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兼好法師『徒然草』第122段「人の才能は」:兼好法師は文武両道以上に、文武医三道の重要性を説く!「薬食同源」(医食同源)!「細工、よろづに要(エウ)多し」!

2020-07-02 20:40:32 | 日記
※兼好法師(1283?-1352?)『徒然草』(1330-31頃)

「人の才能は、①文(フミ)(※古典)にあきらかに(※通暁)して、聖(ヒジリ)(※儒教の聖人)の教えを知れるを第一とす。②次には手書く事(※書道)、むね(※専門)とする事はなくとも、是を習ふべし。学問に便(タヨリ)(※便宜)あらんためなり。③次に医術を習ふべし。身を養い、人を助け、忠孝のつとめも、医にあらずはあるべからず。(※医術によらなければ全うすることは難しい。)④次に弓射(ユミイ)、馬に乗る事、六芸(リクゲイ)に出(イダ)せり。(※中国で士大夫が必修した六芸に挙げられている。)必ずこれをうかがふべし。(※習っておくのが良い。)文・武・医の道、誠に、欠けてはあるべからず。これを学ばんをば、いたづらなる人(※無駄なことをする人)といふべからず。⑤次に、食は人の天(※なにより大切なもの)なり。よく味(アヂハヒ)を調(トトノ)へ知れる人(※上手な調味の術を知っている人)、大きなる徳(※長所)とすべし。⑥次に細工、よろづに要(エウ)多し。(※手工芸は、何かにつけて必要とされることが多い。)」

《感想1》兼好法師は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家だ。彼は六位蔵人に任じられ従五位下左兵衛佐にまで昇進後、30歳前後で出家遁世した。
《感想1-2》彼は、「人の才能」の第一は①「文(フミ)(※古典)にあきらかに(※通暁)して、聖(ヒジリ)(※儒教の聖人)の教えを知れる」ことだと言う。彼は、博学多識で、儒教はもちろん、仏教、道教、和漢の文学、有職故実に詳しい。和歌四天王の一人でもある。兼好法師自身、「人の才能」の第一のものを身につけていると言える。
《感想2》兼好法師は「人の才能」の第二は②「手書く事(※書道)」だと言う。「学問に便(タヨリ)(※便宜)あらんためなり。」彼は、学問の人で、当時一級の知識人だ。
《感想3》「人の才能」の第三は③「医術」だと兼好法師は言う。「身を養い、人を助け、忠孝のつとめ」のため「医術」が必要だ。彼は、堅実な常識人である。
《感想4》兼好法師は第四に④「弓射(ユミイ)、馬に乗る事」(※弓術と乗馬)を身につけているべきだと言う。これらは「六芸」に挙げられている。
《感想4-2》六芸は「礼・楽(音楽)・射・御(ギョ)(馬術)・書・数(数学)」だが、兼好法師はすでに②「書」・④「射・御(ギョ)(馬術)」に言及した。「礼」は作法・有職故実で、官人に必須の知識で当然の前提だ。しかし兼好法師は六芸のうち「楽(音楽)」と「数(数学)」について身につけているべきだと言わない。
《感想4-3》こうして兼好法師は言う。「文・武・医の道、誠に、欠けてはあるべからず。」彼は、文武両道以上に、文武医三道(①②③④)を学ぶ重要性を説く。
《感想5》さらに兼好法師は「食」の重要性について述べる。⑤「食は人の天(※なにより大切なもの)なり。よく味(アヂハヒ)を調(トトノ)へ知れる人、大きなる徳(※長所)とすべし。」彼は中国の「薬食同源」(医食同源)思想を前提していたのだろう。
《感想6》兼好法師はプラグマティックだ。⑥「細工、よろづに要(エウ)多し。(※工芸は、何かにつけて必要とされることが多い。)」「人の才能」として「細工」(※工芸)を学んでおく必要があると、彼は言う。Ex. 大工・鍛治・刀剣・鋳物・織物・裁縫・扇・木工(家具・道具等)・陶磁器・漆器・竹細工・紙漉き・製本・・・
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