Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2014年度後期刑法Ⅱ(各論) 第01週 殺人の罪

2014-09-24 | 日記
 刑法Ⅱ(各論) 個人的法益に対する罪――生命・身体に対する罪
 第01週 殺人の罪

(1)殺人の罪
1殺人の罪
 各則第28章「殺人の罪」は、殺人罪(199条)、自殺関与罪・同意殺人罪(202条)とそれらの未遂罪(203条)、さらに殺人予備(201条)から成り立っています。
 かつては、200条に尊属殺人罪の規定がありました。尊属殺人罪とは、自己または配偶者の直系尊属を殺害する行為であり、それには死刑または無期懲役が科され、通常の殺人に比べ重く処罰されていました。その未遂罪と予備罪もまた処罰の対象とされていました。これらの規定は、平成7年(1995年)の刑法改正(現代用語化改正)によって削除されました。
 尊属殺人罪の規定をめぐって、判例では、子の親に対する道徳的義務を重視することは、人類普遍の道徳原理、すなわち自然法に属するものであり、また親子の関係は憲法14条1項の「社会的身分」に該当しないので、違憲ではないと判断されていました(最大判昭和25・10・25刑集4巻10号2126頁)。これに対して、学説では、尊属の生命を一般の人のそれよりも特別に保護することは、法の下の平等に反し、違憲であるとする見解が主張されていました。その後、判例は変更され、尊属殺の法定刑が死刑または無期懲役というのは重過ぎるという理由で違憲であると判断しました()最大判昭和48・4・4刑集27巻3号265頁)。

1-1護法益としての人の生命
 殺人罪の保護法益は、「人の生命」です。「人」とは「自然人」を指し、そこに「法人」は含まれません。「人」とは「他人」を意味しますが、「自己」が含まれるかどうかについては見解が分かれています。「人」のなかに「自己」が含まれるならば、自殺も他殺と同様に殺人罪の構成要件に該当する可罰的な違法行為と判断されることになります(ただし、自殺を思いとどまることを期待できない場合には、自殺者の責任は阻却されます)。
 人となる前の「胎児」や人でなくなった後の「死者」は、「人」ではないので、それへの侵害は殺人罪にはあたりません。胎児への侵害は堕胎罪にあたり、また死者への侵害は死体損壊罪などにあたります。侵害を受けたのが「人」であるかどうかによって、成立する犯罪を左右するので、人の意義と概念がそれらと殺人罪とを区別する重要な基準となります。

1-2人の始期と終期
 胎児と人を区別する基準に関して、学説では、①分娩開始説、②一部露出説、③全部露出説、④独立呼吸説の4説が主張されていますが、②の一部露出説が現在の通説・判例です(大判大正8・12・13)。胎児の一部が母体の外に露出していれば、母体に損傷を加えることなく胎児に直接的な侵害を加えれるので、殺人罪の行為客体として保護すべき要件を備えていると考えられています。しかし、民法で私権の享有は出生に始まると定められていること(民3条①)を前提にすると、生きる権利を始めとする私権が保護されるのは、胎児が母体から生まれ出てから、つまり胎児の全部が母体の外に露出してからであると解することもできるでしょう。
 人と死者を区別する基準に関して、伝統的には、自発呼吸の停止、脈拍の停止および瞳孔反応の消失を相互して判断する三兆候説が主張されてきましたが、心臓や肺臓の機能を人工的に維持する人工蘇生術が発展し、また臓器移植手術への関心と実用化が進むにつれて、脳死説が台頭しつつあります。心臓の呼吸も肺臓の脈拍も脳によって統合されているとすると、脳の統合作用の停止をもって人の死と認定することには科学的な根拠があるように思われます。しかも、脳死によって人の死とすると、脳死後に人工呼吸器を取り外して延命治療を打ち切っても、また心臓や肺臓などの臓器を移植する手術を行なっても、生命侵害にはあたらず、殺人という評価を免れることができます。

1-3臓器移植法
 1997年に「臓器移植に関する法律」(臓器移植法)が制定され、臓器移植に限って脳死もまた人の死とすると規定して、意思表示能力のある15才以上の者が臓器提供と脳死判定に同意し、家族が拒否しないという厳格な要件(狭い同意方式)のもとで脳死体からの臓器移植が認められるようになりました。その後、2009年に改正され、脳死判定を受けた者の身体は「脳死した者の身体」であるとされ、本人の意思表示がない場合でも、本人が拒否しておらず、家族の書面による同意があれば臓器の移植ができるようになりました。これによって、意思表示能力の下限とされていた15才という年齢制限が撤廃され、子どもの臓器移植も可能となりました。この改正によって、人の死の判定基準を脳死とする脳死説が法的に採用されたと主張されていますが、その点は必ずしも明確ではありません。臓器移植に対する国民的関心は高いですが、臓器移植のために便宜的に脳死判定が行なわれることに対し疑念があり、脳死を人の死とすることには慎重な意見が強いようです。

2殺人罪
 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する(199条)。
 未遂も罰する(203条)

2-1客体
 殺人罪の行為客体は、「人」であり、出生から死亡までの「自然人」です。交通事故などの瀕死の重傷を負った状態でも、「人」であることにはかわりません。負傷者に暴行を加え、死に至らしめた場合、その暴行によって死期が早まった場合には殺人罪が成立しますが、死亡結果が交通事故に起因していた疑いがあれば、暴行と死亡との因果関係は認められず、殺人未遂が成立するにとどまります(総論・因果関係論)。また、負傷者がすでに死んでいるにもかかわらず、生きていると誤信して、殺意をもって暴行を加えた場合、殺人未遂が成立する可能性があります(総論・不能犯論)。

2-2行為
 殺人罪の行為は、人の生命を侵害する客観的に危険な行為です。作為だけでなく、不作為によっても可能です。例えば、養育義務のある者が幼児に食事を与えずに餓死させた場合、殺人罪が成立します(大判大正4・2・10刑録21輯90頁)。ただし、殺人罪の構成要件は、作為によって死亡結果を惹起することを内容としているので、それを不作為によって殺人罪の構成要件を実現する場合(不真正不作為犯)は、死亡結果を防止すべき作為作為義務の有無(保障者的地位、作為能力、作為の容易性と可能性)、結果との因果関係の有無について慎重な判断が求められます(総論・不作為犯論)。

2-3故意
 殺人罪は故意犯です。故意があるといえるためには、殺人の実行行為と死亡結果の発生についての認識が必要です。自分の行為が他人の生命を侵害する客観的に危険な行為であり、それから死亡結果が発生することを認識していた場合には殺人罪の故意があるといえます。しかし、生命侵害の結果が認識していたのとは異なる客体のところで発生した場合、当該客体に対して殺人の故意が成立するかどうかについては、法定的符合説と具体的符合説の間で争いがあります(総論・具体的事実の錯誤)。

2-4罪数
 1個の行為によって1人を殺害した場合、1個の殺人罪が成立します。1個の行為によって複数人を殺害した場合、複数の殺人罪が成立し、観念的競合(54条前段)として扱われます。複数の行為によって複数を殺害した場合、複数の殺人が成立し、併合罪(45条)として扱われます。ただし、時間的・場所的な関係から包括して1個の殺人罪として扱われる場合もあります。

3殺人予備罪
 殺人罪を犯す目的で、その予備をした者は、2年以下の懲役に処する。ただし、情状により、刑を減軽することができる(201条)。

3-1予備罪の処罰根拠
 殺人の予備とは、殺人罪を犯す目的に基づいてその準備行為を行なうことです。殺人に用いる道具を調達したり、現場を下見するなどの行為がこれにあたります。生命の侵害という犯罪の重大性に鑑みて、殺人罪の実行行為を開始する前の準備段階の行為を行なっただけで処罰されま。ただし、準備のために行なわれる全ての行為が殺人予備にあたるわけではありません。殺人罪を犯す目的があれば足りると解すると、日常的に行なわれる行為やそれ自体としては無害な行為が処罰されるおそれがあるので、殺人の実行行為に近接した危険な行為に限定すべきでしょう。

3-1予備罪の共犯と予備罪への中止犯の準用
 殺人罪を犯す目的は、自らが単独または共犯者とともに殺人罪を犯す目的がある場合に認められる(自己予備)。従って、他人が犯す殺人罪のための準備行為(他者予備)は、殺人予備罪にはあたらないが、他人の殺人予備罪の幇助にあがる可能性がある(予備罪の共犯)
 殺人予備に対しても中止犯の規定を適用することができるか否かについては議論が分かれています(総論・予備罪への中止犯規定の準用の可能性)。殺人罪などの実行に着手し、自己の意思により中止した場合、殺人未遂罪は成立しますが、中止犯の規定が適用され、その刑が必要的に減軽または免除されます。殺人予備罪は、殺人未遂罪に吸収されるので、あらためて処罰されません。殺人予備後に殺人の実行に着手することを自己の意思により中止した場合、中止犯の規定の適用は問題にならず、殺人予備罪として処罰されます。実行の着手後に刑に必要的免除の可能性があることと比べると、不均衡であり、実行の着手を中止した場合には殺人予備罪にも中止犯の規定の準用を認めるべきです。

4自殺関与罪
 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人の嘱託を受け若しくは承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する(202条)。未遂も罰する(203条)。

4-1自殺と自殺関与
 自殺は自らが自己の生命を侵害する行為です。刑法には自殺罪という規定はなく、自殺を行なっても処罰されません。なぜ自殺は処罰されないのでしょうか。自殺が不可罰とされる理由については、3つの学説が主張されています。「責任阻却説」は、自殺は殺人罪の構成要件に該当する可罰的な違法行為であるが、責任が阻却され、処罰されないので、あらかじめ自殺罪という規定が設けられていないとする説です。この説からは、殺人罪の客体である「人」には他者だけでなく、自己も含まれると解されています。「違法阻却説」(または適法行為説)は、自殺は自らが自己の生命を侵害するので、それは自己決定に基づく法益の処分であり、適法であるとする説です。殺人罪の「人」は他者であり、自己を殺しても、殺人罪の構成要件に該当しません。「不可罰的違法説」は、自殺は殺人罪の構成要件に該当しませんが、法秩序から見れば違法であるとする説です。
 自殺が不可罰とされる根拠を責任阻却に求めると、自殺も他殺を同様に殺人罪の構成要件に該当する可罰的な違法行為となり、「人」を「他人」を解する解釈と相いれません。また、自殺への関与に共犯規定が適用されて殺人罪の共犯が成立することになり、それより軽い自殺関与罪との整合性がつかなくなります。反対に自殺を適法とすると、それに関与する行為が自殺関与罪として処罰される理由の説明がつかなくなります。また、自殺を適法とすると、それを制止する行為が強要罪にあたるという不都合も生じます。このような問題を解消するためには、自殺は殺人罪の構成要件に該当せず、その可罰的違法性もありませんが、法秩序から見れば違法であると解するほかありません。

4-2自殺関与罪
 自殺への関与には、自殺教唆と自殺幇助という2つの形態があります。自殺教唆とは、人をそそのかして自分で自殺させる行為です。自殺幇助とは、自殺の意思のある人を援助して自殺させる行為です。
 人をそそのかして自殺させても、その人が意思決定能力がない幼児や精神病者であり、自殺の意味を理解しえない場合には、自殺教唆ではなく、被害者の行為を利用した殺人の間接正犯が成立します。意思決定能力があっても、教唆者が暴行・脅迫などを加えて意思の自由を制圧して自殺させた場合には、それは真意に基づく自殺ではないので、殺人罪が成立します。人を欺いて錯誤に陥れて自殺させた場合については、判例では追死の意思があるものと誤信させて自殺を決意させた「偽装心中事件」の事案において、欺かれたために行なった自殺には真意にそなわい重大な瑕疵があるので、自殺教唆ではなく、殺人罪にあたると判断されています(最判昭和33・11・21)。学説には判例を支持するものもありますが、欺かれて自殺したとはいえ、自殺者は自己の命を絶つことを正確に理解していたのであるから、自殺教唆罪が成立すると解するものもあります。反対説からは、欺かれて錯誤に陥り、自らが侵害する法益が自分の生命ではないと誤信したような場合、すなわち錯誤が法益に関係している場合には自殺教唆罪ではなく、殺人罪が成立することになります(法益関係的錯誤説)。

5同意殺人罪
 同意殺人罪には、嘱託殺人と承諾殺人の2つの形態があります。嘱託殺人とは、被害者の依頼を受けて、その人を殺害する行為です。承諾殺人とは、被害者の承諾を得て、その人を殺害する行為です。

5-1殺人と同意殺人
同意殺人罪は外形的に見れば通常の殺人罪と同じですが、被害者が殺害されることに同意しているので、その違法性が減少し、その分だけ法定刑は軽くされています。個人法益については、その担い手に自己決定に基づく処分権があるので、被害者が同意している場合には、一般に犯罪の構成要件該当性が否定され、また違法性が阻却されます。しかし、生命については被害者本人によって処分されない絶対的な価値があるので、違法性は阻却されず、減少するだけです。生命という法益には、本人の意に反してでも保護される特殊性があります。
 嘱託や承諾は、殺害されることを理解する自由な意思に基づいてなければなりません。判例では、欺かれて承諾した場合は承諾殺人ではなく、殺人罪が成立すると判断されています(仙台高判昭和27・9・15)。被害者の同意に基づいて殺害した場合でも、安楽死の要件を満たしている場合には、同意殺人罪の違法性が阻却されることがあります(総論・被害者の同意)。被害者の同意がなければ、殺人罪の成立が問題になるだけです。推定的同意(総論・被害者の同意)は、一般の個人的法益に対する罪にはあてはまりますが、同意殺人罪の場合は「嘱託を受け」または「承諾を得て」と規定されているので、その推定は認められません。

5-2同意殺人と錯誤
 被害者が殺されることに同意し、それを行為者が認識していれば、同意殺人罪の故意が認められます。被害者の同意がないにもかかわらず、それがあると誤信した場合、客観的には殺人罪の構成要件に該当する違法な行為が行なわれていますが、行為者は同意殺人の認識しかないので、刑法38条2項により、殺人罪ではなく、同意殺人罪が成立します。また、被害者の同意があったにもかかわらず、それがないと誤信した抽象的事実の錯誤の場合については、法定的符合説により同意殺人罪が成立dします(総論・抽象的事実の錯誤)。これに対して、一方で同意殺人罪の成立を認めながら、行為者が被害者の同意の認識がないまま実行に着手した時点において、一般人を基準にして殺人罪の実行に着手したと評価し、同意殺人罪と包括して殺人未遂罪の成立を認めることもできます(総論・不能犯論・罪数論)。さらに、被害者の同意は殺人罪の違法性を減少させる要素であり、それは正当防衛における防衛の意思と同様に、行為者がそれを認識している場合にしか違法性は減少しない「主観的正当化要素」であると解すると、殺人罪の成立を肯定することもできます(総論・防衛の意思)。

6自殺の不可罰性の理由と自殺関与罪の実行の着手時期
 同意殺人罪は、被害者の同意を得て殺害する行為であり、この行為を開始した時点で、その実行に着手したと認定することができます。では、自殺関与罪の実行の着手については、どうでしょうか。この問題を自殺の不可罰性に関する3つの学説から考えてみたいと思います。
 「責任阻却説」は、自殺が処罰されない根拠を責任が阻却されることにあると捉えます。自殺者は精神的に追い詰められて自殺する場合が多く、自殺を決意したことを非難できないので、自殺は犯罪とはされません。この説からは、自殺には殺人罪の責任は認められませんが、一般の他殺と同様に殺人罪の構成要件に該当する可罰的な違法行為となることにはかわりないので、自殺への関与は(制限従属形式を前提にすると)殺人罪の共犯となり、その実行の着手時期は、正犯である自殺者が自殺行為を開始した時点において認められることになります。しかし、このように解すると、自殺への関与が自殺関与罪ではなく、殺人罪の共犯として扱われてしまい、刑法が自殺関与罪を設けた意味がなくなってしまいますが、刑法は、自殺への関与を殺人罪の教唆ではなく、自殺関与罪として処罰するとしているので、「責任阻却説」からも、自殺への関与は自殺関与罪として扱われることになります。刑法が自殺関与罪という規定を設けたのは、関与の対象は自殺であり、それへの関与を殺人罪の共犯よりも軽く処罰する必要があると考えたからだと思われます。そうすると、自殺関与罪は通常の殺人罪の共犯を特別に減軽した類型ということになります。ただし、自殺関与を殺人罪の共犯よりも軽く処罰すべき理由を正犯の自殺の違法性が殺人罪のそれよりも類型的に軽いことに求めるならば、自殺に殺人罪としての可罰的違法性を認める本来の立場と矛盾します。また、自殺への関与は類型的に非難可能性が減少すると考えることもできますが、自殺への関与が一般的にやむを得ない事情から行なわれる行為であるといえるかという点には疑問が残ります。従って、これらの疑問が払拭されない限り、「責任阻却説」からの説明に賛同することはできません。
 「違法阻却説」は、自殺それ自体が適法であると解するので、「責任阻却説」のように自殺関与罪を自殺者である正犯に対する共犯の関係において捉えません。自殺は適法であるということは、自殺によって惹起された自殺者の生命侵害は違法ではなく、他人の自殺に関与し、その生命の侵害を原因づけたり、促したりしても、そのことを理由に違法と評価されることはないということを意味します。では、自殺関与罪が処罰される理由はどこにあるのでしょうか。自殺関与罪の違法性の実質はどのようなものでしょうか。その保護法益は何なのでしょうか。自殺者が自己の生命を侵害しても違法ではなく、それに関与する自殺関与罪の違法性を生命侵害に関わらせて論ずることができない以上、自殺関与罪の違法性の根拠を、人の生命とは異なる法益の侵害に求めざるをえません。例えば、他人の死生の問題に干渉し、それを原因づけることは、死生の選択という自己決定の領域に介入し、個人の自律性を侵害するとか、あるいは自殺の風潮を蔓延させ、生命尊重の社会的規範を揺るがすといったことが、自殺関与罪の違法性の実質的根拠として考えられます。このように解しますと、自殺関与罪は、生命侵害行為を類型化した殺人罪とは異なる犯罪類型であることになり、その実行の着手時期は他人の自殺を教唆・幇助する行為を開始した時点に求められることになります。しかしながら、同意殺人罪の実行の着手時期については、被害者の生命に対して危険を及ぼす行為を開始しなければ、実行の着手は認められないにもかかわらず、自殺関与罪については、被害者の生命に危険が及ぶ前の教唆・幇助の段階で実行の着手が肯定されるとなると、未遂の処罰の時期が早まり過ぎるように思います。自殺関与罪の罪質は同意殺人とは異なるというのがその理由なのかもしれませんが、いずれも殺人の罪の章の同一の条文で定められているので、罪質が異なるというのは理屈として無理があるのではないでしょうか。罪質の相違について説得的な解釈がなされない限り、自殺関与罪の実行の着手時期が同意殺人罪よりも早くなるのは問題であるとの批判は免れないでしょう。
 「不可罰的違法説」は、自殺は殺人罪の構成要件に該当する可罰的な違法行為ではないが、法秩序から見れば違法であると解します。人の生命は他者のみならず、自己によっても侵害することは許されません。しかし、刑法は自殺罪という規定を設けて、自殺者個人からその生命を保護しようとまではしていません。あくまで他者による侵害、すなわち殺人罪、自殺関与罪および同意殺人罪によって保護しようとしているだけです。つまり、自殺それ自体は違法であって、生命は自殺者の意に反しても保護されねばなりませんそれが、自殺は犯罪ではなく、該当する構成要件もなく、従って可罰的な違法行為ではないということです。従って、自殺に関与する行為を「責任阻却説」のように(制限従属形式を前提にすると)正犯に対する共犯の関係において捉えることはできず、自殺関与は、教唆・幇助によって自殺者に自殺させる行為を実行行為とする独立した犯罪類型と解されます。ただし、その法益は殺人罪と同様に人の生命であることに変わりはありませんので、実行の着手時期は自殺を教唆・幇助しただけでなく、自殺者が自殺行為を開始した時点、すなわちその生命に対して現実的な危険が生じた時点において認められることになります。ただし、このような理解は制限従属形式を前提にしたものであり、それ以外の従属形式、例えば一般違法従属形式を前提にすると、正犯に犯罪の構成要件に該当する可罰的な違法性がなくても、共犯は正犯の一般的な違法性に従属していれば足りると解されるので、自殺関与罪を自殺という「正犯」に対する共犯の関係において捉えることもできます。このような理解からは、共犯としての自殺関与罪の実行の着手時期は、正犯である自殺者が自殺行為を開始した時点において認められることになります。