梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

韓国の「日本語外し」

2015-04-15 07:42:44 | 日記
   昨日はまたあの「変なおじ(い)さん」に会えるかなあ…と楽しみにしていたのですが、残念ながら彼は姿を見せませんでした。駅のホームに立っている人はいつも同じ時間に同じ人が同じ場所に立っているのですから、さすがに彼も登場できなかったのでしょう。5か月も絡み続けられていたので、撃退はしてみたものの、生活の一部から大事なものが欠けてしまったような寂しさもあります。((笑)

   今日はNSNの記事の抜粋から書き始めます。ちょっと長くなります。
 
   韓国のソウル市は10日、日常生活で使われている日本式の漢字語を、正しい韓国語に変更することを明らかにし、該当する用語を発表した。複数の韓国メディアが報じた。対象となるのは、日本語式の漢字語や日本式の表現、外来語。「切取線」、「始末書」、「仮処分」、「見習」、「行先地」、「耐久年限」、「飲用水」、「残飯」、「食費」、「引き継ぐ」、「差し出す」、「回覧」、「残業」、「節水」、「納期」、「納付」、「ラッシュアワー(外来語)」など計23用語という。

   改定するのは勝手ですが、これは日本が韓国政府の何らかの期待に反する行動を取っていることに対する嫌がらせなのでしょうか。韓国人は後先考えずに激高し、怒りを投げつける特性を持っていますが、これもまたその一つなのでしょうか。この特性の中でも、後先考えず、という部分は、韓国人の致命的な民族的欠陥であるというのがもはや定説となっています。

   いわゆる「日帝36年の間に、韓国語の語彙は飛躍的に増加しました。なぜなら、それまでの韓国語は極めて貧弱な語彙しか持たず、怒涛のごとく流れ込んで来る西洋文化を受け止めるだけの言語能力がなかったため、いち早くこれに対応した日本語の語彙を借りることになったからです。したがって学問的・文化的に高度な表現をするためには、日本語由来の語彙を用いなければどうにもならなくなっているのが現在の韓国語です。この点は中国語も全く同じです。

   西洋諸国を除いては、大学での教育はすべてが英語で行われます。これは、それらの諸国に土着の言語では、生活に必要な語彙しか存在しないため、英語を使用するのが手っ取り早いし、また、それしか方法がないからです。極端な話、熱帯の大草原で、生まれてから死ぬまで家畜を追って暮らして来た民族が持つ語彙や、ジャングルの中でごく少数ずつのに分散して居住し、自然の恵みによって暮らして来た民族の言語に近代社会で使われているような単語を一から作り出すことはできません。

   日本によって統治されるまでの韓国語もこうした民族の言語と大差ありませんでした。一部の人間は漢文(中国語とも少し違います)を使うことが出来ましたが、その語彙と言えば、2,000年以上も前に孔子が残した言葉をまとめたものなどだったのですから、近代社会に通用するものではなかったのです。民間人はといえば、ハングル文字自体日本が各地に学校を建て、義務教育を施して教科として教えるまで、教わる機会がなかったというのが実情です。その語彙たるや、微々たる原始的なものに過ぎませんでした。

   かつて、といっても数十年前のことですが、ドイツのとある炭鉱町で、炭鉱夫たちがどれほどの語彙をもって生活しているのかを調査したことがあります。その結果、一年と通じて彼らが使用していた単語数は、わずか600だったそうです。このことを考えれば、韓国人(当時は李氏朝鮮人)の語彙がどれほど貧弱なものであったかは想像できます。韓国人の思いとは裏腹に、現代韓国語はもはや半分が日本語だと言っても差し支えありません。

   私は長年韓国語の勉強をしてきましたが、すぐに覚えられる単語が沢山ある一方で、なかなか覚えられない単語があります。覚えやすい単語は全て日本語由来の単語です。覚えにくい単語は全て本来の朝鮮語由来の単語です。韓国語は日本人にとって世界で一番学習が容易な言語であると言われていますが、それは当然です。中身を開いてみれば、大げさに言えば日本語ばかりで出来ているような代物なのですから。

   もはや韓国人は日本語を抜きにしてものを考えることは不可能です。しかしそれを認めることは韓国人の歪んだプライドが許しません。漢字かな交じり文式に漢字とハングルを混ぜて記述した方がはるかに読みやすく、内容が高度に表現できるにもかかわらず、あえてそれをしない、いや、出来ないのは、そうすることによって、韓国語がいかに日本語化しているかが明らかになってしまうからなのです。

   それでもなんとかして韓国の固有語で物事を表現しようという試みはこれまでもなされて来てはいます。たとえば駅の「改札口」、これは「ケーチャルグッ」と発音してきたのですが、「ナガヌン・ゴッ」と改められています。そのまま日本語に直せば、「出るところ」となります。韓国語に直していくと、なんとなく納まりが悪く、昇華されていない原始的とも言える表現に戻ってしまうのです。更に、漢字で表記すれば、いちいち読まなくとも視覚的に意味がわかるものを、そのメリットを捨ててまで、日本語化を排除したいわけです。

   ただ、漢字を捨てるということは、抽象的思考能力を捨てるということでもあります。元来ものを考えなければならない支配階級は漢文を学習し、民衆は中傷的な思考能力を持てないようにして来たのが半島の歴史なのですから、落ち着いて考えれば、漢字を捨てるということは、思考能力の低下を招くことにつながるのは明らかです。実際、そのことを訴えている人もいないわけではありません。

   日本憎しのあまり、韓国人は理性を失っています。日本語由来だろうが何だろうが委細構わず堂々とそのまま取り入れている中国の度量を少しは見習うべきでしょう。何しろ中華人民共和国という国名自体、中華以外は日本が明治時代に創作した日本語なのですから。

   更に言わせていただくなら、、「サシミ」(相手を殺傷するための細長い包丁」とか、「オヤブン」とかいった、ヤクザな語彙から廃止した方が良いのではないかとも思いますが・・