DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

映画『億男』(2018年、日本):君は、宝くじ3億円が当たるか、億万長者になりたい!

2018-10-26 20:15:38 | 日記
3000万円の借金を残し失踪した兄の連帯保証人で、借金返済に追われる一男。愛想を尽かした妻は、娘とともに家を出る。ところが一男に宝くじ3億円が当たる。

《感想1》
普通はここで話は終わりだ。一男は当選を誰にも言わない。配偶者にも子供にも隠す。一男はこれまでと同じ生活を続ける。ほんの少しだけ贅沢する。3000万円の借金については、夜間のアルバイトはやめ体をいたわり、その分だけ3億円から出す。残りは貯金する。金にこれまでで縁がない貧乏人の被雇用者にはこれが最良だ。増やそうとか思わない。老後資金としてもう十分だ。あとは楽しく働く。もう一男に何の問題もない。
《感想1-2》
一男は、3億円の使い方のアドバイスを九十九(ツクモ)に求める必要がない。
《感想2》
起業して億万長者となった大学時代の親友・九十九(ツクモ)も、すでに老後の心配がない。彼は一生生活に困らないから、あとは楽しく働く。あるいは世の中に役立つ事をして過ごす。
《感想3》
かくて3億円が当たった一男と億万長者の九十九(ツクモ)について、『億男』の映画を作る理由がない。
《感想4》
お金は、生活・子育て・教育・家・娯楽・老後に必要な「財・サービス」の別名にすぎない。カネが有り余るほどあれば、カネはただの紙切れだと言う暇があるが(これが映画『億男』の立場)、カネがないとそんなことを言っている暇はない。必要な「財・サービス」と交換可能な紙切れは、お札であって、無価値の紙切れでない。1万円札の大きさの古新聞一切れであれば、それは確かに無価値な紙切れだ。1万円札が無価値な紙切れと思う身分・心境は、君の場合でない。
《感想5》
君はともかく一男のように宝くじ3億円が当たりたい。あるいは九十九(ツクモ)のように億万長者になりたい。もちろんこれでは誠に、小説・映画にならない。
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「波の間や小貝(コガヒ)にまじる萩の塵(チリ)」芭蕉(『奥の細道』)(49):波がひいてそこに砂が現れると、小貝に萩の散った花びらが混じり、貝も花もともに赤く美しい!

2018-10-26 14:58:57 | 日記
「波の間や小貝(コガヒ)にまじる萩の塵(チリ)」  
When waves are going out, there are small shellfish and fallen flowers of bush clover mingling with each other. Both of them are red and beautiful.

《感想1》芭蕉は、西行の歌で有名な「ますほの小貝」をひろいに敦賀・種(イロ)の浜に芭蕉は出向いた。
《感想2》西行の歌は「潮染むるますほの小貝ひろふとて色の浜とはいふにやあるらむ」。(海が染めた紅色の小さい貝マスオガイを拾う浜なので、色の浜と言うのではないだろうか。)マスオガイ(真蘇芳貝)は蘇芳(スオウ)色、つまり紅色の貝。
《感想3》波がひいてそこに砂が現れると、ますほの小貝に萩の散った花びらが混じっている。貝も花もともに赤く美しい。
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テオフィル・ゴーチェ(1811-72)『コーヒー沸かし』(1831):僕と二年前に死んだアンジェラは、超現実のうちで《完全な愛の幸福》、《魂の結婚》を経験した! 

2018-10-26 11:52:25 | 日記

(1)
去年、僕は二人の友人アリゴとペドリノとともに、ノルマンディーの地所に呼ばれ出かけた。夕食後、めいめいの部屋に案内された。僕の部屋の壁には邸(ヤシキ)の祖先たちの多くの絵が飾られていた。
(2)
僕がベッドに入りしばらくして、突然、蝋燭の火が妙に激しく燃え始めた。絵が実は三次元の現実だと明らかになった。絵の中の人々の眼が動き、唇が語り合うかのように開いたり閉じたりしていた。
(3)
時計が11時を打った。すると蝋燭が何本も自然についた。ふいごが勝手に暖炉の火を吹いた。テーブルの上のコーヒー沸かしが下に飛び降り、暖炉の燠火(オキビ)の間に納まった。肘掛椅子が揺れはじめ、脚を動かし移動し、暖炉のまわりに並んだ。


(4)
続いて一番古い肖像画の大男が額縁から首を出し、そして抜け出した。彼は鍵を持っていて、それを額縁にあてると、どの額縁も大きく広がり、中の人物が外に出てきた。司祭、未亡人、司法官、青年など。彼らは椅子に腰をおろした。茶碗とコーヒー沸かしとスプーンが自然にコーヒーを用意した。
(5)
コーヒーを彼らが飲み終わると、それら道具は消え去り、今度は彼らがおしゃべりを始めた。十二時が鳴ると、どこかから声がして「さあ時間だ。ダンスを始めよう」と言った。タピスリーの楽士たちが音楽を演奏し始めた。音楽は急テンポで、色々の音色・音階の大洪水となり、みんなは汗びっしょりになって、音楽に遅れまいと踊った。
(6)
時計が1時を打った。踊りに加わらない女が一人いたことに僕は気づいた。彼女は暖炉の前の安楽椅子に腰掛けていた。僕は「将来、誰かを愛するようになったら、それは彼女のほかあるまい」と思った。
(7)
僕はベッドから跳び降り、彼女のそばに走っていった。そして彼女の前にひざまずき、彼女の片手を両手でしっかり握り、20年来の知り合いのようにしゃべった。僕は彼女に話しかけながら、彼女と一緒に踊りたくて脚が焦げるようだった。
(8)
彼女が僕の気持ちを察したように言った。「時計の針があそこまでいったら、よくてよ、テオドールさん。」彼女の指さした時刻が鳴った。さっきの声が響き、「アンジェラ、踊りたかったら、その人と踊ってもよろしい。だがその結果がどうなるかわかっていような」と言った。
(9)
僕らはワルツを踊り始めた。僕は生まれて以来あんなに感激したことがなかった。オーケストラは速さを3倍にしたが、僕らはついて行くのに努力する必要がなかった。
(10)
だがアンジェラが突然疲れてしまったようだった。「休みたいけど、肘掛け椅子が一つしか残ってないわ」と彼女が言った。「構やしないよ、僕の美しい天使さん、僕の膝の上に座らせてあげるよ」と僕が答えた。


(11)
アンジェラはためらわずに僕の膝の上に座り、白い飾り紐のように両腕で僕を抱いた。彼女は大理石のように冷たくなっていた。どのくらいの時間、二人がこういう姿勢でいたかわからない。全感覚が、神秘で架空な女性の凝視に吸い取られていたからだ。
(12)
僕は時間も場所も分からなくなった。現実世界との絆が切れた。僕の魂は肉体という泥土の牢屋から解放され、茫漠たる無限の中を泳いだ。アンジェラの考えが、口をきく必要もなく、僕にははっきり分かった。彼女の魂の光が僕の胸を刺し通したからだ。
(13)
雲雀が鳴き出し、薄い光がカーテンに戯れ始めた。アンジェラはそれをみると急いで立ち上がり、僕に別れの手を振った。そしてけたたましい叫び声をあげながら、下へ落ちた。
(14)
僕はぎょっとして、彼女を抱き起こそうと、肘掛椅子から飛び出した。僕の血が凍った。眼の前には、粉々に砕けたコーヒー沸かしだけしかなかった。僕は何か悪魔的な幻想の玩具になったのだと思い、ひどい恐怖にとらわれ、気絶した。


(15)
意識を取り戻すと、僕はベッドに寝かされていた。友人アリゴとペドリのが枕もとに立っていた。アリゴが言った。「今朝、君は床の上にながながとのびていた。こわれた陶器のかけらを若いきれいな娘のように抱きしめていた。」
(16)
それから昼食になった。僕はろくに食べなかった。昼食のあとは雨がひどく、外へ出られなかった。僕は画帳にデッサンを書き始めた。気づくと僕の描いた線は、昨日の「コーヒー沸かし」を不思議なほど正確に表していた。
(17)
僕の肩越しに仕事ぶりを見に来た邸の主人が、「この顔は、妹のアンジェラに驚くほど似ているよ。」と言った。なんとコーヒー沸かしが、今や、アンジェラのやさしい少し愁いをふくんだ横顔と瓜二つになっていた。
(18)
僕はたずねた。「天国のすべての聖者にかけて、妹さんは死んだのか生きているのか?」主人が答えた。「死んだんだ、二年前に、ダンスの後で肺炎にかかってね。」僕は、「もはや地上に幸福がない」と思った。

《感想1》
『コーヒー沸かし』(1831)は、ゴーチェ20歳の時の作品。清新で初々しい。ストーリーも単純だ。
《感想2》
描かれた絵の世界が、別の世界でなく、この現実世界と連続する。理由なく蝋燭の火が妙に激しく燃え始めるのは、この世を超えたつまり超現実的作用による。
《感想3》
蝋燭の着火、ふいごの作動、コーヒー沸かしと肘掛け椅子の移動、これらもすべて超現実的作用だ。作用の原因はこの世界にない。物理的原因でない。
《感想4》
ただし超現実的作用が起きる範囲が限られる。額縁の大きさは超現実的に《自由に》変えられない。《魔法の鍵》(これ自身は超現実的だ)によってのみ額縁の大きさが変わる。このことと、絵が三次元の現実に変化すること、蝋燭の火が激しく燃え始めること、コーヒー沸かしと肘掛け椅子が自律的に移動すること、これらが(ここまでで)超現実的作用が起きる範囲であり、他の部分は日常の現実のままだ。(つまり日常の現実と超現実が連続する。)
《感想5》
日常の現実のうちで超現実的作用がさらに次々、起こる。コーヒー茶碗とスプーンが突然消える、絵の中から出てきた人間たちがおしゃべりし、ダンスをする。どこからか声が発せられる。タピスリーの楽士たちが音楽を演奏する等々。
《感想6》
「僕」は、絵から出てきた一人の女に一目惚れする。「僕」は超現実の女を幽霊とも妖怪とも思わず怖がらない。現実の女と同じように超現実の女を愛する。
《感想7》
そして「恋は盲目」だ。僕は絵から出てきた超現実の女に話しかけ、一緒に踊ろうと思い口説く。
《感想8》
その超現実の女の名はアンジェラ。彼女も僕に惚れてくれた。「時計の針があそこまでいったら、よくてよ、テオドールさん。」彼女が僕と踊ってもいいと言った。
《感想8-2》
だがそれは、彼女の存在をかけた恋だ。超自然の声が言う。「アンジェラ、踊りたかったら、その人と踊ってもよろしい。だがその結果がどうなるかわかっていような。」彼女は、僕と踊ればおそらく消え去る(存在が終わる)。彼女はそれを承知で僕と踊るのだ。
《感想9》
熱烈なワルツを僕らは躍る。普通の3倍の速さのワルツだ。だがやがて彼女は疲れる。彼女は僕の膝の上に座り、白い飾り紐のように両腕で僕を抱く。どのくらいの時間、二人がこういう姿勢でいたかわからない。二人は幸福だった。
《感想10》
二人の愛の幸福は完全だった。「僕の魂は肉体という泥土の牢屋から解放され、茫漠たる無限の中を泳いだ。アンジェラの考えが、口をきく必要もなく、僕にははっきり分かった。彼女の魂の光が僕の胸を刺し通した」。これは魂の結婚だ。
《感想11》
完全な愛の幸福、魂の結婚は、朝の訪れとともに、突然終わった。「アンジェラは・・・・急いで立ち上がり、僕に別れの手を振った。そしてけたたましい叫び声をあげながら、下へ落ちた。」アンジェラは、この結末を覚悟して、僕と踊ったのだ。いとしいアンジェラ!
《感想12》
彼女は「粉々に砕けたコーヒー沸かし」に変化していた。「コーヒー沸かし」は陶器製で、(超現実的な移動はするが)物体としては現実の世界に属す。
《感想12-2》
これまでの超現実的な出来事は、すべて彼(僕)の夢だったのかもしれない。今や、彼は超現実のアンジェラを失い、現実世界の「粉々に砕けたコーヒー沸かし」だけを見る。前夜、時計が11時を打った時から起きた全ての超現実の出来事が今や、彼には「悪魔的な幻想」に思われ、「ひどい恐怖にとらわれ、気絶した」。
《感想13》
この当時の「コーヒー沸かし」には陶器製で美しいものがあった。艶めかしく美しい「コーヒー沸かし」もあったのだ。テオドールがだから「こわれた陶器のかけらを若いきれいな娘のように抱きしめ」ていることも、それほど不自然でない。
《感想14》
一連の出来事があったあと、2日目の午後、彼(僕)は画帳にデッサンを書くが、気づくとそれは、昨日の「コーヒー沸かし」を不思議なほど正確に表していた。これは20世紀のオートマティスム(自動記述)に相当する。それは絵画を、精神の自動的な即興つまり画家の内的な心の状態の自動的な表現ととらえる。シュルレアリスムの重要な手法だ。(なおこの方法はフロイトが患者の無意識の診断に用いた。)
《感想15》
彼(僕)のデッサンはオートマティスム(自動記述)的に「コーヒー沸かし」を描いたが、それはさらに女性の顔にも見えた。邸の主人が、「この顔は、妹のアンジェラに驚くほど似ているよ。」と言った。
《感想15-2》
ここで「コーヒー沸かし」と「アンジェラの顔」の二重化は、エッシャーやマグリットのようなだまし絵的効果によるものだ。つまりあるモチーフが別のものにも見える「ダブルイメージ(多義図)」だ。
《《感想15-3》
なお二重符号化理論は、言語刺激は2つの異なる符号化システム, すなわちイメー.ジ的符号化 (imaginal coding) と言語的符号化 (verbal coding) によって処理されるとする。ただし「コーヒー沸かし」と「アンジェラの顔」の二重化はこの理論と無関係だ。
《感想16》
「僕」(彼)は二年前に死んだアンジェラを愛し、彼女もまた魂の存在をかけて僕を愛してくれた。僕とアンジェラは、超現実(これは彼岸であり非地上だ)のうちで《完全な愛の幸福》、《魂の結婚》を経験した。だから僕は、「もはや地上に幸福がない」と思った。
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