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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」(その4):「対立」と「統一」の「無限の運動」(「無限性」)が「実在」の「真理」だ!「無限性」は「生命」だ!

2024-05-25 16:20:56 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」(その4)(131-132頁)
(25)-10 「生物」は「環境」を食いものにしておのれを再生している!「環境」と結びつくことなしには「生物」はおのれの生命を維持することはできない!
★さらに「生物」(「生命」・「生きもの」・「客観的即自的な無限性」)を、「生物の世界全体」として考えても事情は同様だ。(131頁)

★「生物」がおのれを「再生」するのは主として「食物」をとるという活動によって行われるから、つまり「『生物』は『環境』を食いものにしておのれを再生している」。(131頁)
☆そのかぎり「生物界全体」は一つの「個体」のためにある。その「個体」は「生物界全体」から独立し、「他の生物」をおのれの手段としている。(131頁)
☆つまり「生物」がおのれを「再生し形態づける」ことができるのは呼吸や食物の摂取消化により、「環境」を食いものにして生きていることによる。(131頁)
★これを裏からいうと、「生物」は「環境」と連関するのであり、「『環境』と結びつくことなしには『生物』はおのれの生命を維持することはできない」。(131-132頁)

(25)-10-2 「生物界全体の生命活動」(「統一的普遍的生命」)が「個体」としておのれ自身をあらわしていく!
★かくて一つの「個体」が独立の「個体」としておのれの生命活動を営み、おのれを形態づけ組織していくことは、「生物界全体の生命活動」が「個体」としておのれ自身をあらわしていくことだ。(132頁)
★したがって「一つの個体が他の個体から非連続的に独立している」ということは、裏からいうと「他の生きものとの間に連続をなすし、そこに運命の交流がある」ということだ。(132頁)

★「統一的普遍的生命」(「生物界全体の生命活動」)が、それぞれの「個体」のうちにおのれをあらわすというのは、「生物界全体」も「個体と普遍」、「空間と時間」、「連続と非連続」というもろもろの対立をもち、かかる対立が成立しながら相互に転換し「無限性」を実現していくことだ。(132頁)
Cf. 「空間的」たることは「非連続的」、「時間的」たることは「連続的」だ。(131頁)

★かかる「生物の世界」が「欲望の対象」だ。(132頁)

《参考1》(B)「自己意識」の段階(Cf. (A)「意識」or「対象意識」)において、「自己」はまず「欲望」という態度をとる。ヘーゲルは「欲望の対象」になるものを「生命あるいは生きもの」と規定する。かく規定する根底には「無限性の原理」がある。(129頁)

《参考2》へーゲルは「無限性」について2通りのもの区別する。すなわち①「無限性であるにとどまる」場合と、②「無限性であることを自覚している」場合だ。即ち①「客観的な即自的な無限性」(普通に「生命」とか「生きもの」とかいわれるもの)と②「対自的自覚的な無限性」だ。(129-130頁)
《参考2-2》ヘーゲルによれば、「無限性」の立場では「対立がありながら統一に帰入し、そうして統一がまた対立に分裂する」が、このような「運動」であるだけで、そうであることを「自覚」していないものが「生命」(「客観的即自的な無限性」)である。(130頁)

(25)-11 「対立」と「統一」の「無限の運動」(「無限性」)こそが「実在」の「真理」だ!「無限性」とは、「絶対的なる概念」、「生命」、「生命の単純なる本質」、「世界の心」、「偏在せる血」である!
★このように考えてくると、すでに「生命」の世界においてヘーゲルの思想のほとんどすべてが現れており、「生命」の概念がヘーゲルにとっていかに重要であるかがわかる。(132頁)
☆すでに述べたヘーゲル『体系断片』(1800)において、彼は「生命」の立場からすべてを解明しようとしたのも、もっともなことだ。(132頁)
☆ただヘーゲル『精神現象学』(1807)では、彼はその行き過ぎをさとり、「生命」の概念には適当な位置があたえられるようになっている。(132頁)

《参考1》「無限性」とは、「絶対的なる概念」、「生命」、「生命の単純なる本質」、「世界の心」、「偏在せる血」である!「無限性」はヘーゲルの「概念」にほかならない!  
☆「無限性」の概念についてヘーゲルは『体系断片』(1800)で次のように述べる。「この単純なる『無限性』または『絶対的なる概念』は、これを『生命の単純なる本質』、『世界の心』、『偏在せる血』と呼ぶことができる。即ち『①一切のうちに現在して、②いかなる区別によっても妨げられ遮られることなく、かえって③それ自身区別であると共に一切の区別を止揚しており、したがって④おのれのうちで脈打ちながらしかも動揺することなく、⑤おのれのうちで震動しながらしかも不安なることのない』ところの『偏在せる血』と呼ぶことができる。」(122頁)
☆このようにヘーゲルは『体系断片』(1800)で、「生命」という見地から世界観を展開するが、その「生命」は「無限性」と全く同一だ。(122頁)

《参考2》「対立」と「統一」の「無限の運動」(「無限性」)こそが「実在」の「真理」だ。(120頁)
《参考2-2》「説明」(「無限性」という「真理」)は「思惟の主観的な運動」ではない。「説明」はむしろ「客観そのもの、実在そのものの運動」だ。ヘーゲルはこの「運動」を「無限性」と名づける。「実在」の「無限性」(「無限の運動」)こそが「真理」だ。(120-121頁)
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