DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

兼好法師『徒然草』第207段「亀山殿建てられんとて・・・・」:天皇が治める土地にすむ動物が、天皇に祟るなどありえない!

2018-10-28 13:12:33 | 日記
嵯峨の地に、上皇の離宮である亀山殿を建てるため、最初、地ならしをした。 At the Saga area, the Kameyama-dono building which was a palace of the ex-Emperor (Joukou) was planned to be built. At first, they leveled the ground.
するとそこに塚があって、たくさんの蛇が密集していた。 Then they found a mound and many snakes in it.
みなが驚いて、「この地の神と思われる蛇がたくさん見つかりました」と上皇に申し上げた。 All of them were extremely suprised and told the ex-Emperor, "We found many snakes. They seem to be gods of this place."
「どうしたらよいだろう?」と上皇から御下問があった。 The ex-Emperor questioned, "What should I do?"
太政大臣が「天皇が治める土地にすむ動物が、天皇に祟るなどありえない。蛇を捕まえてみな捨ててしまえ。」と言った。 The grand minister said, "Animals that live at the place where Emperor reigns cannot curse His Majesty. The snakes must be captured and thrown away."
塚を壊し、蛇を捕まえ大井川に流した。 They destroyed the mound. Then they captured all the snakes and flew them away into Oi-gawa River.
祟りは全くなかった。 There happened no curses.

《感想1》後嵯峨上皇(前天皇)は土地の神を信じる。彼は、自分が人間にすぎないと思う。だから土地の神を恐れた。
《感想2》太政大臣(徳大寺実基)は、天皇の治世がこの国の最高の神々に正当性を与えられていると考える。だから下位の土地の神またその化身の蛇などを、おそれる必要がないと判断した。
《感想3》亀山殿は、今の嵯峨・天竜寺の敷地にあった。1255年造営。
《感想4》「さらに祟りなかりけり」(祟りは全くなかった)と兼好法師は最後に述べる。彼は太上大臣と同じ考えだった。
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ゴーチェ『オニュフリユス あるホフマン賛美者の幻想的なるいらだち』(1832):彼の現実は《幻想的な言葉》のもとに包摂される!彼は下界に、現実の世界に戻れない!

2018-10-28 09:25:14 | 日記
(1)「雲は青銅の暖炉で、膀胱は提灯だと信じた。」(『第一之書ガルガンチュワ物語』第十一章)
《感想1》これが、狂人オニュフリユスの精神状況を言い表している。「雲」は「青銅の暖炉」と解釈される。「膀胱」は「提灯」と解釈される。

(2)オニュフリユスは20歳代の画家で詩人だった。彼の恋人はジャサンタ。オニュフリユスが「少し前、教会の時計は十時だった」と言った。ところがその10分後、ジャサンタが気づく。「12時よ!」確かに今、眼の前の教会の時計が12時を指している。「小悪魔が針を進めたにちがいない」とオニュフリユスが言った。
《感想2》「妖怪のせいなのね」という歌があるが、因果連関を《現実の規則》に従って見いだせない時、あるいは見い出すのが面倒な時、《妖怪or悪魔》が持ち出され、原因とされる。

(3)ジャサンタをモデルにして、オニュフリユスが絵筆で瞳を描こうとしたとき、突然、肘を激しく突かれ手元が狂い、絵は大失敗となる。これは「悪魔の所行」だと彼は思った。
《感想3》ここでも《現実の因果規則》で説明できない出来事は、「悪魔の所行」が原因とされる。

(4)オニュフリスがもっぱら読んだ本は「不可思議な伝説、昔の騎士道小説、神秘的な詩、カバラ神秘術の解説、ドイツ・ロマン派のバラード、魔法や悪魔礼賛の書物」だった。彼は「現実世界の真中で、恍惚と幻想世界を作っていた。」
《感想4》出来事の一片を、イデア的意味(言葉)のうちに包摂する。彼はイデア的意味(言葉)を、彼が読んだ本、幻想的な本の中から選び出した。彼の現実は、幻想的な言葉のもとに包摂された。
《感想4ー2》厳密には、言葉は《記号》(もちろんこれ自身もイデア的意味だがシンプルだ)であり、《記号と連関する(orそれが指示する)イデア的意味》と異なる。

(5)かくてオニュフリユスの魂と肉体の眼は、真直ぐな直線をゆがめ、単純な事実を複雑に入り組ませる。例えば彼は、単純な白い壁だけの部屋にさえ、奇怪な亡霊を見る。
《感想5》彼の脳髄は錯乱していた。そのため彼の絵や詩には、悪魔の牙や尻尾がいつもどこかに現れていた。

(6)オニュフリユスは、現実生活を生きることに全然馴れていなかったので、彼は怪物視された。
《感想6》現実生活を生きるためには、人は出来事を《人々と共通のイデア的意味(言葉)》のもとに把握し、その意味に対応する行動をしなければならない。《広範囲の因果連関・行動連関を含むイデア的意味(広義の理論)》もある。《人々に共通の間主観的なイデア的意味(言葉および広義の理論)》に、オニュフリユスは馴れていない。

(7)「悪魔の存在は、神の存在と等しく、もっとも尊敬すべき権威者たちによって証明されている。」かくて疑うことなくオニュフリユスは、あらゆる出来事を悪魔の所行と解釈した。
《感想7》こうして彼は悪魔の呪い、悪魔の計画、悪魔の所業など、日常の出来事について陰惨な夢想(解釈)に陥る。

(8)ある日、オニュフリユスが老貴族とチェッカーをしたとき、彼は負ける。それは彼によれば、「先に鋭い爪がついた悪魔の指」が自分の指の脇にあって、彼の駒を動かしたからだった。
《感想8》こうしてオニュフリユスは、幻覚を見るに至る。出来事を説明するのに《言葉で》悪魔が原因or悪魔のしわざと説明するだけでなく、彼は《視覚的に(幻覚的に)》悪魔の姿、例えば悪魔の指を見るようになった。

(9)オニュフリユスが馬を走らせ、老貴族の屋敷から帰る途中、彼は腕をのばしている妖怪(木々)を見、鬼火を見る。月は鉢巻きをし、頬に白粉をつけていた。4人の悪魔が現れ、馬が進むのを妨げる。夜か過ぎ去り、雄鳥が鳴くと亡霊たちが消えた。
《感想9》彼は今や《幻覚》と《日常の現実》の混交のうちに生きる狂人だ。ただし私と話ができる限りでは、いまだ正気だ。

(10)オニュフリユスはしばしば奇怪な夢を見た。その夢の一つは次の通り:僕(オニュフリユス)は死の床についていた。そして僕は死んだ。医者が「終わりです」と言う。僕(魂)は声が出せなかった。僕(魂)は生きながら墓に葬られた。
《感想10》この場合、肉体は死んでいるが魂(精神)は生きている。肉体が死んでいるから苦痛はない。墓に埋められても窒息しない。

(11)オニュフリユスの夢(続1):僕は、「ジャサンタが、僕を追い払うため恋人と結託して、僕を生きながら地下に埋めた」と思い嫉妬し、怒りを爆発させる。怒りの結果、僕は自分の死骸の肘と膝で思い切り叩き、棺の蓋を開けて不実な女を殺しに行こうと思った。
《感想11》死骸が魂に従って動くのはゾンビだ。だが棺は地中にあり、死骸が暴れても棺の蓋があかない。オニュフリユスの魂はへとへとに疲れ茫然自失し、おとなしい死骸に戻る。

(12)オニュフリユスの夢(続2):死骸のうちにある魂の僕は落ち着きを取り戻し、時間をつぶすため詩を作り始める。死体の夢想なので『死の中の生』という題を付けた。
《感想12》「死の中の生」とは形容矛盾だ。死の中に生はない。ただし信仰的には可能だ。死んだのに魂が生きている。「魂の不死」を信仰的に信じた場合だ。
《感想12-2》だが《事実》的(経験的・科学的)あるいは《日常の現実》的には、肉体の死は魂の死だ。
《感想12-3》なお「丸い四角」は形容矛盾あるいは論理的矛盾あるいは事実的矛盾だが、比喩的・情緒的には「丸い四角」は可能だ。それはソフトな感触の四角だ。

(13)オニュフリユスの夢(続3):僕(魂)の死骸(肉体)は墓から掘り出された。僕は解剖されることになる。僕は解剖されるのがいやだった。僕は愛しい外被(肉体)が分断されるのに立ち会うのがいやだった。僕(魂)は、肉体(死骸)から分離し逃げ去る。
《感想13》魂は肉体に愛着を持つ。これは肉体が生きているときの感情(魂)の延長だ。
《感想13ー2》なおついでに言えば、実は魂(心)と肉体は別でなく、魂(心)は肉体を含むのだ。感覚は心に属す。例えば触覚も心に属す。触覚とは物の出現だ。触覚は《物の像》でなく、出現する《物そのもの》だ。かくて出現する物は心(モナド)に属す。

(14)オニュフリユスの夢(続4):肉体から離れた魂(僕)は奇妙に軽くなった。霊魂は物でないので重さはないが、失った手足(肉体)がまだ付いている気がするため、軽く感じる。魂(僕)は自由に飛び回る。
《感想14》魂は肉体の世界(物理的世界)と無縁(異なる実体)なのに、物理的世界のうちに場所を持つのか?(心身問題!)魂(心)は肉体に宿ると言われるのみで、答えは謎だ。かくて仕方ないので著者は、物理的世界のうちに浮遊する物体として魂(心)をイメージする。

(15)オニュフリユスの夢(続5):さて魂(僕)は、開いた窓から部屋に入った。そこに妖精狩りの老人が居て、奇妙なブラシを二つ持っていた。彼は不可視の存在を見る能力を持ち、僕(魂)を正確に追い回し始める。最後に彼は僕を追い詰め、二つのブラシを振り回す。数千の剣が僕の魂に突き刺さり、僕はどうにも耐えられず、舌も口も胸もない僕なのに叫び声を上げた。
《感想15》科学がまだ精神を征服しない時代だ。呪術が強く生き残る。(1830年代フランス)「妖精狩り」と呼ばれる呪術師が職業として成立している。

(16)オニュフリユスがここまで夢を見た時、私が彼のアトリエに行った。彼は上述のような夢の話をした。この痛ましい夢の夜以来、彼は絶え間ない幻覚状態を続け、ついに夢と真実を見分けることが出来なくなった。彼がアトリエの奥の鏡を見た時、彼は自分ともう一人別の男を鏡の中に見る。鏡の外にその男は居ないのに映っている男!その男が鏡から出てきて、オニュフリユスを座らせ、有無を言わさずパイの上皮を剥がすように、彼の頭蓋骨を剥がした。その男は悪魔だった。
《感想16》
オニュフリユスが鏡の中に悪魔を発見し、悪魔が鏡から出てきて、彼の頭蓋骨を剥がした。これは彼の幻覚だ。

(17)オニュフリユスの頭蓋骨が剥がされると、中に閉じ込められていた彼の思念が鳥のように飛び出して来た。記憶されていた人物、小説のヒロイン、歴史的事件、形而上的思想、読書の回想などすべてがアトリエいっぱいにあふれる。
《感想17》頭蓋骨から飛び出して来た思念は3次元映像のようなものだ。立体映画的・イメージ的に、様々の思念がアトリエを埋める。

(18)しばらくしてオニュフリユスは夜会の招待状を受け取り、夜会に出席した。社会との接触は、彼を現実に引き戻した。ところがそこに赤いビロードのチョッキの青年(赤ひげの気取り屋)が現れる。彼の瞳には悪意がみなぎり、嘲笑と傲慢の悪魔的侮蔑を示していた。オニュフリユスは、この男が自分の頭蓋骨を剥がした悪魔ではないかと思う。しかし彼は、「自分はもう思念を持たない人間なので判断力がない」と思い、赤ひげの気取り屋を悪魔と確信できなかった。
《感想18》頭蓋骨に閉じ込められていた思念が、外に飛び出してしまうと、文字通り頭蓋骨の中はカラッポになり、自分は判断力を失う。そうオニュフリユスは思った。

(19)彼は夜会で詩劇(韻文劇)を暗唱することになった。赤ひげの気取り屋(悪魔)は銀のへら、クリーム、ガーゼの網を持っていた。クリームは様々な詩をクリーム状にしたものだ。オニュフリユスが詩の暗唱を始めると、宙を飛ぶ詩の音節を、聴衆に届く前に気取り屋(悪魔)がガーゼの網でとる。そして詩のクリームを、銀のへらでオニュフリユスの口に押し込む。するとオニュフリユスは、押し込まれた詩を暗唱することとなった。
《感想19》「口から発せられる音声を盗んで、代わりの音声(クリーム)を口に入れ、発声させる」とは、オニュフリユスは悪魔の玩具にされている。だがこれは、実は、オニュフリユスの幻覚だ。彼は、彼の詩を暗唱している。それ以上のこと、つまり悪魔がガーゼの網で詩をとり、銀のへらで彼の口に詩を押し込むことは幻覚だ。

(20)オニュフリユスは激高して言った。「君たちはみんな悪党だ。この夜会は謀略だ。僕を悪魔の玩具にするため、僕を呼んだのだ。」彼は挨拶もせず出て行った。外は嵐模様の雨だ。彼は雨の中、走った。闇の中に異形の影がうごめき、足下に不浄の蛇がのたうつ。耳には悪魔の冷笑とささやきが聞え、周りで家々がワルツを踊り、舗道が波打つ。空が支柱の折れた丸屋根のように傾き、大きい道と小さい道がしゃべりながら腕を組んで歩いて行く。
《感想20》オニュフリユスの現実に、幻覚が入り込む。どこまでが現実で、どこからが幻覚か、彼には分らない。彼は狂人だ。

(21)オニュフリユスに馬車が突っ込んできた。彼は「最期だ」と思う。ところが馬も御者も馬車も煙となり、彼を通り過ぎる。そして、その先でその幻想の馬車は一つに合し、何事もなかったかのように走り去った。雨の中、ずぶ濡れで家に戻ったオニュフリユスはくたくたに疲れ、玄関で気を失う。1時間後、意識が回復したが彼は高熱を発した。恋人のジャサンタが駆け付け、彼に付き添う。だが彼は、ジャサンタを見分けることが出来なかった。1週間がたち彼の熱は下がるが、彼の理性は戻らなかった。
《感想21》オニュフリユスは、馬車が彼にぶつからず彼の体を走りすぎたので、「悪魔が自分の体を奪ってしまった」と思った。それ以後、彼は「鏡の中の自分の姿を、(体がないので)自分のものと認めなかった」。また「地面の上の自分の影を、(体がないので)自分のものと認めなかった」。彼は自分が「触知できない魂だけの存在」だと信じた。

(22)オニュフリユスは、現実から出て、幻想と抽象の暗鬱な深みに飛び込んだ。彼は日常の出来事から材料を得て、それを架空の想像のうちにおいて解釈した。彼は幻惑のうちにあって、下界から非常に高く遠くきたと感じたが、ついに下界に、つまり現実の世界に戻ることが出来なくなった。
《感想22》オニュフリユスには、「極く自然のこと」も、空想に拡大され、奇怪きわまりないものに見えた。
《感想22-2》出来事は、イデア的意味(言葉)のうちに包摂される。一方に、《他者と共有される日常的現実を可能にするイデア的意味(言葉)》がある。この場合、出来事は「極く自然のこと」となる。しかしオニュフリユスは、この出来事を、常に彼の《幻想的なイデア的意味(言葉)》のうちに包摂した。彼の現実は《幻想的な言葉》のもとにのみ包摂される。彼は狂人となった。
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