以下のような記事を見つけ、それについて自分の意見を申し述べてみました。
重度の障害を理由に地域の小学校に通えないのは違法だとして、川崎市に住む親子が通学を認めるよう裁判を起こしました。
訴えを起こしたのは、川崎市に住む光菅和希くん(6)と両親です。和希くんは先天性ミオパチーという難病で人工呼吸器を装着しているため、たんの吸引などの医療的ケアが必要ですが、母親が付き添うことで地域の幼稚園に通い、今年4月からも母親か父親が付き添って地域の小学校に通いたいと希望しました。
ところが、県と市の教育委員会は「専門的な教育が適切」として就学先を特別支援学校に決めたため、地域の小学校に通えないのは障害者差別解消法などに違反しているとして、県と市の教育委員会を相手取り、横浜地裁に提訴しました。
「障害があるから特別ではなく、障害があっても同じクラスにいたから友達だっていう、そういう普通の今まで自分たちが成長してきたものと同じものを与えてあげたいな」(光菅和希くんの父親)
以下私の見解です。
昔かなりの知的障害を持つ男の子を都立高校で受け入れろと正門前に何日も座り込んで訴えた母親がいました。バックにはそれで飯を食っている活動家が付いていて、校長を交えた話し合いの場では、ヤクザまがいの恫喝をしていました。(投稿にある男の子のバックに同じような人間がついていると、なかなか面倒なことになります。)
小学校の事例ではありませんが、都立高校では障害を持った生徒も学力試験を自力で突破できれば、受け入れています。通常は車椅子使用で、自力で移動可能、トイレと下半身の着替え以外は自分の身の回りのことができるレベルの子を受け入れています。ただしそれでも、一人の生徒につき専門の教員を一人つけなければなりません。トイレに連れて行けば、男子であれば局部を持ってあげてオシッコをさせて上げたり、お尻を拭いてあげたりもします。
ある時女子の車椅子の生徒を受け入れたことがありますが、彼女が水泳の授業を受けたいと言い出し、担当教師が頭を抱えたことがあります。実は自分の意思で排泄をコントロールできず、おしめを着用している子だったのです。
投稿にある子の両親は、まず学校当局にどれだけの負担がかかるかを理解する必要があります。彼一人のために臨時の教員を採用することになります。小学校の6年間でかかる人件費はいくらになることでしょう。また、通常の補助教員の他に医学的知識を持った専門家、恐らくは看護師の手が必要でしょうから、車椅子の生徒の倍の人件費がかかると思われます。
この子を受け入れたクラスの精神的負担も、並大抵のことではないと思います。車いすの子とは違い、自力で起き上がることも困難なはずですから、クラスメートたちもどうにも接しようがないだろうと想像します。先生方も正直、ひどい言い方になりますが、気が散って授業どころではなくなるかも知れません。このように権利を主張する保護者の場合、何かあった場合には学校側の責任を問うことになるのは確実でしょう。
ここまで学校側の負担ばかり書いて来ましたが、やはり一通り身の回りのことができない状態であれば、そうしたお子さんを受け入れている特別支援学級に通うのがベストだと思います。同年代のお子さんたちと同じように、健常者と一緒に通学させてやりたいという親心は理解できないでもありませんが、それが本当に子供にとって望ましい選択であるのかは、十分考える余地があります。元気な子供たちがワイワイガヤガヤ、バタバタと埃を巻き上げて駆け回る教室で一緒に暮らすことも、本人の健康にとって望ましいとは思えません。
毎日接しながら、ご自分のお子さんがどれだけ大人の介助が必要か、身に染みて感じていらっしゃるはずです。ここは冷静な判断をお待ちしたいところです。
重度の障害を理由に地域の小学校に通えないのは違法だとして、川崎市に住む親子が通学を認めるよう裁判を起こしました。
訴えを起こしたのは、川崎市に住む光菅和希くん(6)と両親です。和希くんは先天性ミオパチーという難病で人工呼吸器を装着しているため、たんの吸引などの医療的ケアが必要ですが、母親が付き添うことで地域の幼稚園に通い、今年4月からも母親か父親が付き添って地域の小学校に通いたいと希望しました。
ところが、県と市の教育委員会は「専門的な教育が適切」として就学先を特別支援学校に決めたため、地域の小学校に通えないのは障害者差別解消法などに違反しているとして、県と市の教育委員会を相手取り、横浜地裁に提訴しました。
「障害があるから特別ではなく、障害があっても同じクラスにいたから友達だっていう、そういう普通の今まで自分たちが成長してきたものと同じものを与えてあげたいな」(光菅和希くんの父親)
以下私の見解です。
昔かなりの知的障害を持つ男の子を都立高校で受け入れろと正門前に何日も座り込んで訴えた母親がいました。バックにはそれで飯を食っている活動家が付いていて、校長を交えた話し合いの場では、ヤクザまがいの恫喝をしていました。(投稿にある男の子のバックに同じような人間がついていると、なかなか面倒なことになります。)
小学校の事例ではありませんが、都立高校では障害を持った生徒も学力試験を自力で突破できれば、受け入れています。通常は車椅子使用で、自力で移動可能、トイレと下半身の着替え以外は自分の身の回りのことができるレベルの子を受け入れています。ただしそれでも、一人の生徒につき専門の教員を一人つけなければなりません。トイレに連れて行けば、男子であれば局部を持ってあげてオシッコをさせて上げたり、お尻を拭いてあげたりもします。
ある時女子の車椅子の生徒を受け入れたことがありますが、彼女が水泳の授業を受けたいと言い出し、担当教師が頭を抱えたことがあります。実は自分の意思で排泄をコントロールできず、おしめを着用している子だったのです。
投稿にある子の両親は、まず学校当局にどれだけの負担がかかるかを理解する必要があります。彼一人のために臨時の教員を採用することになります。小学校の6年間でかかる人件費はいくらになることでしょう。また、通常の補助教員の他に医学的知識を持った専門家、恐らくは看護師の手が必要でしょうから、車椅子の生徒の倍の人件費がかかると思われます。
この子を受け入れたクラスの精神的負担も、並大抵のことではないと思います。車いすの子とは違い、自力で起き上がることも困難なはずですから、クラスメートたちもどうにも接しようがないだろうと想像します。先生方も正直、ひどい言い方になりますが、気が散って授業どころではなくなるかも知れません。このように権利を主張する保護者の場合、何かあった場合には学校側の責任を問うことになるのは確実でしょう。
ここまで学校側の負担ばかり書いて来ましたが、やはり一通り身の回りのことができない状態であれば、そうしたお子さんを受け入れている特別支援学級に通うのがベストだと思います。同年代のお子さんたちと同じように、健常者と一緒に通学させてやりたいという親心は理解できないでもありませんが、それが本当に子供にとって望ましい選択であるのかは、十分考える余地があります。元気な子供たちがワイワイガヤガヤ、バタバタと埃を巻き上げて駆け回る教室で一緒に暮らすことも、本人の健康にとって望ましいとは思えません。
毎日接しながら、ご自分のお子さんがどれだけ大人の介助が必要か、身に染みて感じていらっしゃるはずです。ここは冷静な判断をお待ちしたいところです。