DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「他者」についての4つの謎:①「他者」出現の謎、②「他者」了解の謎、③人工物の謎、④言葉の謎!

2018-10-06 23:11:34 | 日記
(1)
①「他者」とは何か?「他者」出現の謎についてはすでに述べた。(参照:“「私」のモナドと「他者」のモナド”)
②「他者」について、「私」が「他者」を了解するとはどういうことか?「他者」了解の謎。
③この世界は「他者」に満ちている。うんざりだ。人工物は「他者」そのものだ。(言葉も「他者」そのものだ。言葉も当然、人工物だ。)人工物の謎。(なお宇宙は人工物と自然物からなる。)
④とりわけ言葉の謎。言葉のどこに「他者」が出現しているのか?
(2)
具体的には、法における「他者」の問題、経済における「他者」の問題、文化における「他者」の問題、組織における「他者」の問題等々。
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「私」のモナドと「他者」のモナド 

2018-10-06 21:37:30 | 日記
(1)「私」・体・宇宙・物
君(「私」)は宇宙であり、宇宙は君(「私」)の体において物として出現する。君(「私」)の体を中心として物の世界が広がる。君(「私」)は宇宙が君の体を中心にしてしか現れないことに苛立つが、そのように宇宙はできているから逃れようがない。
(2)「私」とは何か?
では君(「私」)とは何か?君(「私」)とは感覚つまり物の出現であり、そして感情・欲望・意図・夢・意味世界・《意味世界の展開としての虚構》からなる。(なお《感覚、そして感情・欲望・意図》が私の核だ。)
(3)「他者」
「他者」とは何か、私の物世界(としての宇宙、つまり身体)と接して出現する他なる物(身体)を中心とする宇宙だ。相互に接触しつつ出現する「私」の物世界と「他者」の物世界は同一だ。
(3)-2 「像」と「そのもの」
宇宙(物世界)は「像」でなどなく「そのもの」が出現している。
(4)「私」と「他者」の出現
「私」と「他者」の出現の根拠は、最初一つである《感覚(接触による相互に他なる物の出現)・感情・欲望・意図》の二重化(分裂)だ。「私」とは、二重化(分裂)した《感覚(とりわけ触覚)・感情・欲望・意図》のうち、《痛みの感覚が及ぶ範囲で、かつ感情・欲望・意図に従って動く》物体(身体)をもつ側の、その感覚・感情・欲望・意図のことだ。(※《感覚、そして感情・欲望・意図》が私の核だ。)
(4)-2 超越論的主観性あるいはモナド(宇宙)
なお《物の出現としての感覚(当然痛みも含む)そして感情・欲望・意図・夢・意味世界・意味世界の展開としての虚構》は連続した全体だ。この全体が超越論的主観性あるいはモナド(宇宙)と呼ばれる。かくて「私」のモナドと「他者」のモナドが区別されて出現する。
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ウィリアム・アリンガム(1824-1889)「思い出」(1854):情景は「小さなこと」だが悲しみは彼の心にとって重大だった!

2018-10-06 16:31:59 | 日記
 A Memory 思い出
      William Allingham ウィリアム・アリンガム

Four ducks on a pond, 池にアヒル四羽、
A grass-bank beyond,  向こうは草の岸、
A blue sky of spring,  春で空は青い、
White clouds on the wing;  白雲が流れる;
What a little thing  なんと小さなこと
To remember for years ―  何年も思い出す―
To remember with tears! 涙して思い出す!

《感想1》「涙して思い出す」詩人は、この情景を悲しみのうちで見たのだ。情景は「小さなこと」だが悲しみは彼の心にとって重大だった。彼は、その情景を何年にもわたり、涙して思い出す!
《感想2》全体は31語。和歌の三十一文字と同じ。ここでは文字数をせめて規則的に9・9・9・9・9・10・10文字で訳してみた。
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立原道造(1914-39)「ゆくての道」(1932):「ばらばら」の不安、「しののめ」の薄明、「月」の青の冷涼が、詩人の気持ちだ! 

2018-10-06 12:58:30 | 日記
 「ゆくての道」 ‘The road where I’ll walk along’

ゆくての道 The road where I’ll walk along
ばらばらとなり is split in many directions.
月 しののめに The moon at dawn
青いばかり is only blue.

《感想1》早逝した詩人の18歳の作品。一高の寮にいた頃だ。(理科甲類。その後、東京帝大工学部建築学科に入る。)
《感想2》ゆくての道は「ばらばら」だ。時は「しののめ」つまり夜明けだ。(寮の近辺の風景か、あるいは実家のある日本橋辺りの回想か?)月は「青いばかり」とのみ語られる。
《感想3》道はまっすぐでなく、「ばらばら」。時は真昼でなく、まだ暗い「しののめ」。月はかぐや姫の物語などが思いおこされず、「青い」だけ。「ばらばら」の不安、「しののめ」の薄明、「月」の青の冷涼が、詩人の気持ちだ。
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「汐越(シオコシ)や鶴はぎぬれて海涼し」芭蕉(『奥の細道』)(31):鶴の長い脚が波のしぶきにぬれ、暑い夏にかかわらず海は涼しげだ!

2018-10-06 11:24:31 | 日記
 「汐越(シオコシ)や鶴はぎぬれて海涼し」
It’s summer. There is a crane at the shallows called Shiokoshi where waves of the sea come from outside Kisakata Lake. Its legs get wet with a spray of waves. The scene makes me feel cool in frony of the sea.

《感想》外海の潮が象潟に入ってくる辺りを汐越しと言う。その浅瀬に、鶴が降りて餌をあさる。長い脚が波のしぶきにぬれ、暑い夏にかかわらず海は涼しげだ。
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