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《 リアル 芸能 ルポ 》 東映映画の娯楽ヒット作を、ボン!ボン!と、世に放ち続けた佐藤純彌・監督。死して、知られていない逸話・ウラ話、今も残して・・・

2019-02-17 18:53:56 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

 そうかあ・・・・・

 あの、佐藤純彌(じゅんや)・監督が、この2月9日に、亡くなっていたのかあ・・・・・・。

 もう、老齢にはなっていたせいか、近年、監督作品や、脚本も、お目に掛かっていなかったので、そうかあ・・・・と。

 86歳であったとか。他界して、近年、著名人でも数多い家族葬も、ひっそりと終えて、8日後の、今日、東映を通じて、公表。

 代表作として、出てきたのが、「新幹線大爆破」。

  ( 東映提供 。以下、同様 )

  この映画。ポスターのように、髙倉健の主演になっているが、実は、当初、髙倉健ではなかった。

 別の俳優で、脚本も出来上がり、撮影に突入するはずだったという。

 ソレを、後日、ばらしたのは、この佐藤純彌監督と、この映画のプロデューサー。

 この裏話。

 私が、直接聞いたわけではない。

 「月刊 シナリオ」に載っていた、別の連載記事を、図書館で探しまくっていた時、偶然、目にした、当時の東映映画のスタッフ陣が、実はあの時さあ・・・・・という、秘話や、裏話を談話していた連載を見つけ、読んだもの。

 あの髙倉健が、どこで、どう、撮影所でかぎつけたのか、脚本まで、ひそかに入手。

 読んで、コレは、何としても、俺がやりたい! なんなら、やらせてくれるんなら、端役でも良い。ギャラはタダでも良い!とさえ、言って、熱意をみせたという。

 そんな映画、髙倉健では、最初にして、最期の作品。

 あの、健さんが、やりたいって言ってきたんだぜえ・・・と、方針、コロリ、変更。

  脚本も、主演の健さん仕様に、大幅に書き換えられて、撮影に入ったという。

 で、ギャラ。

 タダどころか、いつもの、東映役者陣で、ダントツの高いギャラの、髙倉健。

 結局、そのギャラは、いざとなったら、1円も引き下がることなく、「俺はさあ、おカネには細かいよ」と、普段からクチにしていた、彼らしい、手口で、満額、手にした。

  ラストに向けて、この、同じ健でも、宇津井健の熱演もあって、興行成績は、大成功。

 もし、こけていたら、大変なことになっていたそうな。

 同じく、佐藤純彌監督で、今回、代表作として、列挙されていた

  「君よ、憤怒(ふんぬ)の河(かわ)を渉れ(わたれ)」

 コレもまた、最期の最後まで、意表を突く展開で、なんと、マジに中国で、ホントに多くの人に観られた。

 とりわけ、新宿歌舞伎町界隈に、何頭もの馬を爆走させたシーンは、余りにも、有名だ。

 警察の許可が取れるはずもない、シーン。

 どんな、交渉や、始末書で済ませて乗り切ったのか、書かれていなかったような記憶がある。 

 故・原田芳雄の、「怪演」といい、脱ぐのを最後まで嫌がったうえに、乗馬まで、全部、吹き替えで済まし、ワガママ一杯を相変わらず通した中野良子が、

  この映画、たった1本で、仕事の依頼すら皆無の日本と違い、いまでも、時折り、中国で忘れられていない「女優」として、クビと仕事がつながっている・・・・というのは、中野良子にとっては、幸運というほかない。

  また、この佐藤純彌監督が、極寒の地で、撮影に挑んだ

  「植村直己物語」。

 コレは、本当に厳しい寒さと風雪という、条件の取り巻くなかで、撮影が敢行されたことは、

 私が、実際、主演の西田敏行に聞いていた。

 「本当にさあ、下手したら死ぬかも? と、思ったシーンが、何度かありましたよ」とまで、想い出しながら、言っていたほど。

 この佐藤純彌・監督。

 映画は面白いのが、バンバンあるのに、人知れず、表に出なかった人。

 しかし、娯楽作を撮らしたら、東映で、ベスト3に入る実力持ってた人であった。もっと、もっと、評価されてい監督で有ったように、改めて想う。

 人は死しても、快作を残す。

 今日も、まさに、偶然。

 CSで、ジョー山中が出演していた関連で、あの角川映画ゆえのヒット作、「人間の証明」が、先ほどまで放送されていた。

 お疲れ様でした。

 楽しい、観る者を、ワクワクさせる娯楽映画の数々。

 本当に、ありがとう、ございました。

 記事に代えて、御焼香させていただきます

 

 



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