魅惑のワインと出会う100の方法

デイリーからカルトワインまで、日々探し求めては飲んだくれているワイン屋のおはなし。

何が残せるのだろう

2006年07月30日 | ワイン ~2019年
先日のワイン会でもうひとつ、特に印象深かったワインを書いておきます。
私の記録としてもこうやって残しておきましょう。

1947 ボーヌ(造り手不詳)

ドメーヌなりネゴシアンの表記がないので造り手は分からないのですが、
予測としては、農業学校とかで試験的に造られた可能性もあるらしい。
個人的には農業組合?とも思いました。

肝心の味わいですが、60年近く経っても、フルーツが凛として
へたってないのです。骨太でシャキッとした昔気質の良さが見事に出た
ワインでした。決してミイラや骸骨の美学ではありません。

実は私は早飲み派です。
いろんなリスクを考えると、少々早く飲んでもいいと思っています。
でもこの47年ワインは、そのリスクにうち勝ち、紙吹雪の中をパレードしても
いいくらいの成功でした。
この場をお借りして提供者の方と謎の造り手さんへ御礼申し上げます。

少なくともこのボーヌの造り手は60年経って飲む機会を得た私達に
笑顔とささやかな幸せを運んで来てくれました。
「ワイン」というかたちで残せるのならワインの造り手は本望でしょう。

で、やはり自分に置き換えてみましょうよ。
自分の生きた証を何らかのかたちで残すことが出来るのか?
「何も残さない」という生き方もあるのかも知れませんが、
私は何かひとつくらいは残しておきたい。まあ、それが何か、
どんなかたちなのか?は、これから少しづつ考えていこうと、
このワインを飲みながら感じました。


コメント
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