改札口に入場する前に西側の竹下2106号線出入口を取材する。
ここから10:46発の鹿児島本線下りに乗り込む予定だったが、
これには間に合わず、10:59発の二日市で終点まで行く。

JR二日市駅は島式2面4線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
1番線、2番線は下り、3番線、4番線は上りが使用する。
かつては単式1面2線構造だったが、単式ホームの線路を撤去し、
3番線、4番線ホームを新設し、各ホームとは跨線橋で結ばれた。
下り特急は1番線を使用、上り特急は3番線を使用する。
二日市止まりで上りに折り返す下り列車は3番線に入線する。
鹿児島本線は九州鉄道によって敷設された路線であり、
1889年12月11日に博多から千歳川仮停車場の区間が敷設された。
二日市もこの時に同時に開業している。
翌年、1890年3月1日に千歳川仮停車場から久留米まで延伸され、
千歳川仮停車場は廃止された。
第61代から第63代内閣総理大臣を務めた佐藤栄作氏が、
鉄道省門司鉄道局時代に1926年11月から、
翌、1927年4月まで駅長として勤務していた。
現在の駅舎が供用開始されたのは国鉄分割民営化直前の、
1987年3月11日で、
太宰府天満宮をイメージしたデザインになっている。
ただ、ここから題材府天満宮とは約3.6km離れており、
西鉄でのアクセスの方が便利である。
駅所在地は福岡県筑紫野市二日市中央一丁目で、
開業当時の地名は福岡県御笠郡二日市村が駅名由来である。
“二日市”とは鎌倉時代に始まった市場を指し、
売り手と買い手が一所に集まって毎月、二のつく日に行ったたことから、
その市を“二日市”と呼ぶようになったという。

予定では二日市駅前にあるカレー店で昼食を喰うことにしていたが、
二日市に到着する間が遅れて11:24になってしまったため、
既に行列が出来ていて、この先の予定を考えるとこの列に並ぶことが得策とは思えず、
ここでの昼食は断念して先を急ぐことにした。

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九州完乗の旅再び14.

2023-10-18 | 鉄道・旅行

 14.RX-93ffνガンダム立像画像コレクション

ららぽーと福岡の開業に合わせて設置されたRX-93ffνガンダムの立像。
設定上の原寸大ということになっている。
モデルは「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」に出てくる、
アムロ搭乗機のνガンダムなのだが、
このモビルスーツはフィン・ファンネルという機体から分離して、
自立して攻撃するファンネルに板状のものがあり、
映画ではこれがコの字に変形してメガ粒子砲として機能する。
ただ、左右非対称で宇宙空間での運用を前提にしており、
収納時はフィンを開いて左側背中に連結して収納するという性質上、
実物大立像には不向きであった。
そこでアムロの搭乗したRX-93νガンダムを元に、
戦後に搭載艦のラ・ーカイラムに残っていたデータを元に、
RX-93νガンダムのロールアウト時には間に合わなかった、
ロングレンジ・フィン・ファンネルを装備したRX-93ffνガンダムという設定となっている。
確かにこの方が普通の立像より後ろで支えることもできるので、
現実的にも利点がある。
足の甲の部分にはユニコーンをデザインしたAのマークが描かれている。
これはアムロ専用機という意味で、
アムロのイニシャルをデザイン化したということになっている。

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九州完乗の旅再び13.

2023-10-17 | 鉄道・旅行

 13.ららぽーと福岡のRX-93ffνガンダム立像

みどりの窓口で購入したばかりのぐるっと九州きっぷで自動改札を入場し、
在来線の鹿児島本線下り09:36博多発で隣の竹下に行く。

先ずは竹下から徒歩でららぽーと福岡に行く。
公式ホームページでは竹下から徒歩9分となっている。
地図はプリントアウトしていなかったが、
事前にネットの地図で調べて竹下の駅で降りて線路沿いを、
更に下り方面に沿って歩けばたどり着けると確認していた。
そして竹下駅で下車した多くの人が同じ方向に歩いていて、
たぶんららぽーと福岡に向かって歩いているのだろう。
案の定、同じ方向に歩いていた人たちのほとんどがららぽーと福岡に入っていった。

ららぽーと福岡に到着したのは9:50p.m.過ぎで、
開店の10:00p.m.の約10分前に到着する事が出来た。
歩いてきた鹿児島本線沿いの道からの南側の入口には、
ガンダムの姿は見えなかった。
ららぽーと福岡の本館と立体駐車場の間の通路を通り、北側に出る。

こちら側に出ると目的のRX-93ffνガンダム立像があった。
こちら側には多くの人が集まっている。
開店時間になるとガンダム立像の右側のマニピュレータ、つまり右腕が上がり、
ららぽーと福岡の看板を指さすのである。
みんなこれを見たくてここに集まっていた。
このあとRX-93ffνガンダム立像を十分に堪能し、
北口からららぽーと福岡に入場する。
目的は4階にあるガンダムパークの見学である。
ここは所謂ガンプラの販売所で、勿論買うつもりはなかったが、
入口には映画「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」に出てくる、
νガンダムとサザビーの12分の1サイズのモデルが飾られている。

 ※アムロ搭乗機のνガンダム

 ※シャア搭乗機のサザビー

店の中には大きなモニターがあり、
そこにはスペースコロニーの映像が映し出されていた。

機動戦士ガンダムは人類がスペースコロニーに移住した世界を描いたものであり、
スペースコロニーに移住した人類の一部が独立自治を求め、
地球連邦政府に独立戦争を仕掛け、
そのための最新兵器となったのがモビルスーツというロボットである。

このあとここを出て竹下駅に戻るが、
ららぽーと福岡の4階には壁にもRX-93ffνガンダムの画が描かれていた。

 ※参考:ららぽーと福岡ホームページ https://mitsui-shopping-park.com/lalaport/fukuoka/

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