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ニーチェは、歴史学について記念碑的、好古的(骨董的)、批判的という三つの様式を区別している!ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第5章」「第76節」(その3)

2020-05-01 08:58:03 | 日記
※ハイデガー(1889-1976)『存在と時間』(1927)「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第5章 時間性と歴史性」「第76節 現存在の歴史性にもとづく、歴史学の実存論的根源」(その3)

(4)「本来的な歴史性」と「非本来的な歴史性」!
G 「《生》はその存在の根底において歴史的である。」(396頁)
G-2 「事実的に実存するものとしての《生》は、いつもすでに本来的な歴史性か、非本来的な歴史性かへおのれを決定している。」(396頁)

(4)-2「記念碑的、好古的、批判的」歴史学(ニーチェ)!
H 「ニーチェは、歴史学について、記念碑的(monumentalisch)、好古的(antiqualisch)、批判的(kritisch)という三つの様式を区別している。」(『反時代的考察』第二、1874年)(396頁)
H-2 この「歴史学の三重性は、実は、現存在の歴史性のなかに予描されている。」(396頁)
《参考7》「過去を想起 せざるを得ない人間は、歴史を生への奉仕のために必要とする。歴史は三つの形態において、生きている者に奉仕する。すなわち活動し努力する者に属する記念碑的 (monumentalisch) 歴史、保存し敬慕する者に属する骨董的 (antiqualisch) 歴史、苦悩し救済を必要とする者に属する批判的 (kritisch) 歴史の三つである。」(「歴史の三形態と悲劇の誕生」茶園陽一『メタフュシカ』35(2) P.129-P.136)

(4)-3 現存在が歴史的に存在するのは、時間性にもとづいてのみ可能だ!
H-3 「現存在が歴史的に存在するのは、ただ時間性にもとづいてのみ可能である。」(396頁)
H-4 「この時間性は、その出動の脱時的=地平的統一態において時熟する。」(396頁)

(4)-4 記念碑的(monumentalisch)歴史学!
I 「現存在が《将来的なもの》として本来的に実存するのは、みずから選びとった可能性を覚悟性において開示することにおいてである。」(396頁)
I-2 「覚悟性においておのれへ立ち帰って来るとき、現存在は人間的実存のもろもろの《記念碑的》可能性へ反復的に開かれている。」(396頁)
I-3 「かような歴史性から発現する歴史学は《記念碑的》歴史学である。」
《参考7①》「記念碑的(monumentalisch)歴史が要求するのは、はるか以前に過ぎ去ってしまった瞬間の最高のものが、私にとってなお生き生きとして明らかで偉大であることである。・・・・一度はそこにあった偉大なものは 少なくとも一度は可能だったのであり、それ故おそらくもう一度可能であるだろうとの推察へと導かれる。」(茶園、同上)

(4)-5 好古的(antiqualisch)歴史学!
J 「現存在は《既住的なもの》としては、おのれの被投性へ引きわたされている。」(396頁)
J-2 「可能的なものを反復的に領得すること(※《記念碑的》歴史学)のなかには、同時に、かつて現存していた実存を畏敬しつつ保持すること(※《好古的》歴史学)の可能性があらかじめたどられている。」(396頁)
J-3 「こうして、本来的歴史学は、《記念碑的》でありつつ同時に《好古的》なのである。」(396-7頁)
《参考7②》「骨董的(antiqualisch、好古的)歴史とは自分が由来したもの、そして現在の自分自身と成らしめたものを忠節と愛をもって保存し敬慕する者に属する。・・・・骨董的歴史は自己が現在の自己として生じてきた様々な条件を自分の後に生じる者のために保存することを目的とする。」(茶園、同上)

(4)-6 批判的(kritisch)歴史学!
K 「さらに、現存在は将来と既住性との統一態において、現在として時熟する。」(397頁)
K-2 「この現在は、《瞬視》として、今日を本来的に開示する。」(397頁)
K-3 「ところがこの今日は、みずから選びとった実存可能性の将来的=反復的了解から解意されるのであるから、本来的歴史学はこの点で、今日に反撥する現持となる。すなわちそれは今日の頽落的公開性から痛みつつおのれを解離するのである。」(397頁)
K-4 「こうして《記念碑的=好古的》歴史学は、本来的なものであるかぎり、必然的に《現代》の批判である。(※《批判的》歴史学)」(397頁)
《参考7③》「批判的 (kritisch) 歴史」は「現在の生をより創造的なものとし、より豊かなものにするためには・・・・過去に対する批判的態度もまた必要である」ことから生じる。「もし過去が現在および将来の生を毀損するならば、人間は生きることが出来るために、過去を破壊し解体する力を持ち時折適用しなければならない。こうした力を持つ歴史認識の在り方が、批判的歴史 である。」(茶園、同上)

(4)-7 本来的歴史学の基礎の根拠は、関心の実存論的存在意味としての時間性である!
L 「本来的歴史性こそ、歴史学の三つの様式の可能的統一態の基礎である。」(397頁)
L-2 「そして、本来的歴史学の基礎の根拠は、関心の実存論的存在意味としての時間性である。」(397頁)
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