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「2000年代 戦争と格差社会」(その11):「プレカリアート文学」萱野葵『ダンボールハウスガール』、絲山秋子、津村記久子『ポストスライムの舟』、本谷(モトヤ)有希子!(斎藤『同時代小説』5)

2022-05-06 14:02:57 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(59)「女たちの戦い、プレカリアート文学」:萱野葵(カヤノアオイ)『ダンボールハウスガール』『ダイナマイト・ビンボー』(1999)!
K  2000年代、男たちが「テロや戦争」に興じている頃、女たちは何をしていたか。彼女たちは戦っていた。戦いの相手は経済的困難だ。(※2000年代は「プレカリアート」の時代だ。「不安定な」precariousと「プロレタリアート」を合わせた造語。非正規雇用者と失業者等。)(204頁) 
K-2 現代の貧困を描いた小説で一歩先んじていたのは萱野葵(カヤノアオイ)(1969-)『ダンボールハウスガール』(1999、30歳)だ。会社を辞めた直後に貯金を盗まれた女性が、アパートを引き払って「路上生活」に踏み切る話だ。(205頁)
《書評1》空き巣に入られた主人公の女子が、「金なし」「職なし」「家なし」「男なし」のないないづくしになってしまい、ダンボールハウス暮らしをすることになる。ゴミ箱をあさり、パーティに紛れ込んではタダ飯を食い、挙句に「たかり」までしながら、したたかにたくましく生きていく。不況で先の見えない現代。サバイバルマニュアルとしても一読の価値がある。
《書評2》主人公が泥棒に入られて200万円取られてしまい、そこから公園で寝たり駅前で寝たり、残飯をあさったりする。だけど、家庭教師とか仕事もするのに、なんでアパートとかに住まないのか不思議だった。プライドもあるのに、人を騙してお金をとるプライドのないような事もする。人の暖かさの感じられない作品に思えた。

K-2 -2 萱野葵(カヤノアオイ)(1969-)『ダイナマイト・ビンボー』(1999、30歳)は、(ア)就活で24社に落ち、(イ)契約社員として雇われた今の会社にも希望はなく、(ウ)アパートに転がりこんできた弟が引きこもりという現実の前に、キレた女性が「働くの、やんなった」とばかり「生活保護」を申請する物語だ。(205頁)
《書評1》「弱者はおとなしくしてろ、なんなら死んでもらっていい」。不器用で弱く孤独な姉弟の話。彼らの暮らしがあぶりだす資本主義社会の残酷さ。読後感は重い。ディストピア小説。
《書評2》何を言いたいのかわからず、病気的な危な系。やるせない気分。迫力はあったけどそれだけ。何か、テーマとかあるのかな?
《書評3》ビンボー底なし!暴力的な姉と無気力な弟が、仕事を辞め、あの手この手で生活保護をかちとるも、やがてそれも打ち切られる。
《書評4》「働きたくないから働かない。」それは自由だけど、人の税金を奪って生きていくのはやめてほしい。

K-2-3  「路上生活」と「生活保護」はおよそ若い女性が思いつく手段ではない。彼女らは健康で高学歴で働く場所はありそうなのに!しかし「些細なことで人は簡単に生活基盤を失う」という現実を、二作(『ダンボールハウスガール』『ダイナマイト・ビンボー』)はリアルに示した。貧困問題が急浮上する2000年代を予告するエポックメイキングな作品だった。(205頁)

(59)-2 「キャリアウーマンのその後」を描いたシビアな小説:絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』(2004)! Cf. 「お仕事小説」:絲山秋子『沖で待つ』(2006)!
K-3  「お仕事小説」の書き手として注目された絲山秋子(1966-)の『沖で待つ』(2006、40歳)(芥川賞受賞)は、住宅設備機器メーカーの総合職として働く女性(及川)と同期入社の男性(太っちゃん)の友情を描いた作品である。「どちらかが先に死んだら、生き残ったほうが互いのパソコンのハードディスクを壊しにいく」と約束するくだりが印象的だった。(205頁)
《書評1》同期入社の男性(太っちゃん)が死んで、女性(及川)が、彼との思い出をなぞりながら、彼の幽霊と話をする。SFめいた感じだけども、入社からそれまでにいたる社会人生活と変遷が、とても共感できる内容で、男女だけど「恋愛ではない」仲もよく理解できて面白かった。
《書評2》会社の仲間って、家族ではなく、恋人でもクラスメイトでもない間柄。同期である程度繋がる間柄もある。 私はどこかに、何かに「所属」していたい欲があるが、自分から「離脱」した場所ももちろんある。「その人たちに私は今どんな記憶が残っているのかな」とぼんやり思う。
《書評3》「異性の同期」に対する絶妙な距離感と約束が素晴らしい!バブル期の「総合職女子」の心意気みたいなのを感じた。

K-4 絲山秋子(1966-)『イッツ・オンリー・トーク』(2004、38歳)はしかし、キャリアウーマンの「その後」を描いた、もう少しシビアな小説だった。(205頁)
K-4-2  語り手の「私」橘優子(34歳)は大学で政治学を学び、ローマ支局勤務の経験もある敏腕の新聞記者だったが、(ア)入社8年後、彼女は躁鬱病になる。総合職の未来は失われ、1年入院し会社にもどると、残されたのは「バイトと変わらない給料で一生食う」という選択肢のみだった。(イ)優子は記者をあきらめWEBニュースの管理者となるが、半年後に病気が再発し、退職。(ウ)現在は画家を自称しつつ、会社員時代の貯金で暮らす。(エ)「恋愛の煩わしさを嫌う」優子は「誰とでもする」方針だが、アパートに転がりこんできた従兄の祥一は問題児で44歳になるがまともに働いた経験がない。(206頁)

《書評1》「女性が書く女性の話」で赤裸々というか容赦ないというか、これほど内面をさらけ出されると「やわな男」には太刀打ちできない。ここに出てくる男の「嘘くささ」がみんないじましく面白い。
《書評2》「精神病を患う女」が、新たに越してきた土地での「少し奇妙な男たち」との交流を描いた話。パンをトーストするみたいに男と寝て、それきり関係がなくなってしまう主人公の「諦め」がこもった語り口調が染み込んでくる。タイトルの通り、ストーリー展開はまさにムダ話で、特に起伏もないのだが、何度も読み返したくなるような不思議な魅力がある。痴漢との性描写が生々しい。
《書評3》「まっとうな人間でございます」という顔をした人々が、人目につかないところで繰りひろげる「痴態の数々」といった感じ。「生きることの難儀さ」を思い知らされる。孤立した人間が陥りがちな「貧困と暴力」が描かれていないのが気になる。ユートピア的というか。そこが「リアル」でなく、あくまで「トーク」ということかな。

(59)-3 就職氷河期を経験した「ロスジェネ世代小説」:津村記久子『ポストスライムの舟』(2009)! Cf. 「お仕事小説」:津村記久子『アレグリアとは仕事はできない』(2008)!
K-5  「お仕事小説」のもう一人の旗手は津村記久子(1978-)だ。『アレグリアとは仕事はできない』(2008、30歳)などオフィスワークを題材にした小説を彼女は何編も書いている。(206頁)
《書評1》アレグリア(スペイン語で「喜び」)って誰? …と思ったら、プリンタ複合機のことだった。私も頻繁に紙詰まりを起こす職場のコピー機に、ドロシーと名付けて、「鳴くのはよして! ピーピーうるさい子ね!」と罵倒していたので、ミノベの気持ちがよく分かる。
《書評2》職場の使えない「コピー機」と、使えないことを理解しようとしない「職場の人間たち」とコピー機メーカーの「保守点検担当者」と格闘する社員の話。この「悲劇」が津村記久子の筆にかかると「喜劇」になる。コピー機との格闘は会社勤めで苦労した経験がある方多いのでは。

K-6  就職氷河期(※1993-2000)を経験した「ロスジェネ世代(※1970年代生まれ)小説」として話題になったのが、津村記久子(1978-)『ポストスライムの舟』(2009、31歳)だ。(206-207頁)
K-6-2  ナガセ(長瀬由紀子)は奈良の実家で母親と暮らす29歳。(a)昼間は工場で働き(4年間かけて時給800円のパートから月給手取り13万8000円の契約社員に昇格したが薄給)、(b)午後6時から9時までは友人が経営するカフェを手伝い、(c)家ではデータ入力の内職をし、(d)土曜日は商工会館のパソコン教室で教える。(206-207頁)
K-6-3  そんなナガセが「163万円」を貯めると決心する。工場のポスターで見た「船で世界一周クルージング」の参加費用が163万円だったからだ。それはナガセの年収とほぼ同額だ。ナガセは思う。「生きるために薄給を稼いで、小銭で生命を維持している。そうでありながら、工場でのすべての時間を、世界一周という行為に換金することもできる。」(207頁)

《書評1》世界一周の費用と年収の対比、誰しも感じる事なのか。つつましい生活の中でかけるべきことにお金を使う主人公に共感した。
《書評2》悲壮感はなく、ギリギリで踏み留まっている彼女らのたくましさがイイ。「元気をもらえるとか、やる気が漲る」とまではいかないけども、「まぁ明日もフツーに働くかー」という気持ちになった。
《書評3》「働く自分自身にではなく、自分を雇っている会社にでもなく、生きていること自体に吐き気がしてくる。時間を売って得た金で、食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い、なんとか生き長らえているという自分の頼りなさに。それを続けなければいけないということに。」この文章に共感してしまった自分が嫌だ…笑。

(59)-4 「なんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ?」:本谷有希子(モトヤユキコ)『生きてるだけで、愛』(2006)! Cf.  本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2005):何かと問題の多い女性を描く! 
K-7  本谷有希子(モトヤユキコ)(1979-)もデビュー作『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2005、26歳)以来、何かと問題の多い女性を描いてきた。(207頁)
《書評1》いやはや凄まじい作品だ。(ア)「認められない」のはみんな人のせい、「自分は才能がある特別な存在である」という意識に凝り固まった長女・澄伽(スミカ)。(イ)漫画で秘密を暴露したために澄伽に苛められるが、内心では冷笑している次女・清深(キヨミ)。(ウ)血の繋がらない澄伽と関係を持つ長男・宍道(シンジ)。(エ)不幸の塊のような兄嫁・待子。強烈なキャラクター達の愛憎が鮮烈に描かれる。元々舞台という事もあるだろうが、演劇的な印象を受ける。
《書評2》両親の事故死で葬儀のため集った高校生の清深、血の繋がらない兄の宍道とその妻の待子、女優を目指す姉の澄伽。だが清深は恐怖に駆られていた。かつて澄伽の日記を盗み読みホラー漫画にした清深。漫画は受賞し出版された。全てを晒された澄伽の復讐が今始まった。どこかが徹底的に欠け、どこかが過剰な偏った性格の4人。狂気すら感じるが人間臭い。人も出来事も何もかもが救いようもなく凄惨で残酷なのに、どこか滑稽な喜劇だ。(ブラック・コメディ!)確かに4人の間には「悲しみの愛」がある。

K-8  本谷有希子(モトヤユキコ)(1979-)『生きてるだけで、愛』(2006、27歳)の主人公「あたし」板垣寧子(ヤスコ)(25歳)は、(ア)「鬱」が悪化し、(イ)時給900円で働いていたスーパーをクビになり、(ウ)布団をかぶって過眠の日々。(エ)前の男との同棲を3年前に解消、(オ)行く当てもなく転がり込んできた今の男、津奈木景(32歳)と3年前から同棲。津奈木は出版社に勤めるが、何に関しても無関心。(カ)そこに現れた津奈木の元カノ・安堂が寧子(ヤスコ)に詰め寄る。「あんたさあ、ちゃんと働く気はあるの?」(カ)-2 寧子は①車の免許がない、②年金も国保も未納で保険証もない、③パスポートもない。かくて身分の証明ができない。(207頁)
K-8-2  寧子が自問する。「ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ?」(207頁)

《書評1》躁鬱の寧子と津奈木の恋愛。「自分でも整理出来ていない感情」を思うままに寧子からぶつけられる津奈木もたまったものでない。寧子に関しては、病気で辛いのはわかるが、好感は持てない。「墜ちた」上に、更に自分自身で墜ちていくかのような言動を繰り返している。
《書評2》「あんたと別れてもいいけど、あたしはさ、あたしと別れられないんだよね、一生」。母譲りの躁鬱をもてあます「寧子」と寡黙な「津奈木」。ほとばしる言葉で描かれた恋愛小説の新しいカタチ。
《書評3》自分の思い通りにいかない時に、極端な事(物を壊したり)をしてしまう気持ちは理解し難い。けど、読み進めていくにつれ、「この人なりに一生懸命 闘っていってるんだ」と知って、「色んな人がいるんだな」と思った。 相手と自分の気持ちをぶつけ合って、「全部全部知って欲しい、知りたい」って気持ちはすごく共感出来た。 津奈木が、「寧子の変な部分に惹かれて一緒にいる」って知って「運命じゃん」って思ったし、津奈木が寧子の頭をなでながら「でもお前のこと、ちゃんと分かりたかったよ」って言ってくれてる所すごく好き。

(59)-5 2008年、小林多喜二『蟹工船』が突然のベストセラーになる:「プレカリアート」(不安定雇用の労働者)の増大!
K-9  2008年、小林多喜二(1903-1933)『蟹工船』(1929、26歳)が突然のベストセラーになる。小樽商科大学と白樺文学館多喜二ライブラリーが25歳以下を対象に「読書エッセイコンテスト」(2007)を開催したことなどが関係していたが、その根底には「いまこそ『蟹工船』を」という気分があったはずだ。(208頁)
《書評1》当時の過酷な労働環境がよく伝わってきた。 「明らかにおかしい」と思うようなことも、 その中にずっといると分からなくなっていく感じはとても恐ろしい。こんなに露骨ではないにしろ時代が変わっても「蟹工船」=「ブラック会社とか事故原発の洗浄作業とか」、もしかしたらこんな感じなのかと、現代に置き換えて想像を掻き立てられた1冊だ。
《書評2》「死ぬ思いばしないと、生きられないなんてな。」ある漁夫の言葉通り、過酷な労働。具体的な描写が痛ましい。糞壺、ゴミみたいな扱い、クソみたいな生活。それでも、彼らは生きていた。「赤化」はデリケートな問題なのでもっと学んでからまた考えたい。ただし手を組み立ち上がる労働者たちの姿は青春モノさながらで、思わず胸が熱くなった。死ぬか、生きるか!
《書評3》監督や工場長が「ストライキを許した」という理由であっけなく馘首される点が恐ろしい程に現実的。 因みにむろん社長だって、自ら労働問題を招来して業績に悪影響を与えれば、株主から馘首されることもあり得る。

K-9-2  2000年代には、「プロレタリア文学」も微妙になっていた。「プレカリアート」(不安定雇用の労働者)という言葉が2000年代に浮上した。非正規雇用者の割合が年々増加し、2002年に3割を超えた。女性の場合は半数が不正規雇用。そんな現実が小説にも投影されている。(※非正規雇用者の割合1990年約2割、2000年約3割、2020年約4割。)(208頁)
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