24.一畑電車完乗の旅と縁のなかった「ご縁電車しまねっこ号」
一畑電気鉄道は一畑寺への参詣鉄道として誕生した地方鉄道である。
1912年4月6日に一畑軽便鉄道として設立され、
914年4月29日に出雲今市(現・電鉄出雲市)-雲州平田間が部分開業した。
1925年7月15日に一畑電気鉄道に社名変更した。
1928年4月5日には北松江(現・松江しんじ湖温泉)まで延伸開業した。
1930年2月2日には大社線の大師線の川跡-大社神門(現・出雲大社前)間が開通した。
一方、1925年に設立され1928年に広瀬線を開通させた広瀬鉄道は、
944年10月31日に伯陽電鉄と合併して山陰中央鉄道となるが、
戦後の1948年4月1日に広瀬線は分離されて島根鉄道となった。
出雲大社と厳島神社を結ぶ鉄道として1926年に設立された大社宮島鉄道は、
後の立久恵線となる区間を1932年に部分開業させるが、
その後延伸せずに免許を失効し、社名を出雲鉄道に変更する。
1954年5月1日に出雲鉄道を、12月1日に島根鉄道を吸収合併するが、
この二つの路線は後に廃止されている。
2006年4月1日に一畑電気鉄道が持株会社に移行する。
鉄道事業は新規に設立された一畑電車へ譲渡された。
路線は電鉄出雲市から松江しんじ湖温泉までの北松江線33.9kmと、
北松江線川跡から分岐して出雲大社前までを結ぶ大社線8.3kmがある。
車両は京王電鉄5000系を種車に改造した2100系を中心に運用、
一部南海電鉄21000系「ズームカー」を譲受し改造した3000系も使用されている。
また京王電鉄5000系を種車に改造急行形電車5000系もあり、
こちらは1人掛け転換クロスシート、2人掛け回転クロスシートを採用されている。
駅でそれなりに時間を潰し、窓口で一畑電車フリー乗車券1,500円を購入する。
これで一畑電車が乗り放題になる。
12:41の列車の改札を待ってホームに入場する。
暫く待ったが、それでも予定ではこのあとの13:36のつもりだったので、
出雲空港着が早かったことや、松江しんじ湖温泉駅で昼食を断念したことが好影響している。
車両は3000系が運用されていた。
一部の車両は南海塗色に戻されたという情報もあったが、
これは一畑電車オリジナル塗色だった。
これでまず雲州平田駅まで行く。
ここは一畑電車の本社機能のある駅で、車庫も併設されている。
車庫の中には3000系旧南海塗色が留置されていた。
ここからは2100系一畑電鉄塗色で一畑口まで戻る。
側線には京王時代の塗色に変更された車両も留置されていた。
13:40雲州平田発の列車で11分、一畑口まで行く。
本来は電鉄出雲市発の列車に乗ることになっていたが、
雲州平田始発の電車に乗ることとなり、
電鉄出雲市から来た車両は雲州平田止まりとなって、乗客が乗り換えていた。
一畑口はスイッチバック構造の2面2線の地上駅で、
以前はここから単線で一畑まで線路が敷設されていた。
しかし戦時中の1944年12月10日に不要不急路線として、
レールなどの鉄材が供出され、戦後も復活することなく廃止された。
松江しんじ湖温泉方面と出雲市駅方面の線路が並行し、
さらにクロッシングポイントで番線を入れ換える構造になっているが、
本数の多い平日通勤通学時間帯を除き、基本的には全ての列車が1番線を使用する。
14:03一畑口発の上り列車で出雲大社前まで行く。
5000系で充当されていて、川跡からはアテンダントが乗り込んできた。
そのまま出雲大社前まで行くと、
反対側には「ご縁電車しまねっこ号」ラッピングの2100系が停まっていた。
これは2104編成に対し、「ご縁の国しまね」のキャンペーンラッピングを施したもの。
それを取材しようと思ったが、テレビの収録をやっているようで、
謎の芸人が発車する列車に絡んで、それをカメラと音声が撮影していた。
おかげで十分な取材が出来なかったが、
テレビ収録の邪魔をするわけにはいかない。
まあ、それだけ今、出雲大社が注目されているということでもある。
一畑電車は以前、電鉄出雲市から現在の松江イングリッシュガーデン前までと、
川跡から出雲大社前までは既に乗車済みだった。
松江イングリッシュガーデン前駅はかつて、
“ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅”という駅名で、
当時は日本一長い名前の駅だったが、
肝心のルイス・C.ティファニー庭園美術館が閉館となってしまったため、
その隣の松江イングリッシュガーデンから駅名を取ったのだ。
つまり、松江イングリッシュガーデン前駅から松江しんじ湖温泉駅の一駅間、
僅か4.3kmが未乗車区間だったのである。
しかし今回の旅で全区間を乗ることとなったため、
一畑電車の完乗は完了した。
一畑電気鉄道は一畑寺への参詣鉄道として誕生した地方鉄道である。
1912年4月6日に一畑軽便鉄道として設立され、
914年4月29日に出雲今市(現・電鉄出雲市)-雲州平田間が部分開業した。
1925年7月15日に一畑電気鉄道に社名変更した。
1928年4月5日には北松江(現・松江しんじ湖温泉)まで延伸開業した。
1930年2月2日には大社線の大師線の川跡-大社神門(現・出雲大社前)間が開通した。
一方、1925年に設立され1928年に広瀬線を開通させた広瀬鉄道は、
944年10月31日に伯陽電鉄と合併して山陰中央鉄道となるが、
戦後の1948年4月1日に広瀬線は分離されて島根鉄道となった。
出雲大社と厳島神社を結ぶ鉄道として1926年に設立された大社宮島鉄道は、
後の立久恵線となる区間を1932年に部分開業させるが、
その後延伸せずに免許を失効し、社名を出雲鉄道に変更する。
1954年5月1日に出雲鉄道を、12月1日に島根鉄道を吸収合併するが、
この二つの路線は後に廃止されている。
2006年4月1日に一畑電気鉄道が持株会社に移行する。
鉄道事業は新規に設立された一畑電車へ譲渡された。
路線は電鉄出雲市から松江しんじ湖温泉までの北松江線33.9kmと、
北松江線川跡から分岐して出雲大社前までを結ぶ大社線8.3kmがある。
車両は京王電鉄5000系を種車に改造した2100系を中心に運用、
一部南海電鉄21000系「ズームカー」を譲受し改造した3000系も使用されている。
また京王電鉄5000系を種車に改造急行形電車5000系もあり、
こちらは1人掛け転換クロスシート、2人掛け回転クロスシートを採用されている。
駅でそれなりに時間を潰し、窓口で一畑電車フリー乗車券1,500円を購入する。
これで一畑電車が乗り放題になる。
12:41の列車の改札を待ってホームに入場する。
暫く待ったが、それでも予定ではこのあとの13:36のつもりだったので、
出雲空港着が早かったことや、松江しんじ湖温泉駅で昼食を断念したことが好影響している。
車両は3000系が運用されていた。
一部の車両は南海塗色に戻されたという情報もあったが、
これは一畑電車オリジナル塗色だった。
これでまず雲州平田駅まで行く。
ここは一畑電車の本社機能のある駅で、車庫も併設されている。
車庫の中には3000系旧南海塗色が留置されていた。
ここからは2100系一畑電鉄塗色で一畑口まで戻る。
側線には京王時代の塗色に変更された車両も留置されていた。
13:40雲州平田発の列車で11分、一畑口まで行く。
本来は電鉄出雲市発の列車に乗ることになっていたが、
雲州平田始発の電車に乗ることとなり、
電鉄出雲市から来た車両は雲州平田止まりとなって、乗客が乗り換えていた。
一畑口はスイッチバック構造の2面2線の地上駅で、
以前はここから単線で一畑まで線路が敷設されていた。
しかし戦時中の1944年12月10日に不要不急路線として、
レールなどの鉄材が供出され、戦後も復活することなく廃止された。
松江しんじ湖温泉方面と出雲市駅方面の線路が並行し、
さらにクロッシングポイントで番線を入れ換える構造になっているが、
本数の多い平日通勤通学時間帯を除き、基本的には全ての列車が1番線を使用する。
14:03一畑口発の上り列車で出雲大社前まで行く。
5000系で充当されていて、川跡からはアテンダントが乗り込んできた。
そのまま出雲大社前まで行くと、
反対側には「ご縁電車しまねっこ号」ラッピングの2100系が停まっていた。
これは2104編成に対し、「ご縁の国しまね」のキャンペーンラッピングを施したもの。
それを取材しようと思ったが、テレビの収録をやっているようで、
謎の芸人が発車する列車に絡んで、それをカメラと音声が撮影していた。
おかげで十分な取材が出来なかったが、
テレビ収録の邪魔をするわけにはいかない。
まあ、それだけ今、出雲大社が注目されているということでもある。
一畑電車は以前、電鉄出雲市から現在の松江イングリッシュガーデン前までと、
川跡から出雲大社前までは既に乗車済みだった。
松江イングリッシュガーデン前駅はかつて、
“ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅”という駅名で、
当時は日本一長い名前の駅だったが、
肝心のルイス・C.ティファニー庭園美術館が閉館となってしまったため、
その隣の松江イングリッシュガーデンから駅名を取ったのだ。
つまり、松江イングリッシュガーデン前駅から松江しんじ湖温泉駅の一駅間、
僅か4.3kmが未乗車区間だったのである。
しかし今回の旅で全区間を乗ることとなったため、
一畑電車の完乗は完了した。