リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

211. 16回目のドイツ旅行(15)台所の底が抜けちゃった!!

2020年04月02日 | 旅行

▶昨日までとは打って変わって涼しい朝


アウクスブルク聖アンナ教会にあるフッガー礼拝堂


◆2019年7月29日(月)ランツフートまでバスに乗ってみました。

 朝6時頃に起きたら雨が降っていました。ここしばらくは暑い日が続いていたのに、今日は打って変わって涼しく、長袖シャツに上衣が必要です。ヴュルツブルクの宿から持ってきた残りのお米を全部研いで朝ご飯を炊きました。おかずは梅干しと錦松梅、インスタント味噌汁です。残ったご飯はお握りにして冷蔵庫へ。ご飯を炊くのは簡単ですが、お鍋にお米がくっついて、それを洗うと流しの穴が塞がってしまうのが気になりました。三津夫は平気、平気と流してしまったのですが…。

 今日は取りあえずバスに乗って出掛けてみることにしました。時刻表では8:08発の予定ですが、結局8:15にやって来ました。ランツフート中央駅まで一人2ユーロ。8:48発のミュンヘン行きで終点まで。今日はランツベルク・アム・レヒ (Landsberg am Lech) まで行く予定でしたが、ミュンヘンで乗り換えるときに列車が遅れていて、午後に回る予定だったアウクスブルクに着くのが大分遅くなりそうだとわかりました。アウクスブルクは見所がたくさんあって見切れないかも…と言うと、三津夫が「じゃぁ、ランツベルクは今度で良いよ」と言います。急遽方針変更で特急に乗り、アウクスブルクに行くことにしました。


◆アウクスブルクを歩き回り、4つの教会を訪ねました。

 11時頃アウクスブルク中央駅に到着して、まずは聖アンナ教会へ。駅から一番近い目的地でしたが何とクローズ! ショック。でも、どうもこちらは裏門のようなので正門まで回って見たところ、「月曜日は12時から」と書かれていたのでホッとしました。近くのスタバに入って昼食をとることにしましたが、三津夫の頼んだランチボックスは「全く美味しくなかった」とご機嫌斜め。私が頼んだバーゲルはまぁまぁでしたけれども。

 12時になってもう一度聖アンナ教会に戻ると、今度は扉が開いていてホッとしました。ここの Fuggerkapelle を見たかったのです。ハンス・ダウハー (Hans Daucher) が作ったというフッガー家の礼拝堂ですが、青を基調とした美しい礼拝堂でした(写真トップ)。この礼拝堂手前の柵の上に6人の小天使像が載っています。中世作家の作品をまとめたカタログには4人しか写真が載っていなかったので何で6人なのだろうと不思議でしたが、帰国してから読み直したところ、1821年にこの小天使たちは取り払われてあちらこちらに散逸したようです。人手に渡ったものもあり、現在の左から4番目の小天使はオリジナルではないそうです。この天使たち、結構のびのびとくつろいだり、うたた寝していたりと大変愉快なので、礼拝堂の写真と共に4冊目の写真集に載せる予定です。

 次に向かったのが大聖堂。この中にもグレゴール・エーアハルトが彫ったという墓碑銘があるので見に行きました。グレゴール・エーアハルトというのは有名なウルムの彫刻家ミヒェル・エーアハルトの息子で、このあとの旅でも彼の作品を訪ねて歩いているのですが、こんなややこしい関係があるのです。
 ミヒェル・エーアハルトはリーメンシュナイダーの師匠といわれている。 
 ミヒェル・エーアハルトは、息子のグレゴール・エーアハルトとアドルフ・ダウハーをやはり徒弟として教えている。
 アドルフ・ダウハーは、グレゴールの姉か妹に当たるアフラ・エーアハルトと結婚し、二人の間にハンス・ダウハーが生まれた。
 つまり、ハンス・ダウハーはミヒェル・エーアハルトの孫に当たる彫刻家である(加筆しました)。     
 このハンス・ダウハーがフッガーカペレを制作したが、父親と一緒に制作したという記述もある。
 ※名前の書き方について…『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』ではミッヒェル・エアハルトと書いていましたが、いろいろな資料を読むとミヒェル・エーアハルトの方が一般的だとわかりましたので、今回からこちらに変更しました。ご了承ください。

というわけで、グレゴールの彫った墓碑銘が下の写真です。最初なかなか見つからず、受付の方に尋ねたら、ようやく場所がわかりました。


アウクスブルク大聖堂の回廊      グレゴール・エーアハルト作成の墓碑 

         拡大写真がこちら。


Epitaph des Arztes Adolph Occo († 1503) 医師アードルフ・オッコの墓碑銘
結構正面近くから撮ったように見えませんか? でも廊下の鉄扉は閉まったままなんですよ。
ヴェニガーさんの真似をして、柵の間から精一杯腕を伸ばして写してみました。


 この後さらに市庁舎の丸天井の部屋でハンス・ダウハーの父親、アドルフ・ダウハーが作ったというオーク材の箱を探しましたが誰も知りませんでした。ただ、これではないかと思われる箱を写真に写してきましたが。さらに聖マルティン教会でグレゴール・エーアハルトの「早朝ミサ祭壇」を探すも見つからず、4つめのウルリッヒ・アフラ教会に着いたときはくたくたでした。うっかりSDカードの替えを持ってくるのを忘れたため、残り少ない枚数の中で必死に美しい聖母子像を写し、ようやく帰路につきました。


◆疲れた身体に鞭打って…。

 宿に帰ってから荷物を置いて、すぐにREWEに買い物に出ました。ここでのアパート生活はあと5日間。できるだけ自炊したいと思っていましたから野菜、卵、パン、ハムなどを買い、それでも5ユーロちょっとでした。助かります。三津夫がおそばを作ってくれることになっていましたが、いざ作り始めたら流しの水が溜まって流れないのです。朝のご飯粒が詰まってしまったのではないかと責任を感じ、何とか掃除しようと流しの蓋を10円玉でこじ開けてみたらご飯粒は見当たりません。なんだ、とホッとしたのもつかの間、ドーンと下のパイプが落ちてしまったのです。あわてて流しの下の扉を開けたところ、ゴミを入れる透明ボックスの中にパイプと溜まりに溜まっていたゴミが…!! キャー、どうしよう。胸がドキドキしました。三津夫と二人、ペーパータオルなどを使ってゴミを掻き出したら、何年分かと思えるほどのへドロ状のゴミが出てきてしまいました。やれやれ、貧乏くじを引いたものです。とにかくきれいにゴミを全部掻き出し、また流しのパイプを接続して10円玉で留め終えたときにはドッと疲れが……。最後に箱も洗って拭いて、ようやく三津夫が調理を再開。既に夜の9時頃だったでしょうか。仮に大家さんを呼んでも、ドイツではこんな時間に来てくれる業者さんは恐らくいないでしょう。米粒を流した罰が当たったと思うしかありません。そんなこんなでこの日もぐったり。夕食後、痛む腰の手当もゆっくりしたかったのですが、エネルギーは空っぽ。シャワーを浴びてベッドに倒れ込みました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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210. 16回目のドイツ旅行(14) ランツフートのアパート

2020年04月02日 | 旅行

▶いよいよマニアックな旅の始まりです。


ランツフートの街で見かけた珍しい墓碑 不思議な静けさを感じます。


📪ちょっと一言
 しばらくブログを書くゆとりが持てずにいたのは、4冊目の写真集の原稿を必死でまとめていたからです。まずは写真頁の構成を考え、写真をチェックし、タイトルを入れてその掲載許可をとるために海外の美術館に手紙と写真のプリントを入れて発送準備。ここまでが最大の仕事で、3月9日に郵便局で発送してホッとしたところで日本でのコロナウィルス感染が大きくクローズアップされてきました。3月11日には丸善プラネットまでマスクをして電車に乗り、往復。この日、出版契約を済ませました。
   その後は2番目に大事で一番手間のかかる「作品一覧」を作り始めました。その間に美術館からのお返事が届くと期待していたのですが、3月16日にケルンから早速許可の返事が届き、喜んだのもつかの間、まったく返事が届きません。郵便が届いているのは確実なのに…と思ったところで気が付きました。ちょうどその頃、アメリカでもヨーロッパでも感染が急に拡大して厳しい規制が始まり、ウェブサイトを見るとほとんどの美術館が休館していたのです。そのため郵便物も見られないわけですね。そこで今度
はメールでのアクセスを試みました。ところがメールアドレスが一切書かれていない美術館が一箇所、アドレスは書かれているのにそこにメールを送っても届けられず戻ってきた美術館が一箇所ありました。現在あれこれ試みて5館とは繋がり、4館は許可をくださいました。1館は担当者に繋がらずに保留中です。残る2館もあきらめずにまた連絡を試みていきます。
 こんな中、何とか気持ちを繋いで作品一覧の仕上げに全力を尽くす毎日。ようやく一昨日の晩に仕上げたところです。こんな事情で旅の話がちょん切れたまま、大変失礼していました。その間にもアクセスしてくださる方が多くいて、驚いています。ありがとうございます。また少しずつ書き続けますのでよろしくお願いいたします。
 遅まきながらこの間に写真展のユーチューブフィルムをアップしました。遠くておいでになれなかった方、おいでになった方にも思いでの一つとしてご覧いただけると嬉しいです。バックの素敵な演奏は、若いチェンバロ奏者の中川岳さんが提供してくださったヘンデルの「アルマンド」です。心安まるメロディーですのでお楽しみください。

写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」
https://www.youtube.com/watch?v=ca4azZADBZA


◆2019年7月28日(日) ランツフートのアパート

 私たちが予約したアパートはランツフート駅からは遠く、乗り換えてからもう一駅乗ったランツフート南駅からは歩いて10分~20分ほどの所にあるようでした。大きなトランクを持ったまま行ったことのない建物を探しながら歩くのは大変なため、この日はランツフート駅前からタクシーに乗りました。若い運転手さんが住所を見て気持ちよく重たいトランクを車のトランクに入れてくれて走り出しました。駅前の大通りを真っ直ぐ進み、旧市街に出ました。ここにきっとハンス・ラインベルガーの聖母子像があるのだろうという教会も見えました。右折してしばらく行ったところで小さな路地に入っていきます。運転手さんは「住所からするとこのあたりなんだけどなぁ」と言いながらすこし行っては停め、すこし行っては行き過ぎたと戻り、自信がなさそう。私が下車して地図を見ながら探してみたところ、ようやく番地が確かめられたのですが、何だかとても「評判の良いアパート」とは見えない狭いさびれた階段に「本当にここ?」と、ちょっとショックでした。階段を上がってみたら確かにここだとわかったので、運転手さんにここでOKと伝えたところ、トランクを持って上がりましょうかと言ってくれたのでお願いしました。少しだけチップをはずんでお礼を言い、運転手さんとお別れ。
 さて、入口に鍵を入れたボックスがあるから云々というメールを読み、確かめてみましたが「どこにそんなボックスがあるの??」という状況。ごく普通のアパートで、休暇用アパートという雰囲気がまったくありません。住人でもでてきてくれたら聞くこともできますが誰も出入りしていません。静か過ぎてますます不安になりました。階段を下りて大家さんとおぼしきお宅のドアを叩いてもベルを鳴らしても反応がなく、仕方なく電話をしてみました。電話をしたらすぐに通じて、「今行きますよ」という女性の声。ようやくホッとしました。彼女がとんとんと階段を上がってきて「ここに入っているのよ」と言ったのは、郵便ポストの横にぶら下がった少し大きな鍵のような容器で、それを開けるとコードボタンがあったのです。メールで知らされていたコード番号を押したらさらにその中に鍵が入っているのでした。う~ん、この中に入っているということはイメージできませんよね。みんなはちゃんとこれを開けて鍵を取り出せるのかなぁと思ってしまいました。

 中に入るといくつかの居室が廊下の脇に並び、その一番奥が私たちの部屋でした。間取りは確かに広々としています。ツインベッドのベッドルーム、浴室、台所、大きなソファーの入った居間に庭も広がっているのです。でもまず鼻についたのがタバコの匂い。禁煙ではなかったのですね。最近ドイツのホテルやアパートは禁煙が多くなっていたので油断していました。ひどく匂うわけではないのですが、タバコの匂いが苦手で、タバコが匂うところに居ると喉がやられてしまう私としてはきつい条件でした。極力窓を開けて換気するしかありません。写真で見たときはとても清潔に見えた部屋も実際は古びていて、浴室のタオルは大小バラバラで取り混ぜておかれていました。まぁ、トイレットペーパーなどはたっぷりあって使い切れないほどで安心しましたが。

 この日は日曜日なので買い物もできません。持ってきた即席ラーメンで取りあえず夕食とし、まだ明るいので近所を探索してみました。今日はターミナル駅のランツフートからタクシーで直接来てしまいましたが、明日は近くからバスに乗ることができるのか、それともランツフート南駅から電車に乗った方が良いのか、買い物ができるスーパーはどこにあるのか、南駅まで歩いて何分ぐらいかかるのかなど下見が必要だったからです。南駅までは歩いて15~16分かかることがわかり、6~7分坂を下るとスーパーがあることもわかりました。南駅からアパートに戻ってみると、小さなドアも開かない教会の横にトップ写真のような墓碑がずらっと並んでいました。いつも見るキリスト教の墓碑とは雰囲気が違います。異国の中で中世に戻ったような不思議な感覚…。大通りに出る前に小川が流れていました。途中のちょっとしたスペースには下の写真のような彫刻も立っていて、昔は栄えた教区の中心地だったらしいランツフートの面影が偲ばれました。

 アパートに戻ると一日動き回って疲れていたので、シャワーも早々に二人とも就寝。翌日はもっと大変な出来事が起きるとは思いもよらずに…。

 

 

一歩後ろにはごく普通のアパートが建っていますが、ここだけは中世の趣が残っていました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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