ホセ・クーラの新プロダクション、エストニア国立歌劇場の西部の娘は、無事に初日を迎え、大好評だったようです。
クーラは今回、初めて西部の娘を演出・舞台デザイン、そして初日と2日目(2018年9月21、23日)の指揮を行いました。この2日とも、チケットは完売だったそうです。
西部の娘の主役のひとり、ディック・ジョンソンといえば、クーラが長年歌い続けてきて、オテロやサムソンと並び、そのドラマティックな存在感と解釈の深さで他の追随を許さない役柄ではないかと思います。
エストニアの歌劇場は、そのクーラを、歌ではなく、演出家と指揮者として採用しました。これが劇場の初めからの提案だったのか、それともクーラの要望を入れての結論なのかは私にはわかりませんが、いずれにしても、この人選は、大成功だったようです。
劇場がアップした最終リハーサルの舞台画像や、SNSにアップされた情報などを紹介したいと思います。
→ これまでのエストニアの西部の娘の関連記事はこちらをご覧ください。
初日と2日目以外はクーラは指揮をしませんが、公演は続いています。年内、そして来年も上演されます。
エストニアにご旅行予定の方は、ぜひご検討いただければと思います。
●初日のオーケストラピットに入場する、"指揮者"クーラ
クーラがフェイスブックに投稿した動画です。9月21日のプルミエで、オーケストラピットに入場する様子を撮影しています。
オケのメンバーや観客に、手を振ったり、グッド・イブニングと挨拶したり、とてもリラックスした雰囲気です。リハ―サルを通じて、もうやるべき準備はやったという心境でしょうか。
●舞台の様子――劇場のSNSより
クーラがデザインした西部の娘の舞台の様子、劇場がインスタグラムにアップした最終リハーサルの写真を紹介します。
どうやら、リアルに当時のアメリカ西部、ゴールドラッシュの時代、その雰囲気を感じさせるもののようです。
"移民とノスタルジー"がこのオペラの重要なテーマだとクーラ。そしてインタビューでは、クーラの祖父母も、イタリア、スペイン、レバノンからアルゼンチンへの移民だったこと、自分もまた、アルゼンチンから欧州への移民であったと語り、家族と自らの幸せを求めて世界中へ移り住む移民の問題は、決して現代だけの新しい問題ではないと述べていました。実はプッチーニ自身の弟も、アルゼンチンに移住し、若くして母国を遠く離れた地で亡くなったのだそうです。
もちろん移民を生み出す社会背景、戦争や民族紛争、政府による国策としての移民、差別と迫害、経済的破綻、貧困など・・その時々の状況、要因は様々ですが、いつの時代でも、少なくない人々が、生存のため、家族と自分の平穏な暮らしを求めて、生まれた国と我が家を離れる決断をせざるを得ない状況が続いてきました。クーラは、こうした社会的背景を踏まえたうえで、そこで生きる人々の思い、辛さ、寂しさ、苦しさ、アルコールや女性から得ようとする慰め、ささやかな楽しみ、キャラクターの感情と姿に焦点をあて、生きいきと描き出そうとしたのではないかと思います。
前回の記事でも紹介しましたが、その移民たちの孤独と母国に残してきた家族への痛切な思い、ノスタルジアを共感をもって描こうとする、今回のクーラの演出の意図が、これらの舞台写真からも感じられるように思います。
●エストニアのTV報道より――クーラのインタビューとリハーサルの様子
現地で報道された動画の抜粋を紹介させてもらいました。
クーラのインタビュー(英語)を中心に、最終リハーサルの舞台の様子もあります。
また2011年のエストニアでのクーラのコンサートや、今回のエストニア歌劇場のシーズンスタートにあたっての顔合わせで、サプライズで椿姫の二重唱を歌わされたところなど、珍しい場面も挿入されています。10分強です。
語学力の不足から全部聞き取ることはできませんが、相変わらず、率直で闊達、フランクな話しぶりです。クーラの人柄がよくわかり、魅力的です。
●初日のカーテンコールの様子――鑑賞した方のFBより
現地で鑑賞された方がFBにアップしてくれた動画です。大歓声が聞こえます。
ご本人のコメントがついていますが、とても素晴らしい感動的な舞台だったようです。
●ランスからのメッセージ――クーラへの出演者の思い
これはクーラが初日終了後に、保安官のジャック・ランス役の出演者から受けたメッセージを、FBに紹介したものです。
今回のプロダクションで、演出家としてのクーラの能力とこれまでの経験、蓄積、そして人間的な魅力が、全面的に発揮されたことの証拠のように思います。クーラ自身も感銘をうけたようです。
≪クーラのコメント≫
――私は、私のランス保安官であるRauno Elpから受け取ったばかりの投稿を共有したいと思う。彼の言葉に私は深く感動した。
「ホセ・クーラはマスターだ。彼は、彼の豊富な宝の箱を開いて、私たちに、誰でも望むだけ無条件に、それらを使わせてくれた。彼はそれによって衰えることなく、しかし私は間違いなく、より豊かになった。私は彼もそうであることを願っている。
彼は、優しさ、正直さ、誠実さ、徹底性、プロフェッショナリズムの人だ。私はこのような素晴らしい人と一緒に仕事をする機会を得て、本当に感謝している。それは間違いなく、私の歌手としてのキャリアのハイライトの1つだ。」
ありがとう、親愛なるRauno!あなたの初めてのランスを演出し、指揮することは、光栄だ。この素晴らしい役柄(ランス保安官)の最高の解釈者になることは、あなたの運命のなかにある。公演後、多くの人が私に、この西部の娘のバージョンは、『ランスの物語』と呼ばれるべきだと言ったほどなのだから。
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出演者から寄せられたクーラへの感謝と信頼の思いは、クーラにとって心を揺さぶる喜びだったと思います。
劇場を愛し、出演者、スタッフを愛し、観客を愛し、オペラを真から愛するクーラ。そして、出演する者の顔ではなく、キャラクターの顔が見えるオペラ、脚本と音楽が描こうとするドラマと人間的な感情、キャラクターの生きた姿を表現するオペラ、そういう現代にふさわしいオペラを探究してきたクーラです。
そのクーラが、長年トップテノールとして各地で歌い、深めてきた解釈、表現、蓄積を、今回は演出、舞台デザイン、指揮者として、全力でつぎ込んだ今回の西部の娘が、出演者からも、観客からも大きな評価と受け、喝采を受けたことは、本当にうれしく、喜ばしいことです。
まだまだ第一線で歌い続けてほしい、特にジョンソン役で歌ってほしいと願いますが、こういうクーラの経験が生かされる新プロダクションが増えていくことは、オペラの脚本とスコアを深く理解した舞台を味わう楽しみ、その機会を広げることになると思います。
*画像などは劇場のHPやSNS、クーラのFBなどからお借りしました。