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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(三)「理性」:当面の(C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階の目標は、「人倫の国」(Ⅵ「精神」の段階)にまで到達することだ!

2024-06-11 16:07:07 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(三)「理性」(156-157頁)
(31)当面の段階((C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階)にとっての目標は、「人倫の国」(Ⅵ「精神」の段階)にまで到達することである!
★ここでは(C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階を扱う。この段階の目標は次の通りだ。(156頁)
☆「精神」をその「現象」に即して、「本来の『精神』」にまで高めようとするものがヘーゲル『精神現象学』である。このさい①「現象」が「認識」の段階であるところからしては、『精神現象学』は「絶対知」に到るまでの「意識経験の学」として「認識論」であり、また②「絶対知」の出現が「時代」に媒介せられているところからしては、『精神現象学』は「歴史哲学」を含む。(156頁)

☆「精神」は本来的にはⅧ「絶対知」であるが、それに比較的近い段階(Ⅵ「精神」)では、「精神」は「我なる我々」あるいは「我々なる我」として、広い意味における「社会的」なものである。つまりそれは「人倫の国」において成立する。(157頁)
☆当面の段階((C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階)にとっての目標は、この「人倫の国」(Ⅵ「精神」の段階)にまで到達することである。(157頁)

《参考1》ヘーゲル『精神現象学』の目次!(333-336頁)
(A)「意識」(対象意識):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」(A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」)
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」(A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」・Ⅱ「啓蒙」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」(A「自然宗教」、B「芸術宗教」、C「啓示宗教」)、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

《参考2》『精神現象学』の構成(目次)については、さしあたっては「(A)意識、(B)自己意識、(C)理性」の3つについて考えていけばよい。「(A)意識」が客体的な方向(Ⅰ感覚、Ⅱ知覚、Ⅲ悟性)、「(B)自己意識」が主体的な方向(Ⅳ自己確信の真理性)、「(C)理性」が主客統一の方向(Ⅴ理性の確信と真理、Ⅵ精神、Ⅶ宗教、Ⅷ絶対知)である。(56頁)

《参考3》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」
1「感覚」、
2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、
3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」
1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、
2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、
3「現代(あるいは絶対知)」

(31)-2 当面の段階((C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階):「対象意識と自己意識の統一」つまり「あらゆる実在」でありながら、これがまだ「確信」たるにとどまり「真理」となっていない、この状態が「始点」である!そして「確信を真理にまで高める」ところにこの段階の運動が成立する!
★これまでの『精神現象学』の叙述を回顧しよう。(157頁)
☆(A)「意識」(「対象意識」)の段階は次のような構造をもつ。1「感覚」(個)、2「知覚」(特)、3「悟性」
(普or「具体的普遍としての個」)。(157頁)
☆(B)「自己意識」の段階は次のような構造をもつ。1「欲望」(個)、2「承認」(「主奴」)(特)、3「自由」(普)。(157頁)

★さて当面の段階たる(C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階は、「対象意識と自己意識の統一」であり、この意味において「あらゆる実在」でありながら、これがまだ「確信」たるにとどまって「真理」となっていない状態にある。この状態が「始点」である。(157-158頁)
☆そして「確信」を「真理」にまで高めるところに、この段階の運動が成立する。(158頁)
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