すきっぷ

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裏磐梯と「八重の桜」の歴史めぐり 2日目

2014-06-18 | ハイキング

2日目 ホテル出発は9時です。

予定では、鶴ヶ城の見学、飯盛山の白虎隊自刃の地、十九士の墓、会津日新館の見学です。




早起きして  朝の温泉は身体がシャキとします。
朝食は7時からなので玄関を出てブラブラ、
ロビーで朝市をやっていたのでお買いもの

9時に出発して最初の見学は鶴ヶ城 (9:10~10:30)です。



鶴ヶ城公園内にある鶴ヶ城(別名 会津若松城)は、今から630年前に築かれました。
戊辰(ぼしん)戦争(1868年~1869年)の時、最後まで戦ったお城です。

明治時代に政府により解体されましたが、
本丸は昭和35年に復旧、天守閣は昭和40年に鉄筋コンクリートに再建されました。
平成22年には黒瓦の屋根を解体前の赤瓦の屋根に復元し平成23年に完成したそうです。







お城を色々な角度から写しました。
どこから見ても整った美しいお城でした。



赤瓦といってもあずき色の優しい感じの屋根でした。



天守閣は郷土資料館となっていて会津の歴史を伝える資料が展示されていました (一部写真






飯盛山(10:40~12:30)   見学・昼食・買い物

飯盛山は白虎隊が自ら命を絶ったところです。
山へはスロープコンベアで山の中腹へ行きます。

昼食予定の「とらぞう」のお店の人が飯盛山まで案内して説明もして下れました。
白虎隊が自刃した経緯等も詳しく説明してくれました。







お見送りまで頂き次の見学地へ

会津藩校日新館  (12:45~13:45)



会津藩には日本で初めて民間による庶民の学問所として創立された「稽古堂」がありましたが、
時代の流れと共に武士の気が緩み始め道徳が退廃してきました。
そこで藩では「教育の振興」を中心に藩政改革を行うことになりました。

教育機関として日新館が創設されました。
白虎隊もここで学びました。

同じ町に住む6才から9歳までの藩士の子供たちは10人前後で集まりを作っていましたが、
この集まりを「什」といっていました。

この「什」のおきてに背いたものには厳しい制裁が加えられたそうです。

「什」のおきて

ならぬことはならぬものですとすべての什にこの言葉がありました。

実際の藩校は火災のため焼失し、昭和62年に残っていた図面を基に完全復元しました。
元は鶴ヶ城の近くにあったとか?

広い敷地内には、刀術・砲術練習・水練・天文・弓術・医学・書学・素読所などが再現してあります。






以上で1泊ハイキングの行程は無事全て終了です。

帰りに寄った那須高原SAは晴れていましたが、藪塚ICでは雨も本降りになってきました。
ここへ来ての雨はもう仕方がないですよね~



2日間楽しく過ごすことが出来て大満足
帰りのバスの中では退屈しないようにと役員さんの計らいでビンゴゲームも有り何と
27人中私が1番になりました。  余りないことなんで ビックリ  

2日間のトータル歩数


2日目のが遅くなりすみませんでした。 


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