梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

英語のお話⑤

2015-08-17 15:41:25 | 日記
  1947年度の学習指導要領試案を見ると、こうなっていたのですね。「英語教育の目標」として、

   「英語を学ぶということは、(中略)われわれの心を、生まれてこのかた英語を話す人々の心と同じように働かせることである。」

   としていたのです。現在に至るまで、幾度かの書き換えを経て、この部分は表面からは姿を消していますが、その精神は変わっていません。要は、アメリカ人やイギリス人と同じような心を持たせてしまおうという、実にやっかいな策略が裏に込められているのです。

   実際、ある言語で話すと、考え方がその言語を話す国の人々に近くなります。英語で話す時と日本語で話す時では思考過程に変化が生じます。私たちが英語で考え、話せば、結論は欧米人に近いものになり、欧米人が日本語で考え、日本語で話すと、結論は日本人に近いものになります。この点は以前にも触れたと思います。

   現在中国は世界中に「孔子学院」という名前の中国語学校を設立しています。中国がやっていると知ればその狙いはよくお分かりになるのではないでしょうか。世界中に、中国人のよう考え、中国の方針になんとなく納得してしまう人間を大量生産しようという、遠大な計画なのです。

   英語を熱心に勉強させれば、やがては主にアメリカ人の言うことをありがたがって聞くという姿勢が全国的に出来上がっていきます。現在アメリカは日本の経済をアメリカに対して解放させようとしていますから、いずれは日本の企業の経営陣に食い込み、日本人は彼らの言うことを、高貴なものとして、逆らうことなく聞き入れるようになる可能性があります。そして、日本企業が稼いだ利益は、多くをアメリカに吸い上げられてしまいます。実際、ソフトバンクの社長に就任したアメリカ人の年俸が200億円を超える膨大なものになったではありませんか。

   そこで永井氏が提案しているのが、多言語教育ということです。これは、英語だけを教えるのではなく、複数の外国語を同時並行して教えるという話なのですが、これがなかなか難しさを抱えていると思います。当然その分だけ本来教えるべき科目が削減されなければならないからです。しかし、英語一辺倒で、知らず知らずのうちに、無自覚にアメリカに奉仕する人間になるよりはましでしょう。少なくとも外国語は英語だけではないという意識が湧き、英語を神のごとく崇める気持ちは抑えることができると思われるからです。

   ただし、彼が提唱している言語が現実離れしている点で、せっかくの提案のありがたみが薄れてしまっています。彼は学ぶべき言語を三つのグループに分けているのですが、その第一グループ、日本で重要性の高い外国語の選択が決定的に間違っているのです。

   彼が第一グループで挙げているのは、英語、中国語、朝鮮語、ポルトガル語の四か国語です。英語と中国語は、政治的にも経済的にも歴史的にも、重視される理由は明らかです。しかし、朝鮮語とポルトガル語は、身に着けたところでほぼ意味がありません。かなり韓国語ができるようになっている私は断言しますが、韓国語の使い道がないのです。場合によっては命を落とします。韓国語が実用的に役に立たない以上に、韓国人と関わることが時として想像を超える面倒くささを伴うからです。

   韓国人に、従軍慰安婦問題や豊臣秀吉の朝鮮征伐・歴史教科書問題・靖国参拝などについて議論を吹っ掛けられた例がかなりあるのですが、韓国人相手には議論というものが成立しないのです。理屈のやりとりではなく、相手を罵倒することが彼らにとっての議論なのでのです。そして、理屈では必ず日本人が勝ってしまいます。理屈で負けたと知った韓国人は、メンツがつぶれたとして、相手に暴力を振るいます。それも殺すくらいの勢いでとことんやるので、そんなことになるとは予想もしていない日本人など、全く相手になりません。万一兵役を済ませてきた男性が相手だったら、確実に半殺しの目にあわされることでしょう。かつ、相手はその後、よくやったとして周囲から称賛される、それが韓国というお国柄なのです。

   中国の大学で、議論を吹っ掛けてきた韓国人学生を返り討ちにしたところ、逆恨みしたその学生に夜道で襲われ、重傷を負った例があります。その時相手は執拗に顔面を蹴りつけ、日本人学生はその後、ほぼ失明状態になったそうです。相手の韓国人学生はそのまま飛行機に乗って帰国してしまったので、完全なやられ損です。この韓国人学生にとっては、中国での留学生活をまっとうするより、怒りに任せて日本人学生を叩きのめすことの方が大事だったのです。

   外国語を身に着けたら外国人と触れ合い、相互理解を深めたくなるはずです。しかし、韓国人と相互理解に至るのは無理です。国として国交を絶った方が良いと思われるレベルです。せいぜい観光旅行に行って、上っ面のところを撫でて来るだけに止めるのが正解で、かつその場合には日本語が通じるので、我々が韓国語を身に着ける必要はありません。

   ポルトガル語については、私が言わなくとも誰も選択しないでしょう。ポルトガル語は戦国時代にはオランダと並んで多少の価値がありましたが、現代日本人には何のメリットもありません。学んでも役に立たない外国語を学ぶのは、大人になって、自分に判断力ついた後、自由に勉強すれば良いのです。

   外国語を学ぶにあたっては、永井氏が語っていない、もう一つ絶対に実行しなければならないことがあります。それは、その国の歴史と日本との関係をしっかり学習することです。その点を正しく認識していれば、その外国語を神のごとく崇め奉り、外国人を神の使いと錯覚することもなくなるからです。アメリカは世界を支配する悪魔の一面を持ち、中国は言うことと本音が全く違うという底知れぬ恐ろしさを持ち、韓国は逆恨みとヒステリーを永遠に忘れないというお国柄を持っていることを知らなければなりません。