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『髙田賢三 夢をかける』展( 東京オペラシティ アートギャラリー)2024/07/31:「木綿の詩人」!「ビッグ・ルック」!各地の「民族衣装」への関心、あるいは「混ぜるのが好き」!「色彩の魔術師」!

2024-07-31 16:30:01 | 日記
★KENZOの創設者・髙田賢三(1939-2020)、没後初の大規模個展。(高田賢三は2020年81歳に新型コロナ感染によりフランスで他界した。合掌)
★髙田賢三は日本人デザイナーとしていち早くパリに進出し、斬新なアイデアで常識を打ち破るスタイルを次々と生み出した。単身で渡仏後、1970年にパリで自らのブランド「ケンゾー」を立ち上げ、木綿の新しい可能性を打ち出し「木綿の詩人」と称され、注目を集めた。また独特の色使いや柄の組み合わせを用い「色彩の魔術師」と称される。
★その後も「衣服からの身体の解放」をテーマに、日本人としての感性を駆使した新しい発想のコレクションで様々な試みを行った。それらは、国境や文化、性別を自由に超え、西欧中心の伝統文化にとらわれない新しい衣服を示唆し、ケンゾーブランドは今なお世界中で愛される。「混ぜるのが好き」という賢三の作風は、いくつかの異文化のオリジナリティを融合させたフォークロア調で、世界のファッション史で大きな位置を占める。


(1)
高田賢三は兵庫県淡路市に生まれる。姉の影響で10代前半から中原淳一の創刊した雑誌『それいゆ』や、少女雑誌『ひまわり』などを愛読し、ファッションへの興味を育む。神戸外大に進学するが、電車の広告で「文化服装学院」が男子生徒の募集を始めたことを知り1957年に上京。看板店に住み込んで働きつつ、通信教育やスタイル画教室へ通った。
(2)
1959年(20歳)「文化服装学院」デザイン科に入学。同級生(「花の9期生」)には松田光弘(ニコル)、コシノジュンコ、金子功(ピンクハウス)らがいた。1960年(21歳)、同校で髙田は第8回「装苑賞」を受賞。会場ではこの受賞作を見ることができる。
(3)
「文化服装学院」卒業後、既製服メーカーのデザイナーとして働く。1964年(25歳)海外旅行が自由化されると、高田は東京オリンピックに際しての開発に伴うアパートの立ち退き料を元手にパリへ渡る。パリではデザイン画の持ち込みなどを経て仕事を得るが、1970 年(31歳)、「JUNGLE JAP(シャングル・ジャップ)」(現:ケンゾーKENZO)を現地でオープン。ブランドがスタートした。
(3)-2
当初から話題になったのが、しぽり、ちぢみ、つむぎ、浴衣地といった日本の生地を使った服だった。あえて冬に木綿素材を使うなど、生地の新しい可能性を提案し、1971春夏コレクションのショーの後には1970年(31歳)、作品が『ELLE』の表紙を飾った。こうした素材への探求は、その後もブランドのひとつの柱として続いていく。
(3)-3
当時のプレタポルテデザイナーは自社ショールームで服を見せていた時代に、賢三は会場を借りてショーを開催。1971-72秋冬コレクションでは、パリの伝統的なクチュールに対抗し「アンチクチュール」を謳ったコレクションが評判となった。
(3)-4
1971年(32歳)10月に賢三とドロテビス、シャンタル・トーマスが、72春夏コレクションを合同発表した。この初の試みが、現在のパリコレ・プレタポルテの原型となった。翌年1972年(33歳)の72-73秋冬コレクションでは、600人収容の会場に2000人が訪れ、開催が中止になるほどの注目を集めた。
(3)-5
ほかにもニットやツイード、毛皮といった素材、あるいはたっぷりと布地を使った大柄なシルエットの「ビッグ・ルック」などを発表し、髙田にとっての1970年代(31-40歳)はのちに「やりたいことはすべてこの10年間でやり尽くした」と述べるほどに充実したものとなった。
(4)
また70年代(31-40歳)より各地の民族衣装に関心を寄せていた髙田は、それらに共通する特徴として布を無駄にしないための平面的な裁断があることに目をつける。髙田の民族衣装への興味は意匠のみならず、平面裁断と立体裁断の融合というパターンとしても取り入れられた。こうした方向性は、とくに1980年代(41-50歳)の髙田の仕事を通じて見て取れる。会場では1980年代(41-50歳)の髙田のコレクションが40ルックほど並び、壮観だ。


(5)
また1980-1990年代(41-60歳)にかけては、舞台衣装などにも取り組んでいる。宝塚歌劇団『パルファン・ド・パリ』の衣装(1992年53歳)。1993年(54歳)、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン) 傘下のブランドとなる。1999年(60歳)にデザイナーから退くが、2002年(63歳)頃に復帰し、2004年(65歳)のアテネオリンピック開会式の日本代表衣装のデザインを担当した。当時賛否両論があったオリンピックの衣装は、レインコートを想起させるコートや和柄を思わせるTシャツなどだ。

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