住職の独り言

~ご縁に触れて~

除夜

2020年12月31日 | 独り言
今年もありがとうございました。

「夕べの歌」(仏教讃歌)

一.しずかにくれゆく 
  この夕べ 
  鐘がなる 鐘がなる

二.世のなやみを 
  つつみて 
  鐘がなる 鐘がなる 

三.きけよめざめよ 
  同胞よ 
  鐘がなる 鐘がなる 

四.きょうの感謝と 
  幸福の 
  鐘がなる 鐘がなる ...

2021年「元旦法要」
1月1日午後2時からです。

法要に参加しなくても、
朝8時から焼香だけは出来ますので
ご自由にお参り下さい。



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今年、お育てを頂いた言葉

2020年12月30日 | 独り言
法然聖人の「一枚起請文」にある。

「念仏を信ぜん人は、…一文不知の愚鈍の身になして、…
智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。」

愚か者になりて唯(ただ)念仏。
でも、愚者になりきれない自分がいる。
浅まし浅まし南無阿弥陀仏。



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『無常』

2020年12月29日 | 独り言

【メッセージ文について】

 変わり続ける世界。変わり続ける私。

仏教が説く「無常」の教えは、何ものも永遠に固定的で変わらないものなど存在せず、事象はすべて変化し、うつり変わるものだという真理を教えてくれています。

このことをお釈迦さまは、
こと・ものすべて無常なりと、智慧をもて見通すときにこそ、実に苦を遠く離れたり。これ、清浄にいたる道なり。(ダンマパダ)
と説かれています。

ここでは、無常の道理をありのままに知ることが、さとりへと至る道であると示されています。

 しかし現実の私は、変わり続けるものに日々、翻弄(ほんろう)され、出会いや別れの一つひとつに、悲しみや喜びの涙を流しながら苦悩の人生を生きています。

それが偽らざる凡夫のすがたです。

 苦悩を抱えて泣き笑いする、この凡情を断ち切ることのできない私の想いのそのままに、「南無阿弥陀仏〈必ず救う、われにまかせよ〉」とのよび声として、いまここにお浄土への道をともにしてくださっているのが、阿弥陀さまという仏さまです。

 専如ご門主の「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」には、
仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。

翻って私たちは、この執われのないおさとりの真実に気づくことができず、常に自分中心の心で物事を見て、悩み、悲しみ、あるいは他人(ひと)と争ったりしています。

釈尊は、このような私たちをそのままに救い、おさとりの真実へ導こうと願われたのが阿弥陀如来であることを教えてくださいました。
とご教示くださっています。

 「今日もあなたと一緒だよ。一緒に生きていこう。」

阿弥陀さまの願いにつつまれて、「ナンマンダブ」とともに生きていく時、決してひとりぼっちではない安心の人生が開かれていきます。

(西本願寺)


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寺報発送

2020年12月28日 | 独り言
昨日(12月27日)の日曜礼拝は私の当番日でした。
その折、和讃一首を飛ばしてしまった。

…いよいよ呆けてきたか❓

それでも皆さん、私を責めず調声の私に合わせてくださる。
勿体ないことであります…ごめんなさい…

日曜礼拝終了後、時間のある方にお手伝い頂き
2021年1月号寺報を発送しました。


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あるがまま

2020年12月27日 | 独り言
禅師が死に臨んで何とか坐ったまま最期を遂げたい。

と頑張っていたところ、
友人がやって来て、お釈迦さまも横になって死なれたではないか!

とひやかしたら

「ああそうだった」と安心して横臥して息絶えた。



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『安穏であれ 幸せであれ』

2020年12月26日 | 独り言


【メッセージ文について】

 コロナ禍では、マスク等の医療物資の買い占め、罹患者やその家族、さらには医療関係者などへの差別的言動が問題となっています。

この危機的状況の中において、私たちは少なからず「自分さえよければいい」という自己中心的な言動をとってしまっているのではないでしょうか。

しかしそのようなあり方が過ぎると、自分の安全のみを優先し、他人を傷つけ、互いに孤立し争い合う苦しみの人生につながります。

 そのような人間の悲しむべきあり方を見つめられたお釈迦さまは、私たちのいのちは、さまざまなご縁(縁起)によって生かされているという真実を説かれました。

そして、私を支えるすべてのものに対して、慈しみの心を持つべきことを示されたのです。

 慈しみとは、出遇った人に安らかな心を与えることです。そのお心が、「生きとし生けるものは 安穏であれ 幸せであれ」(『スッタニパータ』)というお釈迦さまの言葉にあらわされています。

仏さまの慈しみのお心は、私たちの「自分」という殻をやさしくひらき、すべてのいのちと響き合い、共に生きる豊かさを気づかせてくださいます。

 仏さまのお心にであうことは、他人の痛みを自分の痛みと受けとめ、他人の喜びを自分の事として共に喜ぶことができるような私に育てられるということでもあります。

親鸞聖人はお手紙のなかで、仏さまのみ教えを聞く者は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と思われるのがよいとおっしゃっています(『親鸞聖人御消息』

 仏さまの温かなお心に触れたとき、そのお心は冷たく閉ざした私たちの心にそっと寄り添い、少しずつ私たちの身も心も和らかとなって、すべてのいのちの幸せを願う生き方に導かれていくのです。

(西本願寺)
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真に学ぶとは…

2020年12月25日 | 独り言
真に学ぶとは、賢くなることなどではなく、

むしろ自らの愚かさをしみじみと感じることであり、

それだけに、学べば学ぶほどいよいよ謙虚にならざるを得ないのです。

(平澤興)
平澤 興(ひらさわ こう、1900年(明治33年)10月5日 - 1989年(平成元年)6月17日)は、日本の医学者。新潟県出身。専門は脳神経解剖学。京都大学教授、京都大学第16代総長などを務めた。

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 ”あるある”お悩み相談室(6)

2020年12月24日 | 独り言
Q、おばあちゃんが死んだ後、うちのネコも死んじゃいました。
死ぬということが悲しいし、とてもこわいです。

A、死は、思い通りなにらないこと(苦)の代表だ。
いのちあるものはいつかみんな死ぬ。
それは誰にも避けられないんだ。
だから人は「どう生きるか」を考えるし、仏教はそのヒントをたくさん教えてくれる。
すべて無常だから、生には限りがあり、悲しみもいつまでも続く訳ではない。
身近な人の死を受け入れることで人は成長していくよ。

~ブッダの教えでモヤモヤ解決より~


〈私感〉悲しいよね…寂しいよね。私の力ではどうにもならない。阿弥陀さまは、そんな私の行き先をハッキリと教えて下さった。南無阿弥陀仏。

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信心

2020年12月23日 | 独り言
賢者は信心をつかめども

つかめきれずに流転せり

凡夫は信心をいただき

涅槃至る…南無阿弥陀仏


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信心

2020年12月22日 | 独り言
阿弥陀如来に自己の生死をゆだねる。
…おまかせすれば心配しなくて良いからね。
あるがまま…南無阿弥陀仏


…豪雪お見舞い申し上げます。
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