リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

157. 15回目のドイツ旅行(5) ロストックからベルリンへ

2018年11月23日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(5) ロストックからベルリンへ


出発前日の夕方、日本式炬燵のセッティングをしてきました。やはり上板をおいた方が落ち着きます。


ロストックからベルリン

 9月11日、ロストックを10時34分発の準急列車でベルリンに移動しました。ベルリンには13時16分頃、ほぼ予定通りの到着でした。ロストックでは雨が降っていましたが、ベルリンに着くと日差しが強く、着ていた上衣が暑苦しいほどでした。ベルリン駅そばのホテルにチェックインを済ませ、すぐにWiFiを繋げたらうまく繋がってホッとしました。ヨーラの家では新しいWiFiがどうしてもキャッチできず、デュッセルドルフ以来、ほとんど連絡ができなかったからです。必要最低限の連絡だけ済ませてから、Ostbahnohf(ベルリン東駅)までSバーンに乗って出かけました。


ルリンの壁とユダヤ人プレート

 今まではなぜかベルリンの壁をイーストギャラリーに訪ねたことがなかったのですが、今回は是非行ってみようと、ベルリン東駅から歩き始めました。本当に様々な絵がありました。「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」の絵はあまりにも有名ですが、史実ではあってもこの絵は好きではないので、別の絵の前で記念撮影をしました。





 このあと地下鉄でBayerischer Platzに行きました。「旅するドイツ語」というテレビのドイツ語番組で知ったのですが、この駅の回りには合計80枚(多分)のプレートが掲げられていて、そのプレートには第二次世界大戦中のナチスによる「ユダヤ人は○○してはいけない」という禁止事項を絵と文章で表示してあるのでした。

駅の側にある立て看板 プレートの絵と地図が描かれています。


 その一例を写真で載せておきます。本当は全部見てまわりたかったのですが、熱い日差しの下を長時間歩いたので疲れていたのと、時間的にもゆとりがなく、一部しか見られませんでした。それにしてもこのようなユダヤ人いじめと言えるプレートが掲げられ、その後、1枚1枚プレートが増えていった時代、ユダヤの人々はどんなに厳しい生活を強いられたことでしょう。また、そんな中でもユダヤの人々をかばって生活した人たちは、どんなに苦しい思いをしたことでしょう。あのような戦争を二度と繰り返してはならないと強く思います。



「ユダヤ人への肉、肉製品、それに類した食品の供給は、これを停止する。1949年9月18日」


 いつかまた時間を作り、全てのプレートを見て回りたいと思っています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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