昨日の日曜礼拝は私の当番でした。
(要点意訳)第六段
昔、源空聖人がご在世のとき、他力住生の教えを説きめられると、高貴な人から平民まで聖人のもとに集まり、ことごとくその教えに帰依した。
その門前は市場のように多くの人々でにぎわい、その数は三百八十人余りといわれる。しかしながら、聖人から直接教え導かれ、その言葉通りにお領解しているものは極めてまれであり、わずか五、六名にも満たなかった。
ある時、親鸞聖人が源空聖人に、次のようにお申し出になった。
私は源空聖人のお導きにより、お念仏を喜ばさせていただいておりますが、
しかし、お同行が真実の浄土に間違いなく注生できる信心を得ているかどうか知ることができません。
そこで、お弟子たちがお集まりの場で、皆さんにそのお心を伺ってみたく思います。
源空聖人は、「それは実にもっともなことである。では早速、明日、皆が集まった時に申し出られるがよい」と仰せになった。
翌日、親鸞聖人が、「今日は 、信不退(阿弥陀仏の本願を信じる一念に往生浄土が決定するという立場)か行不退(念仏の行をはげみ、その功徳によって往生浄土が決定するという立場)か、どちらかの席に分れていただきます。どちらの席にお着きになられるか、それぞれのおこころをお示しください」と仰せになった。
その時、集まった三百人余りの門弟たちは、その意味をはかりかねるようであったが、聖覚法印と法蓮房は、「信不退の席に着こうと思う」といわれた。
そこへ、遅れてえやって来た法力房(熊谷次郎直実)が何事ですかと尋ねると、親鸞聖人は、「信不退と行不退のどちらかの席に分れていただいているのです」と仰せになった。
すると法力房は、「それならわたしも入らねば。信不退の席に着こうと思う」といわれたので、法力房の名を信不退の席に書き加えられた。
その場には数百人もの門弟たちが集まっていたが、他に言葉するものは誰もいなかった。これは恐らく、自力のはからいにとらわれたままで、金剛にたとえられる真実の信心を得ていなかったことによるのであろう。
このように皆が沈黙している間に、親鸞聖人はご自身の名を信不退の席に書き加えられた。
そしてしばらくして、師である瀬空聖人が、「わたしも信不退の席に連なろうと思う」と仰せになった。
そのとき、ある門弟は、頭を垂れて敬いの思いを表し、ある門弟は、内につのる悔しさを滲ませた。
南無阿弥陀仏