※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(三)「理性」(続)(158-159頁)
(31)-3 「理性」の「確信」を「真理」にまで高める運動にも、「理性」の規定からして、おのずからA「対象意識の側面」すなわち「観察」と、B「自己意識の側面」すなわち「行為」と、C「これら両者(対象と自己)の統一の側面」すなわち「社会」の3つがある!(158-159頁)
★当面の段階たる(C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階は、1「観察」、2「行為」、3「社会」に大別される。(ただし「行為」と「社会」というのは金子武蔵氏が工夫した表現で、ヘーゲルのテキストにはない。)(158頁)
★さて(C)(AA)「理性」においては(A)「対象意識」(意識)と(B)「自己意識」とが統一をえ、「対象と自己が一つになっている」ところからしては、すでに「絶対知」の段階に到達せられている。(158頁)
《参考1》「個別」(「個人」・「信者」)が完全に「普遍」(「神」or「教会」)を実現し、「主体」が「客観」に転換するとき、「自己意識」は「対象意識」に結びつく!この結びつきにおいて「理性」がでてくるが、これがヘーゲルの「絶対知」の根本的境地だ!(142頁)
☆「禁欲主義(アセティスィズム)」によって、「個人」がかえって「絶対的自由」を獲得することにおいて、かくて「個別」(※「個人」・「信者」)が完全に「普遍」(※「神」or「教会」)を実現し、「主体」(※「個人」・「信者」)が「客観」(※「神」or「教会」)に転換するとき、「自己意識」(※「個人」・「信者」)は「対象意識」(※「神」or「教会」)に結びつく。(142頁)
☆この結びつきにおいて「理性」がでてくるが、これがヘーゲルの「絶対知」の根本的境地だ。(142頁)
☆この意味で「免罪」というのは「教会や神」がゆるすのではなく、「絶対」の機能をもつようになった「自己意識」が自己自身でゆるすことになる。(142頁)
☆それで「中世のアセティスィズム(禁欲主義)」があって初めて「近世的な理性」が生まれることができると、ヘーゲルは考えている。(142頁)
《参考1-2》このようにして今や、(A)「(対象)意識」から、(B)「自己意識」をへて、両者の統一としての(C)「理性」の段階にまでたどりついた!(142頁)
★(C)(AA)「理性」において「自己と対象とが一つである」といっても、まだそういう「主観的確信」がもたれているだけであって、この「確信」が「客観的な真理性」をもっているわけでない。(158頁)
☆かくて「確信」を「真理」にまで高める運動が必要になってくる。(158頁)
☆これが(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」という題がつけられるゆえんだ。(158頁)
★「理性」の「確信」を「真理」にまで高める運動にも、「理性」の規定からして、おのずからA「対象意識の側面」すなわち「観察」(A「観察的理性」)と、B「自己意識の側面」すなわち「行為」(B「理性的自己意識の自己自身による実現」)と、C「これら両者(対象と自己)の統一の側面」すなわち「社会」(C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」)の3つがある。(158-159頁)
《参考2》ヘーゲル『精神現象学』の目次!(333-336頁)
(A)「意識」(対象意識):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」(A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」)
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」(A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」・Ⅱ「啓蒙」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」(A「自然宗教」、B「芸術宗教」、C「啓示宗教」)、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」
《参考2-2》『精神現象学』の構成(目次)については、さしあたっては「(A)意識、(B)自己意識、(C)理性」の3つについて考えていけばよい。「(A)意識」が客体的な方向(Ⅰ感覚、Ⅱ知覚、Ⅲ悟性)、「(B)自己意識」が主体的な方向(Ⅳ自己確信の真理性)、「(C)理性」が主客統一の方向(Ⅴ理性の確信と真理、Ⅵ精神、Ⅶ宗教、Ⅷ絶対知)である。(56頁)
《参考2-3》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」
1「感覚」、
2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、
3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」
1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、
2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、
3「現代(あるいは絶対知)」
Ⅱ本論(三)「理性」(続)(158-159頁)
(31)-3 「理性」の「確信」を「真理」にまで高める運動にも、「理性」の規定からして、おのずからA「対象意識の側面」すなわち「観察」と、B「自己意識の側面」すなわち「行為」と、C「これら両者(対象と自己)の統一の側面」すなわち「社会」の3つがある!(158-159頁)
★当面の段階たる(C)(AA)「理性」あるいはⅤ「理性の確信と真理」の段階は、1「観察」、2「行為」、3「社会」に大別される。(ただし「行為」と「社会」というのは金子武蔵氏が工夫した表現で、ヘーゲルのテキストにはない。)(158頁)
★さて(C)(AA)「理性」においては(A)「対象意識」(意識)と(B)「自己意識」とが統一をえ、「対象と自己が一つになっている」ところからしては、すでに「絶対知」の段階に到達せられている。(158頁)
《参考1》「個別」(「個人」・「信者」)が完全に「普遍」(「神」or「教会」)を実現し、「主体」が「客観」に転換するとき、「自己意識」は「対象意識」に結びつく!この結びつきにおいて「理性」がでてくるが、これがヘーゲルの「絶対知」の根本的境地だ!(142頁)
☆「禁欲主義(アセティスィズム)」によって、「個人」がかえって「絶対的自由」を獲得することにおいて、かくて「個別」(※「個人」・「信者」)が完全に「普遍」(※「神」or「教会」)を実現し、「主体」(※「個人」・「信者」)が「客観」(※「神」or「教会」)に転換するとき、「自己意識」(※「個人」・「信者」)は「対象意識」(※「神」or「教会」)に結びつく。(142頁)
☆この結びつきにおいて「理性」がでてくるが、これがヘーゲルの「絶対知」の根本的境地だ。(142頁)
☆この意味で「免罪」というのは「教会や神」がゆるすのではなく、「絶対」の機能をもつようになった「自己意識」が自己自身でゆるすことになる。(142頁)
☆それで「中世のアセティスィズム(禁欲主義)」があって初めて「近世的な理性」が生まれることができると、ヘーゲルは考えている。(142頁)
《参考1-2》このようにして今や、(A)「(対象)意識」から、(B)「自己意識」をへて、両者の統一としての(C)「理性」の段階にまでたどりついた!(142頁)
★(C)(AA)「理性」において「自己と対象とが一つである」といっても、まだそういう「主観的確信」がもたれているだけであって、この「確信」が「客観的な真理性」をもっているわけでない。(158頁)
☆かくて「確信」を「真理」にまで高める運動が必要になってくる。(158頁)
☆これが(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」という題がつけられるゆえんだ。(158頁)
★「理性」の「確信」を「真理」にまで高める運動にも、「理性」の規定からして、おのずからA「対象意識の側面」すなわち「観察」(A「観察的理性」)と、B「自己意識の側面」すなわち「行為」(B「理性的自己意識の自己自身による実現」)と、C「これら両者(対象と自己)の統一の側面」すなわち「社会」(C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」)の3つがある。(158-159頁)
《参考2》ヘーゲル『精神現象学』の目次!(333-336頁)
(A)「意識」(対象意識):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」(A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」)
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」(A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」・Ⅱ「啓蒙」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」(A「自然宗教」、B「芸術宗教」、C「啓示宗教」)、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」
《参考2-2》『精神現象学』の構成(目次)については、さしあたっては「(A)意識、(B)自己意識、(C)理性」の3つについて考えていけばよい。「(A)意識」が客体的な方向(Ⅰ感覚、Ⅱ知覚、Ⅲ悟性)、「(B)自己意識」が主体的な方向(Ⅳ自己確信の真理性)、「(C)理性」が主客統一の方向(Ⅴ理性の確信と真理、Ⅵ精神、Ⅶ宗教、Ⅷ絶対知)である。(56頁)
《参考2-3》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」
1「感覚」、
2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、
3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」
1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、
2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、
3「現代(あるいは絶対知)」