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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(三)「理性」2「行為」(その5):b「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」!「快楽(ケラク)」(個別態)の段階から、「心胸(ムネ)の法則」の段階(特殊態)へ!

2024-07-06 17:06:59 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(三)「理性」2「行為」(その5)(198-201頁)
(44)「行為」or「行為的理性」における(ロ) 「心胸(ムネ)の法則」(特殊態)の段階(b「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」)!「普遍的な法則」(※他者たちと同意された法則)に従って行為し生活する!
★「快楽(ケラク)」(個別態)に身を委ねるが、「子供」でも生まれると、「浮き世の絆」(必然性サダメ)がひしひしと自分を縛る。かくて「自分」も、なにか「普遍的法則的なものの中に存在している」ものだと解ってくる。かくて(C)(AA)「理性」B「理性的自己意識の自己自身による実現」(「行為」)は「心胸(ムネ)の法則」という段階(特殊態)に移って行く。(198頁) 
☆たとえば研究室が相部屋で自分のほかにA君、B君が使うとすると、自分から言い出して「僕は月曜・水曜・金曜、A君は火曜・木曜、B君は土曜に研究室を使用し勉強する」という「規則」を決める。(198頁)
☆つまり「快楽(ケラク)」(個別態)の段階から、今や、とにかく、(※他者との同意の上)「規則」を立てる。それは、自分というものが単に自分だけで存在し、すべてが勝手になると考えないで、なにか「普遍的な法則」(※他者たちと同意された法則)に従って行為し生活しなくてはならないと、自分が思うようになっているからだ。これが「心胸(ムネ)の法則」という段階(特殊態)だ。(198頁)

(44)-2 「法則」(「規則」)が「心胸(ムネ)の法則」(特殊態)と呼ばれるのは、その規則の認め方が「主観的」で、その認める「普遍性」にはまだ「主観性」がつきまとっているからだ!
★だがこの「法則」(「規則」)が「心胸(ムネ)の法則」(特殊態)と呼ばれるのは、自分で作った(or他者と同意した)規則でありながら、まだ「快楽(ケラク)」(個別態)の立場から成長してきたばかりなので、その規則の認め方が「主観的」で、その認める「普遍性」にはまだ「主観性」がつきまとっているからだ。(199-200頁)
☆たとえば自分が(※他者たちと同意の上で)決めたのに、今日は火曜だが「研究室へ行きたい気分」になり、「規則」が癪にさわり自分で破る。(199頁)
☆自分で(or他者たちと同意の上で)作った「規則」を、都合が悪くなると押し切って破らないまでも、神経をとがらせて、具合が悪いと思う。そういう子供くさい感傷的な立場が「心胸(ムネ)の法則」(特殊態)の段階だ。(199頁)
☆この段階における個人は、a「快楽(ケラク)と必然性(サダメ)」の段階からでてきたものだから、「世の中にはおきてがありあり、学校生活にも、家族生活にも、国家的生活にもおきてがあること」を感じていながら、まだ「快楽(ケラク)」(個別態)の立場から成長してきたばかりなので、その規則の認め方が「主観的」で、その認める「普遍性」にはまだ「主観性」がつきまとっている。(199-200頁)

(44)-3 「心胸(ムネ)の法則」は「自負の狂気」(「うぬぼれの狂気」)を伴う!ヘーゲルにおける「革命家」批判!
★ヘーゲルは「革命家」の態度を「心胸(ムネ)の法則」の段階にすぎないと批判する。「革命家」は①「今の世の中はなっていない」、②「もっとこれこれしかじかの法律・制度を設けて、きちんとやっていかねばならない」などといい出す。ところが③「実際上そうなってくると、かえって自分の方で文句を言い出し、腹を立てる」。(200頁)
☆つまり、自分で(or他者たちと同意の上で)作った「規則」を、都合が悪くなると押し切って破らないまでも、神経をとがらせて、具合が悪いと思う。そういう子供くさい感傷的な立場が「心胸(ムネ)の法則」だ。(199頁)
☆「心胸(ムネ)の法則」の境地は、「法則の必要を心胸(ムネ)では感じている」が、その「法則」は「客観的な世界」において「ちゃんと行われている」ような「客観的普遍的な法則」ではなく、その「法則」(「心胸ムネの法則」)は「自分一個の胸のうちにある」にとどまる。(200頁)
☆「心胸(ムネ)の法則」は「主観性・抽象性」に深く纏綿(テンメン)された(まとわりつかれた)法則だ。(200頁)

★たとえば「革命家」は「自分で考えていたこと」(Ex. 「しかじかの法律・制度」)が、世の中に実現されてくると、こんどは「ちがう」と言い出し、いろんな「文句」をつけて「反抗」をはじめる。そこには「自負の狂気」(「うぬぼれの狂気」)がある。(200頁)
☆(「革命家」の)「自負の狂気」or「うぬぼれの狂気」とは、「自分の主観的な一個人の意見や意志」にすぎないものを「法則」だとし、「世間に行われ実現している法則」、その方がむしろ「客観的・普遍的」であるのに、そういう「法則」にけちをつけ罵倒し、果てはメチャクチャのことをやりだす。そこに「うぬぼれの狂気」がある。(200頁)
《感想》ヘーゲルは「保守」主義者だ。「世間に行われ実現している法則(Ex. 法・制度)」こそ、「客観的」(つまり「主観的」でない)また「普遍的」(つまり「特殊的」・「個別的」でない)として擁護する。

(44)-4  b「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」の段階は「特殊性」にあたる!(なおa「快楽(ケラク)と必然性(サダメ)」の段階は「個別性」、c「徳と世路」は「普遍性」にあたる!)  
★ヘーゲル『精神現象学』(C)(AA)「理性」B「行為」のb「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」の段階は「特殊性」にあたる。(なおa「快楽(ケラク)と必然性(サダメ)」の段階は「個別性」、c「徳と世路」は「普遍性」にあたる。)(200頁)
Cf.  ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄):(C)(AA)「理性」A「観察的理性」=「観察」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」=「行為」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」=「社会」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)。

★(C)(AA)「理性」におけるB「行為」においてb「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」の段階は「特殊性」にあたるが、これは(A)「対象意識」においてはⅡ「知覚」の段階(「特殊性」)に相当する。(200頁)
Cf.   ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄):(A)「対象意識」Ⅰ「感覚」=「感覚的確信または『このもの』と『私念』」、Ⅱ「知覚」=「真理捕捉(知覚)または物と錯覚」、Ⅲ「悟性」=「力と悟性、現象と超感覚的世界」。

☆「知覚」の段階においては、(ア)「本質的」のものが「非本質的」のものになったり、「非本質的」のものが「本質的」のものになったり、あるいは「物」は(イ)「one」(「一」)であるといわれると思えば、「many」(「多」)であると言われたりして、グルグルまわる。これは「知覚」が「感覚」に比すれば「真理捕捉」(Wahr nehmung)であっても、同時に「錯覚」でもあることをまぬがれないゆえんだ。(200-201頁)
☆これと同じことが(C)(AA)「理性」B「行為」のb「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」の段階でもでてきている。(201頁)

Cf. ヘーゲル『精神現象学』目次(抄)!(A)「意識」:Ⅰ「感覚的確信または『このもの』と『私念』」、Ⅱ「真理捕捉(知覚)または物と錯覚」、Ⅲ「力と悟性、現象と超感覚的世界」
Cf. 金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』目次(抄)!(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」

《参考1》「普遍者における個別者」が掴まれて初めて「個別者」は「真理」として掴まれる。すなわちWahr-nehmung(真理捕捉)となる。このようにして「感覚」の段階から「知覚」(Wahrnehmung)の段階に移って行く。(98頁)
《参考2》「知覚」という意識(対象意識)が「物」をとらえる(受けとる)にあたり、知覚は「Wahr-nehmung」として真理をつかまえるが、しかしそれは「感覚」との比較の上においてのことであって、より高次の(意識の)段階と比較すれば、「知覚」の段階でも真理をつかむということが、じつはつねに「錯覚」だ。(104-105頁)
《参考3》「知覚はつねに錯覚である」ということをヘーゲルは強調しようとする。このときすでにヘーゲル独特の「理性あるいは絶対知」が登場し始める。「理性あるいは絶対知」は「絶対の他在のうちに純粋に自己を認識する」ものであって、「同一律・矛盾律」を認めず、それを「止揚」aufhebenする立場だ。(105頁)

《参考4》普通の「自然的意識」が、「同一律・矛盾律」を墨守せんとするが、じつは「そうはできない」!「物」は「一」であって、「多」とするのは「錯覚」だor「物」を「一」と考えるのは「錯覚」で、本当は「多」である!(105-106頁)
☆「自然的意識」は同一律・矛盾律を厳密に守ろうとする。普通の「自然的意識」が、それ(同一律・矛盾律)を墨守せんとしながら、じつは「そうはできないのだ」ということを証明しなければ、ヘーゲルの「弁証法的知識」すなわち「絶対知」、言いかえれば「実体は主体である」という証明はできない。がまさにそれを実行しようとするのがこの(「知覚」における)「錯覚」の段階だ。(105頁)
☆「物」は「一」と「多」の両方向を含む。「物」が「一にして多である」とすれば「矛盾律・同一律」を否定することになる。(105頁)
☆そこでこの「一」と「多」のいずれか一方を捨てて他方を認めるとするとどうなるか?(105頁)
☆一方では「一」を真理として「多」を錯覚とするとう態度が出てくる。例えば「塩」はそれ自身としては「一」であるが、感官の相違によって「多」(Ex. 舌で舐めれば辛い、眼で見れば白い)として受け取られる。かくて「物」は「一」であって、「多」とするのは「錯覚」だとされる。(105頁)
☆それと正反対に、他方では「多」を真理として「一」を錯覚とするという態度が出てくる。例えば「塩」は本当は「多」(Ex. 白い、辛い、立方形、比重)であって「一」とするのは間違い(「錯覚」)とされる。この場合、①「物」の「性質」を分離する。(Ex. 塩は白くある「限りにおいて」辛くなく、辛い「限りにおいて」白くない。)あるいは②いろんな「素」という概念(Ex. 物が光を発するのは光素、色をもつのは色素、香をもつのは香素、熱を持つのは熱素による;この「素」をヘーゲルは「自由な質料」と呼ぶ)をもってきて、「多くの」素材から「物」ができていると考える。かくて「物」を「一」と考えるのは「錯覚」で、本当は「多」であるとされる。(105-106頁)

《参考4-2》「知覚」の段階で、こうして相反した態度がこもごも取られる。即ち「知覚」は「物」について、一方では「一」を真理とし「多」を錯覚としておきながら、いつのまにか「多」を真理とし「一」を錯覚とする。なぜこのような別々の態度がとられざるをえないかというと、そもそも「物」それ自体が「矛盾」しているのに、しいて「矛盾律・同一律」を守ろうとするからだ。「物」について「一」を正しいとして「多」を錯覚としたり、あるは「多」を真理とし「一」を錯覚としたりするのは、「真理」そのものが「矛盾」したものであるからだ。「同一律・矛盾律」こそ正しくないのだ。(106頁)

★歴史的には、ルネッサンスからのち、宗教改革や啓蒙運動にさいして「社会改革家」(たとえばルソー)が出現したが。それら「社会改革家」の態度を念頭に置きつつ、ヘーゲルは彼ら「社会改革家」の境地を「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」として批判的に展開する。(201頁)

《参考1》ヘーゲル(1770-1831)はフランス革命(1789年バスティーユ襲撃、ヘーゲル19歳)を熱烈に支持し、またジャン・ジャック・ルソーに心酔した。ヘーゲルのサイン帳には「自由万歳!」「ジャン・ジャック万歳!」「理性ある自由を!」「暴君に抗して!」などの言葉が書かれている。
《参考1-2》しかしフランス革命は「九月虐殺」(1792年:プロイセン軍・オーストリア軍のパリ侵攻への危機感が一挙に高まり「反革命主義者たちが義勇兵の出兵後にパリに残った彼らの家族を虐殺する」という噂も流れ反革命主義者が逮捕・虐殺された)は民衆の暴力を解放し、やがて「恐怖政治」(1793-1794、ヘーゲル23-24歳)へと向かっていく。(反革命容疑で死刑宣告を受けた処刑者1.6万人、それに内戦地域で裁判なしでの処刑者を含めれば4万人とされる。)
《参考1-3》ナポレオン(1769-1821)が1799年(ヘーゲル29歳)に実権を奪い第一統領となる。革命理念に沿った施策の一方、周辺への侵略を行う。1804年(ヘーゲル34歳)、皇帝ナポレオン1世即位。プロイセンは1806年(ヘーゲル36歳)「イエナの戦い」でナポレオン1世に敗れる。シュタインとハルデンベルク等の「プロイセン改革」(1807-1822)。(Cf. ナポレオンは1815年(ヘーゲル45歳)最終的に敗北しセントヘレナに配流された。)
《参考1-4》ヘーゲルの「革命への情熱」は、次第に「革命、共和政、そして民主主義」に対する「懐疑」へと変わっていく。かくてヘーゲルは「自由」を愛する一方で「秩序」を重視する。なお『精神現象学』の出版は1807年(ヘーゲル37歳)。
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