≪ 2017・8・26 掲載記事 ≫
私の記事を検索しようとする人の中で、問い合わせや、調べてみてください、みたいな短文を目にすることがある。
本日も、北公次、コーちゃんのお墓は、どこに行けば有るんでしょうか?みたいな文が、目についた。
ん? なにか、本日、フォーリーブス関連のイベントでもあるんだろうか?と想い、自分の記事を再読。
そうだ、そうだ。彼は創価学会の会員だったんだ。
葬儀会場は、故人の信じていた宗教問わずの斎場であったが、中で取り仕切っていたのが、地域の創価学会の会員の人達。
このような華やかな遺影も、彼が着ていたステージ衣装も飾られていたので、宗教色はまったく感じることは、無かった。
今、思い出せば、そう言えば、あーたら何たらという「戒名」の立札は無かった。
ソレが、宗教の違いと言えば、違いか。
では、どこに墓が?
創価学会の本部に問い合わせる?
これまでのココでの取材で、良い想いを抱いて帰ったことは、タダの一度もない。むしろ、逆。
屈強な男たちに、囲まれ、暴力を振るわれそうになったことまである。ひとりでは、危険。その行為を、ビデオ撮影する人間が、最低もう一人必要だと痛感している。
それでなくとも、墓ともなると、近年、個人情報の最たるものになっていて・・・・・。
故・髙倉健の取材でも、苦労したんすから・・・・・。
でもって、北公次こと、松下公次。
おそらく、ほぼ間違いなく、このように一律的に並べられた形状のお墓の一つになっているはずです。
そこに、名前が、これまた一律的なデザインで刻まれているようです。
関東の郊外にある、学会占有の広大な敷地、いくつも有り、且つ、ものすごい数の、同じコレが、ずらーーーーーっと、タテヨコに、このように並べられています。
そのどこに?
今日は土曜日。本部も休みと想われ、さらに個人情報のぶ厚い壁もあり、と・・・・・・。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
創価学会の対応が予想した以上に、あまりにひどく
疑問を感じ、再びのちに、再取材。
結果、すでに、別の北公次だけの記事には写真とともに、詳しい住所地も書きましたが、彼の墓は、産まれ故郷である、和歌山県に有りました。
申し訳ありません
ファンの方はそちらの記事を読んで下さい
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
こりゃあ、北公次のことも、青山孝史のことも、心から悲しんでいたように想われる、おりも政夫のブログを見れば、ヒントを得られるかも?
見て、眺めて、読んでいくと・・・・・
アッ! 今日8月26日、故・青山孝史こと、城下孝行の「生誕祭」が、おりも政夫も顔を出して、どこかで行われるコトを知った。
だからの、問い合わせだったのだろう。
誕生日は、8月10日か。
大阪での舞台参加公演を終えて、おりも政夫。
彼の姓である「城下家の墓」に赴き、ファンによって捧げられ、飾られていた花々が、しおれ、腐り、見る影もなくなっていたらしく、汗だくになって集め、この墓もキレイに洗い、掃除したあとの墓が、コレ。
そこに、おりも政夫と言う人間の性格が、そこはかとなくにじむ。
ならば、あともう一人の生き残り。カツラをきれいにかぶって、芸能活動をし続けている、江木俊夫は、青山のコトをまだ記憶しているのだろうか・・・・・・。
ブログには、かつての人気者たち数人とバンド活動を始めたという宣伝が打ち込まれており・・・・・
見てゆくと、彼も、高尾には行って、墓に手を合わせてきた。
すっかり、きれいになっていたお墓。
そこで、墓の上に両手を乗せて、平気で、こんな写真を撮って、さらにブログに載せてしまう。
彼、すでに60と5歳。
分別、常識があっても、良い年齢か、と想うのだが・・・・・・・・。
暑いなか、わざわざ遠い高尾まで出かけてきたんだぞという、いわば「証拠写真」のつもりだったのであろう。
軽ーーーい気持ち、だったのだと想う。
2人のブログを見比べると、どうも、数日前におりも政夫が赴き、墓をきれいにしてきたことは、江木は知らなかったようだ。
互いに、携帯電話やメールでやりとりしている親しい仲では無いことは、知ってはいた。
おりもが、キレイにしてくれていたことをブログで知って、だから両手を上に乗せて撮影したというのも・・・・・。
後ろ、土足の跡が残ってやしないであろうか・・・・・・。
青山孝史こと、愛称「ター坊」が、57歳と言う若さで、ガンで他界してもう8年7か月。
北公次の記事でも書いたが、熱心なファンは、この時、右端に立つ北公次が、同じ病に掛かっていると、見抜いていた。
この土気色の顔を見て、囁き合っていたとも。
その青山の父としての、瞬間の表情は、とても柔らかい。
この男児。今は、この8月4日で、35歳にもなっていた。
現在歌手をしており、結婚もし、彼もまた、男の子が産まれているという。
孫の顔を見ることも無く、この世を去った、青山孝史。
奇縁、偶然だが、父と息子。共に、8月生まれ。
今日の生誕祭。
おりも政夫は出たようだが、江木は顔出しもしていないと聞いた。
その人間としての、ありように、性格に・・・・・・・・
語るべき言葉も、ない