住職の独り言

~ご縁に触れて~

常盤平~さくらまつり~案内

2017年03月31日 | 独り言

常盤平(ときわだいら)さくらまつり 

平成29年4月1日(土)11時~19時(歩行者天国)

     4月2日(日) 10時~18時(歩行者天国)

…何で歩行者天国って言うのかな…

我がもの顔で歩けるからかな…?

天国はさておいて楽しんで下さい。(笑)

〈開催要旨〉 

https://code4matsudo.org/t-sakuramatsuri/

(今朝のさくら通りの様子 H29/3/31 まだ3分咲き)

(今朝の天真寺河津桜の様子 H29/3/31 2月22日頃から咲いてまだ咲いてます)

 

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大悲

2017年03月30日 | 独り言

阿弥陀さまの大悲は

あらゆる人を

心から思いやり

見捨てることなく

傷ついた人の心を

優しく包みこみ

癒して下さる大悲。

南無阿弥陀仏

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ご縁

2017年03月29日 | 独り言

ある宗門校の学生さんの言葉より

公立中学校から進学した。入学式で合掌することに驚いた。

だが礼拝の時間や行事を経験することで、

いつの間にか手を合わせることになじんでいる自分がいた。

今年あった祖母の年忌法要。

僧侶がお念仏を称えると

「自然に」南無阿弥陀仏が口から出てきた。…

~教行信証 総序~
ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。

 現代語訳

ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。

思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ。

 

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3/28【東西分派の歴史的事情】

2017年03月28日 | 独り言

顕如(11代)に三人の子(教如・顕尊(興正寺へ入寺)・准如
顕如の時代に七条袈裟の依用・行道・報恩興時の(散華)等の作法を用いる

顕如は織田信長と朝廷の「勅命講話」を受諾し和睦し和歌山鷺森へ退去
↓ 
教如は数ヶ月和睦に反対し大阪に籠城するも数ヶ月で退去

顕如は教如を許さず、教如は中部地方へ流浪

興正寺の顕尊は朝廷に働きかけ父子和解

本願寺は和歌山鷺森→貝塚→大阪天満へと移る

教如が宗主後継の最有力者で法要席次も宗主の次。

教如は秀吉の陣中見舞いで九州へ5ヶ月出かける

顕如は11歳の阿茶へ譲状をしたため教如の名乗る(譲状は正式なものだった)↓
秀吉の命により本願寺は京都へ移転[天正19(1591)]

顕如は50歳で死去

教如が継職

秀吉は教如に対して、十一ヶ条にわたる事項を申し渡す。
「そものも教如は信長様の大敵であった、父顕如の意向にさからい、いつまでも石山に籠城しようとした、けしからぬことだ」

教如は引退し准如が宗主となる。

家康は教如と仲が良く、准如を退け教如が宗主となるように考えるも
家康の家臣である本多正信は家康に「表方」を強制的に退かせるのはよくないと進言。

家康は教如に七条烏丸の土地を寄進し寺院建立を支援し東本願寺となる。

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2017年03月27日 | 独り言

「春立つや 具の上に又 愚にかえる」
(小林一茶)

伝教大師最澄は「愚が中の極愚」
良寛さん「大愚良寛」
親鸞聖人「愚禿親鸞」
と言われる。

自分を「愚」を自覚したからと言って
「愚から抜け出す訳ではない」
どこまでいっても「愚は死ぬまで愚」
榎本栄一さんの詩に

「うぬぼれは 木の上から ポタンと落ちた 落ちたうぬぼれは いつのまにか また 木の上に 登っている」

とあるけど、まさに私の姿だ!

み教えを聞くにつけて愚者の自覚は深まる。

謙虚に生きしょう。

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余白

2017年03月26日 | 独り言

過労死、長期残業…

子供には空地と自由な放課後…

日本人は働き過ぎと言われる。

書は字と余白のバランスが大切

人生も余白が大切だ❗

 

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内出血

2017年03月25日 | 独り言

最近、右足の ひざ小僧がすごく腫れてきた。

水が溜まったか?、脂肪の塊かと思いつつ…

整形外科でレントゲンor診察してもらうと

ヒザに血が溜まっていたので抜いてもらった。

その際、看護婦さん曰く「ヒザぶつけなかった?」

別にぶつけはしないけど…

そう言えば、最近、 NHKのガッテンで

 脳を活性化し血糖値が下がるというテレビ放映を見て

「かかと落とし」をしましたと答えると、

  http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20170215/index.html

「そんなの信じちゃダメだよ」と言われた。

NHK放映だからと思ったけど…良し悪しですね!

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言葉

2017年03月24日 | 独り言

優しい言葉と
優しい言葉が
交わると
優しさが十倍になる 

怒りの言葉と
怒りの言葉が
ぶつかると
怒りが十倍になる 

★壮年会法座

3月25日(土)午後3時~ 

 「正信偈に聞く」~最終回~

 講師 名種木乃実師 (京都市)

 ※フリートークの時間があります

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自分

2017年03月23日 | 独り言

八百屋さんは野菜を分けてくれます

お米屋さんはお米を分けてくれます

赤ちゃんは母乳を分けてもらって大きくなる

仕事も分け合う

笑顔を分けてあげる

ありがとうを分けてあげる

悲しんでいる人がいたら元気を分けてあげる

この世は皆で分け合って成り立っている

自分という字は「分」と言う字が入っている

自分とは自らを分ける

分ければ分けるほど嬉しくなる

 

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信心と念仏

2017年03月22日 | 独り言

曽我量深~親鸞との対話~
信心とは、たとえば糸に針をつけたようなのも。
糸はお念仏、針は信心。
いくらお念仏の糸があっても、
信心の針がついていなければ着物を縫うことができない。
針がなければ、いくら糸があっても着物は縫えない。
いくらナマンダブ・ナマンダブととなえても、
信心がなけれ助からん。
お念仏は糸のごとし、信心は針のごとし。

信心で助かるのではなくお念仏で助かる。
しかし信心がないと、
いくらお念仏してもお念仏が呪文になる。
作りものになって、生きたお念仏にならん。
だから信心というものが大事である。

信心と念仏は別ものではなく 
紙の裏表
念仏の大行が大信を開いて下さる。
信を離れた行はなく、
行の一念を離れた信の一念もない。

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