DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(三)「理性」1「観察」(その6):(イ)「有機体」と「環境」との関係は「相互作用」だ!(ロ) 「有機体」における「感受性」・「反応性」・「再生」!

2024-06-22 13:58:09 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(三)「理性」1「観察」(その6)(173-174頁)
(37)「有機体」における「外は内の表現である」という命題:(イ)「有機体」(「内」)と「環境」(外)との関係!「環境」(「外」)を見れば、おのずと「動物自身」(「内」)が分かる!だが「環境」が原因で「有機体」が結果であるという「因果関係」ではない!ヘーゲルは「環境」と「有機体」の「相互作用」の立場、あるいは「有機体」の「目的論的」立場をとる!
★「有機体」において「外は内の表現である」という命題が成立する。たとえば「空を飛ぶ鳥」は「羽」をそなえ、いわゆる鳥類の構造を具えているし、「寒帯に住む動物」は「厚い毛皮」をもっているというように、「環境」(「外」)が「生物」(「内」)に対して影響を及ぼしている。したがって「環境」(「外」)を見れば、おのずと「動物自身」(「内」)が分かるという意味において、「外なるものは内なるものの表現である」。(173頁)

★ヘーゲルはしかし、この考えを批判する。すなわちこの考えは「『環境』が『原因』として『有機体』に影響を及ぼした『結果』、厚い毛皮や魚類の構造ができる」という意味において「因果関係」を基礎としているので、ヘーゲルはこの考えを批判する。(173頁)

★ヘーゲルは、「有機体」は「環境から影響され限定される」(「因果関係」)にとどまるものでなく、むしろ「有機体」が「自由に自分で『環境』を選択し、また『環境』を変えていく」と言う。つまりヘーゲルは「『環境』が原因・『有機体』が結果」という「因果的連関」の立場で「有機体」を観察するのは不十分だとする。ヘーゲルは「環境」と「有機体」の「相互作用」の立場、あるいは「有機体」の「目的論的」立場をとるべきだとする。(173頁)
☆すなわちヘーゲルは「有機体」が「環境」から影響を受ける(※「因果関係」の立場)と同時に、「有機体」が自身で適当な「環境」を選び変えていく(※「目的論的」立場)のであるから、「内外」は相互に作用し相即し一体を形作る(※「相互作用」の立場)と考えるべきだとする。この意味において「外なるものは内なるものの表現である」という法則(命題)が成立する。(173-174頁)

《参考》「個体」が「個体」として「自分自身を保存し再生していく」というのは、それ(「個体」)が「独立」することに相違ない。(172頁)
☆「個体」が「独立」するのは、食物その他のものを「環境」から摂取して行われるから、「環境から独立になる」ことはじつは「環境と連続する」ことで、「環境から分離する」ことではない。(172頁)
☆「有機体」において、「外」はやはりある。しかし「内と外」といっても相即しているから、「外は内の表現である」という関係が成立する。(172頁)
☆すなわち「生物」と「環境」との関係において、「外は内の表現である」という命題が成立する。この命題は「観察」(※《 (C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」》)の全体に対して基本的意義を持つ。(172-173頁)

(37)-2  (ロ)「感受性」と「反応性」と「再生」との関係!
★「生物」(有機体)における「『感受性』と『反応性』と『再生』との関係」のうちでは、「再生」がもっとも根本的で、「個体」として、また「種族」としての自分自身の生命を維持させ、また繁殖させる能力だ。(174頁)
☆根本的であるだけに「再生」能力はすべての「生物」(有機体)に共通だ。(174頁)
☆「生物」(有機体)が高等になるにしたがって、「再生」のほかに「感受性」と「反応性」が次第に顕著になって来る。(174頁)
☆「感受性」とは「物を感知し刺激を受け入れる能力」だ。その受け入れ方に応じて、「生物」(有機体)は「対象」にむかって働きかける。これが「反応性」だ。(174頁)
☆「再生」は、「感受」に「反応」が加わることによって、例えば「食物の所在を感知し(感受性)、それをとらえ摂取する(反応性)」ことによって、行われる。(174頁)

《参考》「生物」(「生命」・「生きもの」・「客観的即自的な無限性」)の基本構造:ヘーゲル『エンチュクロペディー』を考慮すると「生物」の基本構造は次のごとくだ。(130頁)
☆①[機能]感受性・[組織]神経組織、② [機能]反応性・[組織]筋肉組織、③ [機能]再生・[組織]内臓組織。(130頁)
☆比較的高等動物の場合に明らかなように、「生物」は①「神経組織」を用いて外界のものを「感受」し、②「筋肉組織」を用いて外界に「反応」し、③「内臓組織」により外からのものを「消化同化」して自己を「再生」・「保存」し、また「同種の他の個体を生む」。(131頁)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ライオンと人間」『スペイン民話集(エスピノーサ篇)』(第74話):「白馬非馬(はくばひば)」説(兒 説・公孫竜)!「彼を知り己を知れば百戦殆(アヤウ)からず」(孫子)!

2024-06-22 10:14:45 | 日記
(1)
ライオンと他の動物たちが話をしていた。ライオンが「わしは世界で一番強い」と威張った。すると虎が「『人間の男』の方がお前なんかより強い」と言った。ライオンは怒り、「『人間の男』がわしより本当に強いかどうか、探しに行く」と言って出かけた。
(2)
するとライオンは男の羊飼いに出会った。ライオンが「お前は『人間の男』が?」と聞いた。すると羊飼いは「『羊飼い』だよ」と答えた。
《感想》ライオンは(人間の男の)「羊飼い」と「人間の男」が別だと思った。「白い馬」と「馬」が別だと思うのと同じだ。
《参考》「白馬非馬(はくばひば)」説は諸子百家の「名家」(メイカ)の学説。「白馬は馬にあらず」と論じる。兒 説(ゲイ セツ)、公孫竜らによって唱えられた。『韓非子』によれば、兒説が「白馬」に乗って関所を通る時、「馬」への通行税を役人が取ろうとした。兒説は「白馬非馬」説を唱え、税を免れようとしたが、役人が引かず税を取られた。公孫竜は平原君の食客として活躍した。しかし陰陽家の鄒衍が「そんな説など在っても役に立たない」と否定し、平原君も次第に公孫竜を遠ざけた。
(3)
さらに行くとライオンは男の老人に出会った。ライオンが「お前は『人間の男』が?」と聞いた。すると老人は「『老人』だよ」と答えた。
《感想》ライオンは(人間の男の)「老人」と「人間の男」が別だと思った。
(4)
ライオンはまたも「人間の男」を探し続けた。坂を上がって行くと、坂を下りてくる人間(男)に出会った。ライオンは「お前は『人間の男』か?」とたずねた。人間(男)は何も答えずに、銃をぶっ放した。ライオンは大怪我をした。
《感想》人間(男)はライオンが襲ってきたと思って、あるいはライオンを獲物と思って、銃をぶっ放した。ライオンは「人間の男」がいかなる者か、いかなる行動をとる者か、あらかじめ調べておくべきだった。『孫子』は「彼を知り己を知れば百戦殆(アヤウ)からず」と述べる。(敵情を知り、また自国の実情もよく知れば、何度戦っても負けない。)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする