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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(三)「理性」3「社会」(その4-2):(C)(AA)「理性」C「社会」の段階c「査法的理性」!「『人倫の国』という実体性が恢復されること」を詳述!

2024-07-12 14:50:15 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(三)「理性」3「社会」(その4-2)c「査法的理性」(※「理性による掟の吟味」)(216-217頁)
(49)-4 「すべて物事は相反する両面をもっている」:ヘーゲル!「所有権」における一方で[ア] 「私有権の絶対神聖」、他方で[イ]「共産主義」!
★ヘーゲルは「すべて物事は相反する両面をもっている」と言う。(216頁)
☆ここで、ヘーゲルは「所有物」の例をもってくる。(216頁)
☆[ア]「所有」とは「ある特定の人が、ある物を自分のものとしている」ことだ。しかし[イ]それだけでは不十分でまさに「自分のものであること」を「社会的にチャンと認められ証明されている」ときにのみ初めて「所有権」は成り立つ。(216頁)
☆つまり「所有権」は「個別性」の側面([ア])と「普遍性」の側面([イ])との両方を具えている。(216頁)
☆[ア]「個別性」の方だけを強調すれば「私有権の絶対神聖」ということがでてくる。(216-217頁)
☆[イ]「自分のものであることを社会に認められて、初めて私有も可能になる」ところからしては、「所有は、むしろ社会から預かっていることであり、保管を委ねられていることにすぎない」。ここからすれば「共産主義」が唱えられる。これは「所有権」の「普遍性」の側面だけをとったものだ。(217頁)

(49)-4-2 「カントの道徳的理性」は「客観的」のように見えながら、実は非常に「主観的・個別的」だと、ヘーゲルは批評する!
★そのように「物事がすべて相反する両面をもっているのに、そのどっちか一方だけとって、それをもって絶対的法則にする」のが「カントの道徳的理性」だとヘーゲルは言う。(217頁)
☆かくて「カントの(道徳的)理性」は非常に「客観的」のように見えながら、実は非常に「主観的な個別的なもの」だと、ヘーゲルは批評する。(217頁)
☆カントでは「道徳法則」であるかないかは、けっきょくのところ「一個人があたまで勝手に決める」ことになると、ヘーゲルは言う。(217頁)

(49)-5 ヘーゲルは、「習俗」(Sitte)こそ、カントの場合の「道徳」よりはるかに深い意義を蔵すると言う!「『人倫の国』という実体性が恢復されること」についてヘーゲルは詳述する
★ヘーゲルは「カント的な道徳観」を批判する。ヘーゲルは「習俗」Sitte(ただし「国法」を含む広い意味のもの)に深い意義を認める。(217頁)
☆ヘーゲルは、「習俗」(Sitte)は、幾多の世代にわたる幾多の人々が「理性」を働かせて、それぞれの場合の「義務」を「客観的普遍的」なやり方で規定し、またもろもろの「義務」を統一づけたものであるから、カントの場合の「道徳」よりもはるかに深い意義を蔵していると言う。(217頁)
☆ヘーゲルは「習俗」(Sitte)に深い意義を認め、そこから「人倫」(Sittlichkeit)の立場に移行する。かくて「人倫の国」という実体性が恢復される。(217頁)
☆「習俗」(Sitte)に「超個人的な精神的実体の実現」を見いだすのが、「人倫」(Sittlichkeit)の立場だ。(217頁)

《参考1》ヘーゲルの「人倫」(Sittlichkeit) は「習俗」(Sitte) と密接な関係がある。「習俗」 は直接的な形においてであるが,諸「個人」の「普遍的行為形式」として「理性の客観化」されたものである。「習俗」(Sitte)は「人倫」(Sittlichkeit)の「習慣」であり、「貫く魂」である。
《参考2》ヘーゲルの「人倫」とは人間の社会関係における「客観的な『法』」と個人の「主観的な 『道徳』」とを(止揚的に)統一したものだ。「人倫」は「家族→市民社会→国家」と弁証法的に発展し、「国家」において「人倫」は完成し、「個人」は「自由」で「理性的」な自己を実現する。

★「『人倫の国』という実体性が恢復されること」について詳述するのが、以下の諸章の課題だ。(217頁)
☆すなわち(ヘーゲルの目次では)《 (C)「理性」(BB)「精神」(CC)「宗教」(DD)「絶対知」》or(金子武蔵氏の目次では)《(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」2「中世から近代へ(あるいは道徳)」3「現代(あるいは絶対知)」》の諸章において、「『人倫の国』という実体性が恢復されること」についてヘーゲルが詳述する。(217頁)

《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次!
(A)「意識」:Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」(a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)・Ⅱ「啓蒙」(a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」)・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」(a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

《参考(続) 》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、3「現代(あるいは絶対知)」
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