【メッセージ文について】
コロナ禍では、マスク等の医療物資の買い占め、罹患者やその家族、さらには医療関係者などへの差別的言動が問題となっています。
この危機的状況の中において、私たちは少なからず「自分さえよければいい」という自己中心的な言動をとってしまっているのではないでしょうか。
しかしそのようなあり方が過ぎると、自分の安全のみを優先し、他人を傷つけ、互いに孤立し争い合う苦しみの人生につながります。
そのような人間の悲しむべきあり方を見つめられたお釈迦さまは、私たちのいのちは、さまざまなご縁(縁起)によって生かされているという真実を説かれました。
そして、私を支えるすべてのものに対して、慈しみの心を持つべきことを示されたのです。
慈しみとは、出遇った人に安らかな心を与えることです。そのお心が、「生きとし生けるものは 安穏であれ 幸せであれ」(『スッタニパータ』)というお釈迦さまの言葉にあらわされています。
仏さまの慈しみのお心は、私たちの「自分」という殻をやさしくひらき、すべてのいのちと響き合い、共に生きる豊かさを気づかせてくださいます。
仏さまのお心にであうことは、他人の痛みを自分の痛みと受けとめ、他人の喜びを自分の事として共に喜ぶことができるような私に育てられるということでもあります。
親鸞聖人はお手紙のなかで、仏さまのみ教えを聞く者は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と思われるのがよいとおっしゃっています(『親鸞聖人御消息』
仏さまの温かなお心に触れたとき、そのお心は冷たく閉ざした私たちの心にそっと寄り添い、少しずつ私たちの身も心も和らかとなって、すべてのいのちの幸せを願う生き方に導かれていくのです。
(西本願寺)