映画『コリーニ事件』が問いかけるもの 本田 稔
フェルディナント・フォン・シーラッハ原作、マルコ・クロイツパイントナー監督の映画『コリーニ事件』が2020年6月に日本で公開されるにあたり、配給会社の松竹株式会社から劇場用プログラムの作成を依頼され、『コリーニ事件』の歴史的背景とストーリーの展開のカギを握る「ドレーアー法」に関する解説文を書きました。
映画は、ある殺人事件から始まります。イタリア人男性のコリーニが逮捕され、若手弁護士のライネンがその弁護を引き受けます。ライネンはコリーニに犯行の動機を聞こうとしますが、何も話そうとしません。被害者は至近距離から数発の銃弾をけ、頭部を烈しく踏みつけられ、頭蓋骨が陥没するほどの被害を受けています。検察官が下劣な動機に基づく殺害であったと判断すれば、謀殺罪での起訴は避けられません。しかも、コリーニが殺害したのがライネンの恩人のハンス・マイヤーであり、被害者遺族側の公訴参加代理人は学生時代の恩師のリヒャルト・マッティンガー弁護士でした。ライネンは、恩人を失った悲しみと刑事弁護士としての責務の間で葛藤します。
しかし、公判廷に証拠として一挺の拳銃が提出されたのをきっかけに、事態は急変し、真相が浮き彫りになります。それはワルサーP38と呼ばれるカール・ワルサー社が1938年に製造した軍用自動小銃でした。ライネンは、子どもの頃、マイヤーの書斎に無断で入って遊んでいたとき、書棚の引出に同じものを見たことがありました。ライネンは、コリーニの出生地であるイタリアのモンテカティーニを訪ね、コリーニが謀殺罪でドイツの裁判にかけられていること、その被害者がハンス・マイヤーであることなどを住民に話す中で、1944年6月のモンテカティーニ事件を知らされます。その衝撃は、コリーニ事件をドイツの過去の歴史へと引き戻します。
第二次世界大戦の枢軸国のイタリアが1943年に降伏した後、連合国とドイツの戦闘はイタリアを舞台に新たな様相を呈します。連合国は南部からイタリアに上陸し、ドイツは北部から南下しながら、イタリアを制圧し始めます。その主戦場となったのが、コリーニの故郷のモンテカティーニでした。ナチスの親衛隊は村人の中に反ファシズム・パルティザン活動家を匿っている者がいることを嗅ぎつけ、見せしめとして20数名の村人を虐殺します。その中にコリーニの父親がいました。コリーニの目の前で父親を虐殺したのは、他でもないハンス・マイヤー親衛隊将校だったのです。これによってコリーニがマイヤーを殺害した動機が明らかになりました。裁判所に提出された拳銃がワルサーP38であったこと、マイヤーの書斎で見たのがそれと同じ型の小銃であったこと、コリーニの父親が1944年にわが子の目の前で親衛隊に虐殺されたこと、それを指揮したのがあの優しいマイヤーであったこと、いくつもの点が線で結び合わされた瞬間、この事件は、単なる謀殺罪被告事件を超えて、いまだ過ぎ去ることのないドイツの過去の戦争責任を浮き彫りにし、それを問い質すべき歴史の裁判へと変容し始めました。
しかし、なぜコリーニは父親の復習のためにハンス・マイヤーを謀殺する必要があったのでしょうか。ドイツの裁判所にマイヤーを告発することもできたのではないでしょうか。疑問に思ったライネンは、コリーニに尋ねます。すると、コリーニは1969年にドイツの裁判所に告発し、受理されたが、ほどなくして捜査が打ち切られたことを打ち明けます。コリーニは逆にライネンに尋ねます。「なあ、弁護士さん。なぜ捜査は打ち切られたんだ。教えてほしい」。ライネンはそれを調べる中で、1968年5月に連邦議会で可決された1つの法律にたどり着きます。秩序違反法施行法。この法律のなかに、刑法50条2項(当時)に、真正身分犯の共犯のうち、身分のない者の刑を必要的に減軽する規定を導入する刑法の一部改正規定が入っていました(いわゆるドレーアー法)。モンテカティーニの村人の虐殺行為は、下劣な動機から行われた謀殺罪です。その実行を親衛隊将校のマイヤーに命じたのはナチ党と軍です。謀殺罪の正犯はナチ党幹部であり、マイヤーはその幇助犯にあたります。ただし、捜査の過程で、マイヤーは上官の命令を受けて謀殺罪を幇助しただけで、決して下劣な動機から行ったのではなかったと判断されました。それを踏まえて、マイヤーの謀殺幇助の処断刑が減軽され、それを基準に公訴時効を算定した結果、マイヤーの時効は15年で、すでに1960年5月8日で完成していたことになりました。マイヤーの捜査が打ち切られたのは、秩序違反法施行法による刑法50条2項(当時)の改正があったからです。
ナチ親衛隊のイタリア人虐殺に「裏口恩赦」を与えながら、父親の復讐のためにマイヤーを殺害したコリーニを謀殺罪で裁けるのでしょうか。映画の最後は、コリーニ自身が判決公判の前日に命を絶ったために、被告人不在を理由に裁判の打ち切りが宣告されるシーンで終わります。正義とはいったい何でしょうか。映画『コリーニ』の問いは、その1点に集約されます。この映画の劇場用プログラムの作成に携われたことは、私にとって非常に有意義な経験でした。
フェルディナント・フォン・シーラッハ原作、マルコ・クロイツパイントナー監督の映画『コリーニ事件』が2020年6月に日本で公開されるにあたり、配給会社の松竹株式会社から劇場用プログラムの作成を依頼され、『コリーニ事件』の歴史的背景とストーリーの展開のカギを握る「ドレーアー法」に関する解説文を書きました。
映画は、ある殺人事件から始まります。イタリア人男性のコリーニが逮捕され、若手弁護士のライネンがその弁護を引き受けます。ライネンはコリーニに犯行の動機を聞こうとしますが、何も話そうとしません。被害者は至近距離から数発の銃弾をけ、頭部を烈しく踏みつけられ、頭蓋骨が陥没するほどの被害を受けています。検察官が下劣な動機に基づく殺害であったと判断すれば、謀殺罪での起訴は避けられません。しかも、コリーニが殺害したのがライネンの恩人のハンス・マイヤーであり、被害者遺族側の公訴参加代理人は学生時代の恩師のリヒャルト・マッティンガー弁護士でした。ライネンは、恩人を失った悲しみと刑事弁護士としての責務の間で葛藤します。
しかし、公判廷に証拠として一挺の拳銃が提出されたのをきっかけに、事態は急変し、真相が浮き彫りになります。それはワルサーP38と呼ばれるカール・ワルサー社が1938年に製造した軍用自動小銃でした。ライネンは、子どもの頃、マイヤーの書斎に無断で入って遊んでいたとき、書棚の引出に同じものを見たことがありました。ライネンは、コリーニの出生地であるイタリアのモンテカティーニを訪ね、コリーニが謀殺罪でドイツの裁判にかけられていること、その被害者がハンス・マイヤーであることなどを住民に話す中で、1944年6月のモンテカティーニ事件を知らされます。その衝撃は、コリーニ事件をドイツの過去の歴史へと引き戻します。
第二次世界大戦の枢軸国のイタリアが1943年に降伏した後、連合国とドイツの戦闘はイタリアを舞台に新たな様相を呈します。連合国は南部からイタリアに上陸し、ドイツは北部から南下しながら、イタリアを制圧し始めます。その主戦場となったのが、コリーニの故郷のモンテカティーニでした。ナチスの親衛隊は村人の中に反ファシズム・パルティザン活動家を匿っている者がいることを嗅ぎつけ、見せしめとして20数名の村人を虐殺します。その中にコリーニの父親がいました。コリーニの目の前で父親を虐殺したのは、他でもないハンス・マイヤー親衛隊将校だったのです。これによってコリーニがマイヤーを殺害した動機が明らかになりました。裁判所に提出された拳銃がワルサーP38であったこと、マイヤーの書斎で見たのがそれと同じ型の小銃であったこと、コリーニの父親が1944年にわが子の目の前で親衛隊に虐殺されたこと、それを指揮したのがあの優しいマイヤーであったこと、いくつもの点が線で結び合わされた瞬間、この事件は、単なる謀殺罪被告事件を超えて、いまだ過ぎ去ることのないドイツの過去の戦争責任を浮き彫りにし、それを問い質すべき歴史の裁判へと変容し始めました。
しかし、なぜコリーニは父親の復習のためにハンス・マイヤーを謀殺する必要があったのでしょうか。ドイツの裁判所にマイヤーを告発することもできたのではないでしょうか。疑問に思ったライネンは、コリーニに尋ねます。すると、コリーニは1969年にドイツの裁判所に告発し、受理されたが、ほどなくして捜査が打ち切られたことを打ち明けます。コリーニは逆にライネンに尋ねます。「なあ、弁護士さん。なぜ捜査は打ち切られたんだ。教えてほしい」。ライネンはそれを調べる中で、1968年5月に連邦議会で可決された1つの法律にたどり着きます。秩序違反法施行法。この法律のなかに、刑法50条2項(当時)に、真正身分犯の共犯のうち、身分のない者の刑を必要的に減軽する規定を導入する刑法の一部改正規定が入っていました(いわゆるドレーアー法)。モンテカティーニの村人の虐殺行為は、下劣な動機から行われた謀殺罪です。その実行を親衛隊将校のマイヤーに命じたのはナチ党と軍です。謀殺罪の正犯はナチ党幹部であり、マイヤーはその幇助犯にあたります。ただし、捜査の過程で、マイヤーは上官の命令を受けて謀殺罪を幇助しただけで、決して下劣な動機から行ったのではなかったと判断されました。それを踏まえて、マイヤーの謀殺幇助の処断刑が減軽され、それを基準に公訴時効を算定した結果、マイヤーの時効は15年で、すでに1960年5月8日で完成していたことになりました。マイヤーの捜査が打ち切られたのは、秩序違反法施行法による刑法50条2項(当時)の改正があったからです。
ナチ親衛隊のイタリア人虐殺に「裏口恩赦」を与えながら、父親の復讐のためにマイヤーを殺害したコリーニを謀殺罪で裁けるのでしょうか。映画の最後は、コリーニ自身が判決公判の前日に命を絶ったために、被告人不在を理由に裁判の打ち切りが宣告されるシーンで終わります。正義とはいったい何でしょうか。映画『コリーニ』の問いは、その1点に集約されます。この映画の劇場用プログラムの作成に携われたことは、私にとって非常に有意義な経験でした。