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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(二)「自己意識」3「自由」(その5):『精神現象学』の目的は、「反省」の媒介を尊重しつつ「実体性を恢復する」ことだ!「実体性の立場」!

2024-06-10 13:02:14 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(二)「自己意識」3「自由」(その5 )(155頁)
(30)「実体性の立場」とは「個人が独立性を主張せずに絶対者に帰依し、あたかも(個人が)実体に対する属性のごとくそれ(実体)に帰属している」というものだ!「実体性の立場」とは(中世クリスト教の)「信仰の立場」だ!
★翻って考えてみると、「序論」においてヘーゲル『精神現象学』の目的は、「反省」の媒介を尊重しつつ「実体性を恢復する」ことだと述べた。(155頁)
★ところで「実体性の立場」とは「個人が独立性を主張せずに絶対者に帰依し、あたかも(個人が)実体に対する属性のごとくそれ(実体)に帰属している」というものだ。(155頁)
☆したがって「実体性の立場」とは「信仰の立場」だ。(155頁)
☆「中世クリスト教」のもとにおける「人間」が、「日々の糧」も「能力」も「才能」も「神の与え給うところのもの」であると感じて「感謝」し、「貪らず所有を喜捨寄進」し、また「なにごとについても教会の指示を仰いで生活」していたということは「実体性の立場」にほかならない。(155頁)

★実をいうと「実体性の立場」が、「恢復せらるべき、また分析せらるべき全体」として『精神現象学』のかくれた前提だ。(155頁)
☆この観点からすれば「感覚」・「知覚」・「悟性」という(A)「対象意識」の諸段階も、また(B)「自己意識」の諸段階も、じつは「反省」の分析によって定立せられたものにほかならない。(155頁)

★(B)「自己意識」の最後の段階である「不幸なる意識」(クリスト教)において「実体性が恢復された」が、これはいいかえると「実体が主体となった」ことを意味する。(155頁)
☆「不幸なる意識」(中世カトリック教orクリスト教)を通ずることによって、「理性という絶対知」が到達せられた。(155頁)

★「反省の媒介」にはまだ不十分なところがある。その不十分を補うのが、今後の叙述((C)(AA)「理性」・(BB)「精神」・(CC)「宗教」・(DD)「絶対知」)の目的だ。(155頁)

《参考1》「ヘーゲル哲学の精神史的必然性」(ハ)《精神》における「実体性恢復の段階」(B)「絶対知」の立場:「主語」たる「サブスタンス」(「実体」)そのものが、我々の「主観」と同じように「生けるもの」、「自分自身で自分自身の内容を反省し、それを深めてゆく」!(73頁)
☆「普通の認識」に対して、「真の絶対知の立場」においては、「主語」は「不動の実体」というものではない。「絶対知」における「主語」は「存在的・客体的なもの」ではない。(73頁)
☆「絶対知の立場」においては「主語」たる「サブスタンス」(「実体」)そのものが、我々の「主観」と同じように「生けるもの」、「自分自身で自分自身の内容を反省し、その反省を自分自身で深めてゆく」ものである。(73頁)(※この「絶対知の立場」(73頁)は「実体性の立場」(155頁)とも呼ばれる。)
☆ここに初めて「真の哲学的認識」が出てくるとヘーゲルは言う。(73頁)
☆ヘーゲルでは、文法上の「サブジェクト」(Cf. 「主語」)に当るものが、我々人間と同じような「サブジェクト」(Cf. 「主体」・「主観」)だ。「サブジェクト」は、「自分は何々である」という判断を、自分自身で行う。(73頁)
Cf. 「悟性の反省」の「媒介」を通ずることによって、「実体」は「主体」となる。じつは「実体」を「主体」に転換させることこそが『精神現象学』の目的だ。(69頁)

《参考2》ヘーゲル『精神現象学』の目次。(333-336頁)
(A)「意識」(対象意識):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」(A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」)
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」(A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」・Ⅱ「啓蒙」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」(A「自然宗教」、B「芸術宗教」、C「啓示宗教」)、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

《参考2-2》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次。
(A)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(B)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(※金子武蔵氏は「自己意識」も3段階にわける。)
(C)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
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