11.予定外のアルピコ交通新村の駅取材
姨捨から松本の移動中に調べた結果、
15:26松本-アルピコ交通上高地線・29・下り(14)-15:40新村[39]
16:19新村-アルピコ交通上高地線・34・上り(17)-16:34松本[44]
17:20松本※-特急「あずさ50号」(211/3:30)-20:50千葉[6]
16:05松本-アルピコ交通上高地線・31・下り(10)-16:15下村[7]
16:23下村-アルピコ交通上高地線・34・上り(11)-16:34松本[44]
17:20松本※-特急「あずさ50号」(211/3:30)-20:50千葉[6]
となり、15:26に間に合ったら新村で駅取材、
それに間に合わなかったら次の16:05に乗り、
16:34に松本に到着する列車番号34に乗るために、
手前の下新で7分の乗り換え時間で駅取材を強行する。
結果として昼食兼夕食を喰った「どんぐり」ではそれほど時間がかからなかったため、
15:26松本発の列車に乗り込み、新村まで行くことになった。

アルピコ交通新村駅は島式1面2線の地上ホームを有する上高地線の駅である。
1番線は下り新島々方面、2番線は上り松本方面が使用する。
駅舎とは構内踏切で結ばれている。
アルピコ交通上高地線は松本から上高地を結ぶ路線で、
かつては飛騨高山へ延伸する計画もあった。
安筑軽便鉄道、安曇鉄道が鉄道敷設免許を出願が何れも却下された。
1919年12月5日に筑摩鉄道が松本から龍島までの免許を受け、
島々線の路線名で1921年より工事を着工、
同年10月2日に松本から新村までの区間が開業、
この時、終着駅として開業した。
1922年5月3日に波多(現・波田)まで延伸、
同年9月26日に島々まで延伸して全通する。
全通後の1922年10月31日に社名を筑摩電気鉄道に変更、
1929年には島々から龍島までの未着工区間の免許が失効する。
筑摩電気鉄道は1932年12月2日に松本電気鉄道に社名変更、
路線名を1955年4月1日に「島々線」を「上高地線」に改称された。
1983年9月28日の台風10号の土砂災害で、
新島々から島々までの区間が不通になり、そのまま休止となった。
同区間は1985年1月1日付で正式に廃止された。
2011年4月1日付けでグループ会社を吸収合併、
これに合わせて社名をアルピコ交通に改称した。
新村車両所が併設されており、車両基地としても機能している。
駅取材後にあたりを散策し、車両基地を敷地外から撮影する。

新村は松本電気鉄道時代から使用されていた旧駅舎は、
アルピコ交通に社名変更した翌年に現在の駅舎が供用開始、
旧駅舎は保存も検討されていたが、5年後に解体された。
解体に際して、旧駅舎に掲げられていた社章が保存されていた。

駅構内にはイメージキャラクターの渕東なぎさの等身大パネルが設置されていた。
上高地線渕東と渚の駅から名前が取られたキャラクターで、
3000形にはラッピングトレインも運行されている。
現在使用されている電車は3000形と20100形の2種類がある。

3000形は1986年の昇圧に合わせ、京王電鉄井の頭線の1000系を、
京王重機整備で改造、整備の上、2両編成に短編成化して導入した。

2両編成×4本=8両が導入されたが、3001編成と3007編成は廃車、
3003編成はモハ10形リバイバルカラーを纏っているが、
現在は休車となって、新村車両所の車庫に留置されている。
現在は渕東なぎさのラッピングを施したなぎさTRAINのみ運行されている。

20100形は3000形置き換えのため東武鉄道20000系を、
京王重機整備で整備、改造した上で2両編成×3本=6両を導入、
2022年3月25日から運転が開始された。
18m級、ステンレス鋼車体、制御方式はIGBT素子VVVFインバータ制御。
新村で16:19発の20100形20101編成に乗り込み、松本まで戻る。
松本に到着したのは16:34で、44分の乗り換えで「あずさ50号」に乗り込む。