▶昨日までとは打って変わって涼しい朝
❤アウクスブルク聖アンナ教会にあるフッガー礼拝堂
◆2019年7月29日(月)ランツフートまでバスに乗ってみました。
朝6時頃に起きたら雨が降っていました。ここしばらくは暑い日が続いていたのに、今日は打って変わって涼しく、長袖シャツに上衣が必要です。ヴュルツブルクの宿から持ってきた残りのお米を全部研いで朝ご飯を炊きました。おかずは梅干しと錦松梅、インスタント味噌汁です。残ったご飯はお握りにして冷蔵庫へ。ご飯を炊くのは簡単ですが、お鍋にお米がくっついて、それを洗うと流しの穴が塞がってしまうのが気になりました。三津夫は平気、平気と流してしまったのですが…。
今日は取りあえずバスに乗って出掛けてみることにしました。時刻表では8:08発の予定ですが、結局8:15にやって来ました。ランツフート中央駅まで一人2ユーロ。8:48発のミュンヘン行きで終点まで。今日はランツベルク・アム・レヒ (Landsberg am Lech) まで行く予定でしたが、ミュンヘンで乗り換えるときに列車が遅れていて、午後に回る予定だったアウクスブルクに着くのが大分遅くなりそうだとわかりました。アウクスブルクは見所がたくさんあって見切れないかも…と言うと、三津夫が「じゃぁ、ランツベルクは今度で良いよ」と言います。急遽方針変更で特急に乗り、アウクスブルクに行くことにしました。
◆アウクスブルクを歩き回り、4つの教会を訪ねました。
11時頃アウクスブルク中央駅に到着して、まずは聖アンナ教会へ。駅から一番近い目的地でしたが何とクローズ! ショック。でも、どうもこちらは裏門のようなので正門まで回って見たところ、「月曜日は12時から」と書かれていたのでホッとしました。近くのスタバに入って昼食をとることにしましたが、三津夫の頼んだランチボックスは「全く美味しくなかった」とご機嫌斜め。私が頼んだバーゲルはまぁまぁでしたけれども。
12時になってもう一度聖アンナ教会に戻ると、今度は扉が開いていてホッとしました。ここの Fuggerkapelle を見たかったのです。ハンス・ダウハー (Hans Daucher) が作ったというフッガー家の礼拝堂ですが、青を基調とした美しい礼拝堂でした(写真トップ)。この礼拝堂手前の柵の上に6人の小天使像が載っています。中世作家の作品をまとめたカタログには4人しか写真が載っていなかったので何で6人なのだろうと不思議でしたが、帰国してから読み直したところ、1821年にこの小天使たちは取り払われてあちらこちらに散逸したようです。人手に渡ったものもあり、現在の左から4番目の小天使はオリジナルではないそうです。この天使たち、結構のびのびとくつろいだり、うたた寝していたりと大変愉快なので、礼拝堂の写真と共に4冊目の写真集に載せる予定です。
次に向かったのが大聖堂。この中にもグレゴール・エーアハルトが彫ったという墓碑銘があるので見に行きました。グレゴール・エーアハルトというのは有名なウルムの彫刻家ミヒェル・エーアハルトの息子で、このあとの旅でも彼の作品を訪ねて歩いているのですが、こんなややこしい関係があるのです。
ミヒェル・エーアハルトはリーメンシュナイダーの師匠といわれている。
ミヒェル・エーアハルトは、息子のグレゴール・エーアハルトとアドルフ・ダウハーをやはり徒弟として教えている。
アドルフ・ダウハーは、グレゴールの姉か妹に当たるアフラ・エーアハルトと結婚し、二人の間にハンス・ダウハーが生まれた。
つまり、ハンス・ダウハーはミヒェル・エーアハルトの孫に当たる彫刻家である(加筆しました)。
このハンス・ダウハーがフッガーカペレを制作したが、父親と一緒に制作したという記述もある。
※名前の書き方について…『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』ではミッヒェル・エアハルトと書いていましたが、いろいろな資料を読むとミヒェル・エーアハルトの方が一般的だとわかりましたので、今回からこちらに変更しました。ご了承ください。
というわけで、グレゴールの彫った墓碑銘が下の写真です。最初なかなか見つからず、受付の方に尋ねたら、ようやく場所がわかりました。
❤アウクスブルク大聖堂の回廊 グレゴール・エーアハルト作成の墓碑 ↑
拡大写真がこちら。↓
❤Epitaph des Arztes Adolph Occo († 1503) 医師アードルフ・オッコの墓碑銘
結構正面近くから撮ったように見えませんか? でも廊下の鉄扉は閉まったままなんですよ。
ヴェニガーさんの真似をして、柵の間から精一杯腕を伸ばして写してみました。
この後さらに市庁舎の丸天井の部屋でハンス・ダウハーの父親、アドルフ・ダウハーが作ったというオーク材の箱を探しましたが誰も知りませんでした。ただ、これではないかと思われる箱を写真に写してきましたが。さらに聖マルティン教会でグレゴール・エーアハルトの「早朝ミサ祭壇」を探すも見つからず、4つめのウルリッヒ・アフラ教会に着いたときはくたくたでした。うっかりSDカードの替えを持ってくるのを忘れたため、残り少ない枚数の中で必死に美しい聖母子像を写し、ようやく帰路につきました。
◆疲れた身体に鞭打って…。
宿に帰ってから荷物を置いて、すぐにREWEに買い物に出ました。ここでのアパート生活はあと5日間。できるだけ自炊したいと思っていましたから野菜、卵、パン、ハムなどを買い、それでも5ユーロちょっとでした。助かります。三津夫がおそばを作ってくれることになっていましたが、いざ作り始めたら流しの水が溜まって流れないのです。朝のご飯粒が詰まってしまったのではないかと責任を感じ、何とか掃除しようと流しの蓋を10円玉でこじ開けてみたらご飯粒は見当たりません。なんだ、とホッとしたのもつかの間、ドーンと下のパイプが落ちてしまったのです。あわてて流しの下の扉を開けたところ、ゴミを入れる透明ボックスの中にパイプと溜まりに溜まっていたゴミが…!! キャー、どうしよう。胸がドキドキしました。三津夫と二人、ペーパータオルなどを使ってゴミを掻き出したら、何年分かと思えるほどのへドロ状のゴミが出てきてしまいました。やれやれ、貧乏くじを引いたものです。とにかくきれいにゴミを全部掻き出し、また流しのパイプを接続して10円玉で留め終えたときにはドッと疲れが……。最後に箱も洗って拭いて、ようやく三津夫が調理を再開。既に夜の9時頃だったでしょうか。仮に大家さんを呼んでも、ドイツではこんな時間に来てくれる業者さんは恐らくいないでしょう。米粒を流した罰が当たったと思うしかありません。そんなこんなでこの日もぐったり。夕食後、痛む腰の手当もゆっくりしたかったのですが、エネルギーは空っぽ。シャワーを浴びてベッドに倒れ込みました。
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