この群馬大学医学部附属病院における、連続手術後の死亡頻発事件は、ず~っと関心を抱いてもらい続けていた。ひとりの記者としては、まことにありがたく思っています。
すでにご存じのように、昨日より、病院側が依頼した、二つ目で、やっと真の意味に近い「第三者調査委員会」の報告書が約5か月も掛けて完成し、大学学長に手渡された。
その後、上田裕一・委員長(写真左下)だけによる記者会見形式の説明会が、番記者に向けて行われたようだが、期待していた報告はなにひとつ、やはり無かった。
委員会の模様は、このようなカンジで行われていた。
カメラを向けられると、露骨に眉間にしわを寄せ、にらみつける女性委員もいらした。
この半年間で、全12回の委員会が開催されたが、このように全員が揃うことは、実は少なかった。新聞報道では、35回にわたってと、強調されているが、それは遺族らや、病院側への聴き取りを合わせたすべての回数だ。
欠席は、危惧していた。
というのも、6人中、なんと4人が遠方から上京。
委員長が、奈良県からだし、そのほかも名古屋市、大阪市、宮崎市からの遠方組。他2人も、東京都と茨城県に仕事場があり、委員会は午前開始が多く、勢い、前夜にホテル泊して備えるというパターン。
聴き取りは、東京でも行われたが、死に至った遺体の恨みが天空を今もさまよっている病院がある、群馬県前橋市などで行われることもあった。
むろん、6人は揃いにくい。
さらに、この6人の内訳を書くと、医学関係者が3人、他の3人は医療過誤に詳しい有識者。
とはいえ、累々と60人近くもの患者が、手術後間もなく死んでいった須野瀬医師(現在も)の専門である、腹腔鏡手術や、肝臓の開腹手術を一度でも手掛けた医師は、ただの1人もいない。
本日も公表されたなかでは、須野瀬の上司であった教授の責任を問うくだりがあっただけ。
そもそも、第一回の委員会が開かれた後の会見で、上田はこう言ってのけた。
「これは、だれか特定の人物の責任追及のための会合では、決してありません。そこを見間違わないで戴きたい。勘違いをしないようにして戴きたい」
「あくまで、再発防止のための提言を病院側にするためのことが目的です」
「病院側の、信頼回復のための活動をしたい」
結果は、その瞬間から透けて見えていた。
それに対して、病院側、遺族側、そして弁護団はどのようにしていたか。
(つづく)