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(レビュー編)ホセ・クーラ 21年目のオテロ ワロン王立歌劇場 / Jose Cura's Otello at Opéra Royal de Wallonie-Liège

2017-07-02 | ワロン王立歌劇場のオテロ2017




ホセ・クーラが出演したワロン王立歌劇場のオテロ、今回は、レビューから主にクーラに関する部分を紹介したいと思います。
観客の反応も素晴らしく、全体として非常に好評な公演、クーラも絶好調、指揮、オケを含む、アンサンブル全体も高く評価されています。

また新たに劇場がフェイスブックにバックステージの画像をアップしてくれたので、いくつかお借りして掲載しています。

その前に、再度、YouTubeにアップされている全幕録画のリンクを。


“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie



Otello - Live Web 
SEASON : 2016-2017
LENGTH : 2:50
SONG LANGUAGE : Italian
CONDUCTOR : Paolo Arrivabeni
DIRECTOR : Stefano Mazzonis di Pralafera
CHOIRMASTER : Pierre Iodice

Otello: José CURA
Desdemona: Cinzia FORTE
Iago: Pierre-Yves PRUVOT
Cassio: Giulio PELLIGRA  Emilia: Alexise YERNA  Lodovico: Roger JOAKIM
Roderigo: Papuna TCHURADZE  Montano: Patrick DELCOUR  An Araldo: Marc TISSONS

Opéra Royal de Wallonie-Liège





●あらゆる点で成熟した軍指導者

「・・彼が20年間歌い続けてきた最も要求の厳しいヴェルディの役柄で、ホセ・クーラをもう一度聞くことは、依然として啓示だった。
彼は慣れ親しんだ安全な演目に頼ることに決して満足しない歌手であり、今年だけで、彼はフランス語でワーグナーのタンホイザーを歌い、ピーター・グライムズの演出、舞台設計、主役を引き受けた。
彼が“Già la pleiade ardente in mar discende”(「すでに燃えるプレアデス星は海に沈んだ」第1幕デズデモーナとの二重唱) を歌った時、ピーター・グライムズが心理的および声楽的に求めるものが想起された。
 
シェイクスピアのオリジナルでは、オテロは「私は老境に傾いている」と言っている。そして白髪のライオンのようなたてがみと灰色のあごひげのクーラは、あらゆる点で成熟した軍指導者、才能と経歴をもつ指揮官に見えた。

ワロン王立歌劇場では、クーラの強力なスピントなテノールが、オープニングの "Esultate!"ですぐに感銘を与えた。そして第1幕、酔っ払いの暴動を鎮圧した時の“Abbasso le spade!”(「剣を下ろせ」) の見事な歌いぶりにおいて、彼の権威に疑問の余地はなかった。彼の長年の経験とともに、少なかったものが多くなった。以前のピッチやリズムの気まぐれがなくなり、彼の黒く暗い、よく響く低い声は、愛のデュエットにエキゾチックな異質さと情熱の両方をもたらした。

イアーゴの毒が盛られたとき、目の中の激しい怒りの閃光とともに、クーラの傲慢な尊厳と冷静さは粉々に砕かれた。ダイナミックなボーカルの極限を取り入れ、 "Ora e per semip addio"からの繊細な内向性と深いソット・ヴォーチェ、ほとんどくぐもった“Dio! mi potevi scagliar” から気高くも哀れな“Niun mi tema”まで、これは、シェイクスピアのスケールでの、欠陥を抱えた英雄の悲劇的な転落だった。

・・・

演出のいくつかのぎこちなさにもかかわらず、クーラとアンサンブルの魅力的な強さは、・・より感動的な夜をつくった。」

(「Bachtrack.com」)





●ホセ・クーラ、巨大なオテロ

「・・私たちが(ベルギー・リエージュまで)旅行したのは演出のためではなく、今シーズンの初めにここでトゥーランドットを聞いた有名なアルゼンチンのテノール、ホセ・クーラのタイトルロールのためだった。

私たちはすぐには忘れることができないだろう。幕が降りる少し前に、最高のニュアンスでつぶやかれた死を。

そして、不思議に通り抜けた"Exultate!"を例外として、その栄光の時以来(我々が2000年代初め、バルセロナのリセウ大劇場で同じ役で聞いたときのことを言っている)、知られていなかったヴォーカル・フォームを表示する。そして、したがって、今日この役の最もふさわしい解釈者の一人であり、端的に言えばそれは、巨大なオテロだ。・・」

(「Opera-Online.com」)





●成功はほとんどクーラ1人の肩に

「公演の成功が証明されたが、それはほとんど1人の男の肩に頼っている。

身体と魂を一体にして、すべてのテノールによって恐れられているこの役柄に勇敢に直面することが可能なホセ・クーラは、大きなスケールと確信の強い力を持ってオテロを形づくる。

歌唱は高度な洗練はないものの、声は非常に激しく、強力に投影されながら、その音色は美しい一貫性を示している。」


(「ConcertoNet.com」)





●優しさがあふれるデズデモーナとの二重唱「もう夜も更けた」

「アルゼンチンのテノール、ホセ・クーラは、燃える活力と彩りの豊かさでオテロのスコアを探求する。彼の "Abbasso the spade!" は、第一幕を閉じるデモデモーナとのデュエットとは完全に対照的で、完全に彼の権威を宣言している。

また、彼が抱擁のエクスタシーのなかで死にたいと歌うとき、彼は、幸せの不安定性についての認識を完全に広める。"Giànella notte densa"は優しさがあふれている。」
 
(「Arts et Lettres」)







●模範的なシーズンの最終公演


「第3幕は、ホセ・クーラのオテロの勝利をみた。ステージ上の本当の野獣、そしてワロン王立オペラでのレギュラー出演者。
激怒した彼とイアーゴとの対話、そして彼の有名な独白“Dio ! mi potevi scagliar”は素晴らしいドラマチックなアーティストだった。

・・・

傷ついた、野生の獣のようなクーラのオテロは、同様に感動的な"Niun mi tema"を歌った。

・・・

結論として、ワロン王立オペラの純粋な伝統のオテロ――有名な歌手、ハウスのオーケストラ、そして古典的なステージング。 模範的なシーズンの終わり。」

(「Crescendo-magazine.be」)





●議論の余地のない主人公

爆発した場面、その瞬間から、彼は議論の余地のない主人公である。中年の成熟とともに、ヴェルディによるオテロの役割に戻ってきたホセ・クーラ。パワーと、繊細な内部の葛藤の表現を交互にもちいて、強烈で苦痛を伴う解釈を与える。

(「Giornaledellamusica」)





感動の面持ちでカーテンコールの喝さいを受けるクーラ。大歓声とブラボーの声、大量の足踏みで称賛された。







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これまで何回か、クーラのオテロ解釈を紹介してきましたが、この巨大で複雑なキャラクター、テノール最難関の役柄を、ここまで自らのものにして、自由自在に歌い、演じ、ドラマをつくりだす――クーラの到達したオペラパフォーマーとしての境地には、ひとりのファンとしてつよい感動を受けました。

そしてレビューの評価が、そういう私の思いとほとんど一致したというのもまた、驚きであり、喜びでした。

この先2017/18のスケジュールには、演出、指揮、作曲作品の発表がメインとなり、オペラ出演はまだわずかしか発表されていません。もちろん指揮はもともとのクーラの念願であり、また演出も楽しみですが、歌手として、声も演技も、新たな絶頂期、黄金期を迎えていると思われるクーラのオペラを、もっとたくさん見せてほしい、新しい録画やDVD、そしてできれば実演でみたい・・こうつよく思わざるをえません。

来年2月に、モンテカルロ歌劇場で再演されるクーラのピーター・グライムズが、またこのCultureboxでネット放送されることを心から願っています。




*画像はワロン王立歌劇場のFBなどよりお借りしました。

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