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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」2「中世から近代へ(or道徳)」、へ「ロマンティスィズム」(その5):「やわらぎ」における「絶対精神」の顕現、「絶対知」への到達!

2024-09-09 13:35:39 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」、へ「ロマンティスィズム」(その5)(303-305頁)
(78)ヘーゲルの「良心的道徳」=「やわらぎ」(Versöhnung)(C「道徳性」の第3段階c「悪とその赦し」)は各自独立なる人格のあいだに「神が顕現する」ことだ!
★「和らぎ」(「やわらぎ」)の「しかり」は、各自独立なる人格のあいだに「神が顕現する」ことにほかならないとヘーゲルはこの段階の終わり((BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」、C「自己確信的精神、道徳性」a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)において言っている。(303頁)

《参考》①「実行型の良心」と②「美魂型・批評型の良心」とのいずれもが「非」であるとしても、またいずれにも「もっとも」なところがあるという理由で、ヘーゲルにおいては「高次の立場」即ちここでは「絶対精神」の立場、すなわち③「和らぎ」(Versöhnung)としての良心の立場への飛躍が要求せられる。(302頁)

★そこ(「和らぎ」の「しかり」)に「宗教」的雰囲気、ことに「クリスト教」的雰囲気の漂っていることは、おのずと明らかだ。(303頁)
☆だからヘーゲル『精神現象学』の叙述は、ここ(BB)「精神」(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」、C「自己確信的精神、道徳性」)から、(CC)「宗教」に移り、その立場でA直接的な東方の「自然宗教」から、Bギリシャの「芸術宗教」をへて、Cクリスト教という「啓示宗教」までの展開を行っている。

Cf. ヘーゲル『精神現象学』の目次(抄)!(CC)「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」 

(78)-2 「良心道徳」(「やわらぎ」)と「クリスト教」(「啓示宗教」)はじつは同じものだ!
★しかし「良心道徳」(「やわらぎ」)((BB)「精神」C「自己確信的精神、道徳性」c「悪とその赦し」)と「クリスト教」((CC)「宗教」C「啓示宗教」)とは、実質的にまで別のものではない。(303頁)
☆「良心道徳」(「やわらぎ」)と「クリスト教」(「啓示宗教」)はじつは同じものだ。(303頁)
☆両者の違いは、ただ「表象性・客体性」(「クリスト教」or「啓示宗教」)と「思惟性・主体性」(「良心道徳」or「やわらぎ」)という形式上の相違にあるにすぎない。(303頁)
☆まさにこのことの証明において(DD)「絶対知」は成立を見る。(303頁)

(78)-3 ヘーゲルの「良心的道徳」=「やわらぎ」(Versöhnung)(C「道徳性」の第3段階c「悪とその赦し」)においてすでに「絶対精神」が顕現し「絶対知」に到達している!
★『精神現象学』(1807)を書いた当時のヘーゲルにとっては、「現代」は「ルターの宗教改革」(Cf. 1517『95ヶ条の論題』)から始まるのではなく、「フランス革命」(Cf. 1789バスティーユ牢獄の襲撃)を境として始まる。(303頁)
☆したがって(BB)「精神」のC「自己確信的精神、道徳性」は、ことにそのc「悪とその赦し」or「やわらぎ」は「現代」のものだ。(303-304頁)
☆むろん細かくいえば、①C「自己確信的精神、道徳性」において、カントのa「道徳的世界観」は矛盾の巣窟だし、②それをうけたシュレーゲルの「アイロニー」はb「ずらかし」・「ごまかし」にすぎないし、③またc「良心、美魂、悪とその赦し」におけるヤコービの「実行型の良心」も、シュライエルマッヘルやノヴァーリスの「美魂型の良心」も、せっかく「ローマの法的状態((BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」c「法的状態」)以来の近代においてなされた媒介」(Cf. (BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」・Ⅱ「啓蒙」a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂」)を放棄して「直接知」にかえろうとするものすぎないから、①②③いずれも不完全だ。(304頁)

★しかし、これらのあやまりを通じて「『個』と『普』」、「『自』と『他』」、「『連続』と『非連続』」、「『主』と『客』」などを「区別しつつ統一づける」ヘーゲル自身の「良心的道徳」(※(BB)「精神」C「自己確信的精神、道徳性」c「良心、美魂、悪とその赦し」における「赦し」・「やわらぎ」)にあっては、その展開は不十分ではあるが、すでに「絶対精神」が顕現し「絶対知」に到達している。(304頁)

Cf. 「人格」と「人格」との間には、「結合あるいは肯定」のほかに「分離あるいは否定」・「否定の隔たり」があり、「連続」のほかに「非連続」がある。ところがこの「非連続」の面を忘れてしまって、「連続」の面だけみてとり、そして「他人」のうちに「自分自身の満足」を求めようとするのが「快楽(ケラク)」の段階だ。かくて「快楽(ケラク)」とはあからさまに言えば男女間の「愛欲」だ。(196頁)

《参考1》《精神》における(ハ)「実体性恢復の段階」(A)「直接知」の立場は、(ロ)「反省・媒介の段階」すなわち「ルネッサンス」・「啓蒙」の時代の「有限性」の立場を嫌悪するのあまり、「悟性」を抹殺して直接に「絶対性」の立場へ逆転しようとする立場だ。(65頁)
☆つまり人間が「永遠なもの・絶対的なもの・無限なもの」を「悟性」を媒介することなく、直接的に「感情・情緒」といったもので捉えることができると考える。かくて「悟性」とか「反省」を全く軽蔑する立場だ。
☆それは「ロマンティスィズム」の立場だ。ノヴァーリス(1772-1801)、シュレーゲル(1772-1829)、シュライエルマッヘル(1768-1834)などだ。(65頁)

《参考2》「道徳的世界観」(カント)は矛盾だらけだから、それが「具体的」に働くときにはb「ずらかし」という C「道徳性」の第2段階が生ずることになる。(296頁)
☆「道徳的世界観」(カント)はまだ「抽象的」で3つの矛盾がある。①「『道徳』と『自然』」あるいは①-2「『道徳』と『幸福』(※「自然」に由来する欲求)」との矛盾。(「神の存在」の要請!)②「理性」と「感性」との矛盾。(「霊魂の不死」・「神の存在」の要請!)③「道徳法則」が「抽象的」なので「具体的状況」のもとでの「多数の義務」の間の矛盾。(「神の存在」の要請!)(296頁)
☆「ずらかし」(Ver-stellung)とは「物を置くべきところに置かず、置きちがえる」ことである。(296-297頁)
☆C「道徳性」の第2段階のb「ずらかし」とは、「一度こうだと言ったのに、すぐにそうではないと言って、反対から反対へずるずる動かすこと」をさす。(Cf. ①「『道徳』と『自然』」あるいは①-2「『道徳』と『幸福』」との矛盾。②「理性」と「感性」との矛盾。③「具体的状況」のもとでの「多数の義務」の間の矛盾。)(297頁)
☆つまりb「ずらかし」とは、「道徳的世界観」(カント)の3つの「要請」における3つの「対立」・「矛盾」( ①②③)において、一方から他方へ、他方からもとの一方へと、ずるずる動くことを指す。(297頁)

Cf. ヘーゲル『精神現象学』の目次!
(A)「意識」(「対象意識」):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」(a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)・Ⅱ「啓蒙」(a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」)・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」(a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

Cf. 金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、3「現代(あるいは絶対知)」
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