Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

刑法Ⅱ(各論)(第15週① 2016年01月14日)

2016-01-11 | 日記
 刑法Ⅱ(各論) 質問への回答
(1)個人的法益に対する罪
 殺人罪
Q 殺人罪と自殺関与罪の区別基準は何でしょうか。

A いわゆる偽装心中の事例では、判例は殺人罪説に立っています。学説には、自殺関与罪の成立を主張するものもあります。AがBに心中の話をもちかけ、「追死するから」と欺いて、自殺を決意したBに青酸カリを渡して、Bがそれを飲んで死亡した場合、BがAを追死すると錯誤していなかったならば、自殺を決意しなかったであろうといえます。つまり、Bの自殺の意思は、錯誤に基づくものであって、真意による自殺の決意ではないので、Bの行為を自殺と認定することはできません。従って、Aには自殺教唆罪ではなく、殺人罪が成立します。これが判例の考え方です。
 これに対して、学説には、BはAが追死すると錯誤していましたが、青酸カリを飲めば生命という法益を処分することになるという点については錯誤はなかったので、Bの行為を自殺と認定して、Aに自殺教唆罪の成立認めるものもあります。Bには自殺について錯誤はなく、動機について錯誤があるだけです。
 Aは、Bを欺いて、青酸カリを手渡しただけです。しかし、これも殺人罪の実行行為にあたります。Bに自殺を決意させて、青酸カリを渡せば、Bがそれを飲むことは明らかです。このように錯誤に陥ったB(被害者)の行為を利用する場合も「人を殺す」行為にあたります。


 傷害罪
Q 故意の傷害から予期せぬ致死の結果が発生した場合、傷害致死罪が成立しますが、それは傷害罪の結果的加重犯です。意思の連絡のない2人以上の者が、傷害の故意により特定の行為客体に暴行を加えて傷害を負わせた場合、誰の暴行が原因となって傷害が生じたのかが不明であっても、刑法207条の「同時傷害の特例」を適用して、傷害罪の共同正犯の成立が認められます。そこから、さらに死亡結果が発生した場合、判例では傷害致死罪の共同正犯が成立することになります。
 では、意思の連絡のない2人以上の者が、殺人の故意により特定の行為客体に暴行を加えて、傷害を負わせた場合、誰の暴行が原因となって死亡に至ったのが不明な場合、どのような罪が成立するのでしょうか。刑法には「同時殺人罪の特例」がないので、死亡結果との因果関係が明らかにされない限り、いずれの行為者にも殺人未遂しか成立しないのでしょうか。

A この質問は、同時傷害の特例に関する判例の法理が他の犯罪(殺人罪などや)にも適用されるのかどうかを問題にしています。意思の連絡のない2人の者が、1人の被害者に故意に暴行を加えた場合、それぞれに暴行罪が成立します。被害者が負傷した場合、負傷がどの暴行に起因するのかが不明であっても、両者に傷害罪の成立を認めるのが、刑法207条の「同時傷害罪の特例」の趣旨です。さらに、その傷害から死亡に至った場合、両者に傷害致死罪が成立するというのが判例の立場です。条文は「同時傷害の特例」なのですが、判例はそれを「同時傷害致死」の場合にも拡大適用または類推適用することを認めています。
 このように暴行と傷害との因果関係、さらには致死との因果関係が不明であっても、傷害罪や傷害致死罪の成立を認めることができるのは、刑法207条の規定があるからです。従って、このような規定がない犯罪の場合に特例を認めることはできません。例えば、意思の連絡のない2人の者が、特定の被害者に対して殺人の故意で暴行を加え、被害者は死亡したが、それが誰の暴行に起因するのかが不明な場合には、「同時殺人罪の特例」のような規定がない以上、2人の者に殺人既遂罪の成立を認めることはできません。
 しかし、この問題は一般には刑法総論の因果関係論のところで説明されています。例えば、AとBが意思の連絡なしに、Xが飲むコーヒーに致死量の同じ毒薬をほぼ同時に入れ、それを飲んだXが死亡した場合、Aの毒薬がなくても、Bの毒薬でXは死亡していたと認定できるので、Xの死亡結果はBの行為が原因であり、Bに殺人既遂罪が成立し、Aには殺人未遂罪しか成立しないと論ずることができます。それはAの行為についても同じことがいえます。Bの毒薬がなくても、Aの毒薬でXは死亡していたと認定できるので、Xの死亡結果はAの行為が原因であり、Aに殺人既遂罪が成立し、Bには殺人未遂罪しか成立しないと論ずることができます。そうすると、A・BともにX死亡との因果関係が否定され、Xが死亡したにもかかわらず、殺人未遂罪しか成立しないという不可解な結論になってしまいます。この不合理さを回避するために、A・Bの2人の行為がともに行なわれなかったならば、Xは死亡することはなかったので、Xの死亡はA・Bの行為と因果関係があると論ずる見解が有力に主張されています。
 この見解は、因果関係論の問題として論ずることによって、刑法に規定のない「同時殺人罪の特例」を作り出す効果を果たしているといえます。


 危険運転致死傷罪
Q 危険運転致死傷罪は、故意に危険運転を行ない、そこから予期しなかった致死結果が生じた場合に成立します。結果的加重犯の一種であると理解されています。運転者が、危険運転をしていることの認識がなかった場合、基本犯である危険運転の故意は否定されるのでしょうか。

A 危険運転致死傷罪は、結果的加重犯の一種です。危険運転の認識がなければ、危険運転致死傷罪は成立しません。ただし、「危険運転」というのは、法的概念・規範的概念なので、行為者が「自分は危険な運転をしているつもりはなかった」と認識していても、それを理由に「危険運転」の認識がなかったことにはなりません。アルコールや薬物などを使用して、制限速度を超えるスピードで自動車を走行することを繰り返し行なっている者は、アルコールなどを使用して、制限速度を超えて、不安定な運転している事実の認識はあっても、「自分は危険運転をしているつもりはなかった」と言う場合があります。しかし、重要なことは、運転者が危険運転を認識していたかどうかではなく、行為者が認識していた事実がこの法的概念にあてはまるかどうかなのです。運転者はアルコールなどを使用して、制限速度を超えて、不安定な運転している事実を認識していれば、行為者には危険運転の認識があったと法的に評価することができます。
 極端な例ですが、例えば被疑者が「生命に危険な毒薬を飲ませたのは事実だが、殺すつもりはなかった」と述べて、殺意を否定したとします。しかし、この場合、「生命に危険な毒薬を飲ませたのは事実」を認識しているので、殺人の故意が認定されます。この論理と同じです。


Q 単純過失と重過失の違いは何か。

A 自転車中の事故について、重過失致傷罪の成立を認めた判例があります。過失とは、結果発生の予見可能性ですが、それが誰の目から見ても明らかで、非常に軽率な行為からそれを発生させた場合、重過失にあたります。


Q 堕胎罪と母体保護法の人工妊娠中絶の関係について
 堕胎とは、自然の分娩に先立って、人為的に退治を母体外に排出する行為です。そのような行為を行えば、胎児は死亡する危険に見舞われます。しかし、妊娠を継続すると、母体の生命が危険にさらされる危険がある場合、22週目までの胎児にかぎって、その危険を回避するために行なう堕胎の違法性が阻却されまる。それが人口妊娠中絶です。
 母親の生命と胎児の生命を天秤にかけることは容易ではないので、人口妊娠中絶には批判的な意見を持っている人もいます。これに対して「産む自由」を主張して、人口妊娠中絶を広く許容すべきであるという主張もあります。ただし、いずれの立場に経とうとも、殺人罪と堕胎罪の区別(判例は一部露出説)、処罰される堕胎罪と処罰されない人口妊娠中絶の区別(22週目の胎児)を明確にしておくことは必要です。


Q 自動車を運転していると、事故に遭った被害者が倒れていたとします。ドライバーは降車して、負傷者を自車に乗せて、病院に運ぼうとしたが、もう助からないと思い、途中であきらめ、別の場所に連れて行き、おきざりにした場合、どのような罪責が成立するのか。

 結論的には、保護責任者遺棄罪が成立します。置き去りにするという不作為も遺棄にあたりますが、それはドライバーが保護責任者だからです。他人であっても、負傷して倒れている人を助けることは大切なことですが、いったん救助を引き受けた以上は、病院に連れて行くなどしなければなりません。それをおこなわずに、別の場所におきざりにすると、負傷者の生命・身体への危険が生ずるからです。


 住居侵入罪
Q 住居侵入罪の保護法益は「住居の事実上の平穏」であるという見解が有力に主張されていますが、この「平穏」はどの程度のことを指すのでしょうか。

A 住居侵入罪の保護法益をめぐって、意思侵害説と平穏侵害説の間で対立があります。意思侵害説とは、住居侵入罪の保護法益を居住者が住居への他人の立ち入りを許諾する自由と捉え、平穏侵害説は、住居の事実上の平穏と捉えます。判例は前者の意思侵害説を採用していると理解されていますが、後者の平穏侵害説も有力です。
 問題は、「住居の事実上の平穏」の意味ですが、それは個別的に判断することになります。集合住宅であれ、戸建住宅であれ、そこを利用する人は、一般に玄関から立ち入りますが、それとは別の場所から出入りする人がいる場合、その住居は通常の状態にはない、つまり平穏ではないと判断することができます。平穏かどうかは、その外観の非日常性によって判断されることになります。

 強姦罪
Q Aが姦淫目的を秘して、Bを「家まで送る」と言って、同意を得てバイクに乗せ、疾走して降りられないようにしたところ、Bが怖くなって飛び降りて負傷した場合、Bの同意は錯誤によるもので、無効であり、監禁罪の違法性は阻却されないのでしょうか。

A Bはバイクに乗ることで移動の自由の制限を受けることに同意していましたが、Aの姦淫目的を知っていたならば、同意することはなかったと考えられるので、その同意は無効です。従って、Aの行為は、監禁罪の構成要件に該当し、その違法性は阻却されません。


Q 集団強姦罪と強姦の共同正犯との違いについて教えてください。

A 強姦罪の共同正犯は強姦罪の任意的な共同正犯であり、集団強姦罪は必要的な共同正犯です。強姦罪の共同正犯は、関与者が強姦罪の実行行為を一部(暴行・脅迫)でも分担していれば、結果の全部に対して責任を追わなければなりません。集団強姦罪は、関与者が集団強姦罪の「姦淫」を行なっていなければならないかどうかは学説では十分に議論されていません。私は、関与者全員が姦淫を行なっていなければ、集団強姦罪は成立しないと理解しています。


 財産犯
Q Aが、公園のベンチに財布を置き忘れ、その後、Bがそれを自分のものにしたとします。その場合、財布に対するAの事実上の支配が及んでいる場合、Bの行為は窃盗にあたります。では、次の場合はどのように理解すべきでしょうか。Aが財布を置き忘れて、5mほど離れ、すぐに思い出したが、善意のCがそれを拾い上げ、隣にいたBの忘れものだと勘違いして、Bに渡した場合です。

 Aはベンチに財布を置き忘れましたが、5メートルほど離れただけで、しかも短時間しか経過していないので、Aの財布に対する事実上の支配は及んでいると認定することができます。それをCが拾い上げた行為は、Aの財布に対する占有を補強するものであり、Cが財布を手にしていても、Aの占有は失われません。問題は、それがBの手に渡った事実をどのように評価するのかです。BがそれをCから受け取った場合、どうなるでしょうか。Cは「この財布はBの忘れ物である」と錯誤し、それをBに手渡しています。つまり交付しています。BがCが錯誤していることを知りながらそれを受け取ったならば、Bには詐欺罪が成立しそうですが、BはCを欺いたわけではありません。Cが一方的に勘違いしただけです。Bがその勘違いを正さずに、それを利用して財布を受け取ったが、それを正す義務があったならば、義務に反する不作為による詐欺罪として扱うこともできますが、それができないなら、詐欺罪は成立しません。しかし、Bは、錯誤に陥ったCの交付行為を媒介にして、A占有の財布を取得したと理解して、窃盗罪が成立すると解することができます(窃盗罪の間接正犯)。


Q 業務上横領罪の共同正犯において、判例は、非身分者に対して、業務上横領罪の共同正犯の成立を認めた上で、科刑については単純横領罪を適用しています。このように共同正犯の成立とその科刑とを分けたのは何故でしょうか。

A その判例は、刑法65条1項と2項を次のように理解しています。刑法65条1項は、身分犯の共犯について成立する罪名に関する規定であり、65条2項は、各共犯者に適用される刑に関する規定である。例えば、保護責任者Aと保護責任のないBが共同して遺棄した場合、A・Bは保護責任者遺棄罪の共同正犯になります(65条1項)。そして、Bには保護責任者の身分がないので、「通常の刑」が科される単純遺棄罪が成立します(65条2項)。この論理を業務上横領罪の共同正犯に適用したのが、ご指摘の判例です。
 しかし、現在の通説・判例は、刑法65条1項と2項について、この判例のようには理解していません。65条1項は真正身分犯の共犯、2項は加減的身分犯の共犯に関する規定であると理解しています。判例の事案の場合、直接的に65条2項を適用することで処理できます。


Q 窃盗罪と横領罪の違いは、何でしょうか。

A 窃盗罪は他人が占有する財物を窃取する行為、横領罪は自己が占有する他人の物を横領する行為です。当該財物を占有するのが誰かによって、窃盗罪と横領罪は区別されます。


Q AはBの財布を「隠す」ために、その占有を自己に移転した場合、窃盗罪にあたるのでしょうか。

A この問題は、財布を自己の占有に移転している以上、客観的に窃盗罪の構成要件該当性を認めることができますが、不法領得の意思がなければ、窃盗罪は成立しません。「隠す」という行為は、権利者を排除して、その経済的用法に従って処分する行為にあたるならば、その認識があったので、不法領得の意思を認めることができでしょう。


(2)社会的法益に対する罪
 放火罪
Q ゴミ屋敷のゴミに放火した場合、現住建造物放火罪が成立するのでしょうか。それとも建造物以外放火罪が成立するのでしょうか。ゴミ屋敷は、住居とゴミの区別が困難であり、それらが物理的に一体化していると言えるので、ゴミ屋敷のゴミへ放火することは、屋敷への放火であると考えられるのではないでしょうか。

A テレビニュースなどで報道されているゴミ屋敷を念頭に置くと、屋敷からゴミがあふれ、歩道などにもゴミが積まれているような場合、ゴミと屋敷は一体的につながっているので、ゴミに放火することは、屋敷に放火することであると評価できます。また、屋内ガレージの自動車に放火する場合も、建造物と屋内ガレージが構造的に一体的であれば、自動車への放火は建造物への放火と評価されます。


 わいせつ物頒布等について
Q判例百選刑法Ⅱの102「販売の目的の意義」に関して、ぼかし無しデータ(オリジナル)とぼかし入りデータ(コピー)があり、販売する目的で所持していたのは、オリジナルではなく、コピーのほうであった場合、オリジナルに対しても販売目的が認められるのでしょうか。

A 行為者はわいせつ図画のオリジナルからコピーを作成し、その両方を所持しています。両方ともわいせつ図画です。行為者は、コピーを販売する目的で所持しているので、わいせつ図画の販売目的所持罪が成立し、それは没収の対象になります。オリジナルについては販売するつもりはなかったので、それについては販売目的所持罪は成立しないならば、没収を免れます。このように所持の対象と販売の対象の形式的な同一性を重視するならば、オリジナルの所持には販売目的は認められないことになります。
 このような解釈によって、わいせつ図画が社会に蔓延して性同徳が乱れるのを防げればよいですが、あまり期待できないでしょう。やはり、販売目的のないオリジナルについても、販売目的を肯定する議論をする必要があるでしょう。行為者はコピーを販売する目的でコピーだけでなく、オリジナルも所持していました。この場合、コピーとオリジナルは、わいせつ図画という意味において実質的な同一性があります。この実質的同一性を重視すれば、オリジナルにも販売目的が認められます。


 文書偽造罪
Q 「偽造」の意義に関して、有形偽造は形式主義に、無形偽造は実質主義にそれぞれ基づいているという解釈でよろしいでしょうか。

A 公文書であれ、私文書であれ、それを作成することができるのは、作成権限を有する名義人だけです。文書の作成者と文書の名義人が一致しているという形式が重要なのです。この考え方が形式主義です。従って、作成権限のない者が勝手に文書を作成するのは違法な行為です。これを「有形偽造」といい、この違法性は形式主義から説明することができます。
 では、作成者と名義人が一致していれば、どんな文書であっても、問題ないのでしょうか。例えば、文書の作成者と名義人が一致していますが(形式主義からは問題はない)、内容虚偽の文書である場合はどうでしょうか。それは問題です。作成権限のある者が虚偽内容の文書を作成するのもまた違法です。これを「無形偽造」といい、この違法性は実質主義から説明することができます。


◯刑法197条の4「あっせん収賄罪」について、公務員Aが賄賂を収受して、他の公務員Bに相当の行為を行わないようあっせんした場合に成立しますが、賄賂をもらっていないBは、どのように扱われるのでしょうか。

 Bは、Aからあっせんされて、相当の職務を行なわなかっただけです。賄賂を収受していないので、収賄罪関連の法律で裁かれることはありません。