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鴨長明『発心集』「第一」:「十一」上人の最後の煩悩!彼は人恋しかった!年老いて女性との親愛の交流が欲しかった!俗世的には《茶飲み友達》!

2020-04-30 13:07:19 | 日記
※鴨長明(1155頃-1216)『発心集』(1214頃)。 ※現代語訳は角川ソフィア文庫を参照。

「発心集 第一」「十一 高野の辺(ヘン)の上人、偽って妻女を儲くる事(※妻を迎えたふりをしたこと)」
(1)
高野の辺(ホトリ)にある聖(ヒジリ)が住していた。帰依者が多く、貧しいわけでなく、弟子も多数いた。高齢になったある日、上人(ショウニン)が、信頼する高弟を呼んで「老いると心淋しいので夜伽(ヨトギ)をしてくれる妻女が欲しい。しかるべき人を探してほしい」と頼んだ。弟子は驚いたが、夫に先立たれた40歳位の女性を上人に世話した。
(2)
「寺の一切の采配は高弟が行うように」と上人は依頼した。そして「私は奥の部屋に住みます。他の人には何も伝えないで下さい。最低限、生きていられるだけの世話をしてください。このようにしていただくのが長年の私の願いでした」と言った。
(3)
上人と女性は奥の部屋で暮らしたが、その部屋には誰も入らず、また彼らは誰にも会わず、6年たって、女性が泣きながら、高弟のところにやってきて言った。「上人は今朝、お亡くなりになりました。」驚いて行ってみると上人は、仏像の御手に五色の糸をかけ、それを手に取って、脇息に寄りかかり、念仏していた手もそのまま、眠っているかのように息絶えていた。
(4)
高弟が女性に事情を細かに聞くと、女性が言った。「上人と長年暮らしておりましたが、男女の関係は一切ありませんでした。迷いの世界の厭うべき様、浄土を願うべきことばかりこまごまと教えてくださいました。『私は生きるすべなく夜伽の相手として参りました。しかし今、素晴らしい師に出会えたと喜んでいます』と上人に伝えたところ、『本当に嬉しいことだ』とおっしゃってくれました。」

《感想》上人の最後の煩悩だ。彼は人恋しかった。しかも年老いて女性とともに過ごしたいと思った。彼は性愛が欲しいのでなく、女性との親愛の交流が欲しかったのだ。俗世的には《茶飲み友達》だ。
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