住職の独り言

~ご縁に触れて~

挨拶

2008年04月29日 | Weblog
法事でご門徒さんのお宅に伺い。
玄関を入ると否や仏壇の所に行って、
ご本尊様にご挨拶してから、
お宅の方に挨拶したいんだけど、
そうもいかないので、
玄関先ではお宅の方に形ばかりの挨拶をしてから、
お仏壇へ行って挨拶し
改めてお宅の方に挨拶しています。

そのお宅の中心となって下さっている
ご本尊様にいの一番挨拶したい訳であります。

曹洞宗永平寺78世宮崎前貫首は、
目が覚めると身支度を調え、
朝課(朝のお勤め)へ行く時、
誰かが「お早うございます」と声をかけても、
一瞥するだけで返事はない。
朝課が終わって、
あらためて「お早うございます」と挨拶すると、
機嫌良く「お早う」挨拶をして下さる。
とにかくまず仏さまに挨拶し、
ご先祖に挨拶し、
人間同士の挨拶をするだという話を聞きました。

人間同士の挨拶さえ希薄になっている昨今ではありますが、
すすんで自分から挨拶したいものんですね。

でも、挨拶でお念仏する時は、
阿弥陀様への御恩報謝ですからね。
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いただきます

2008年04月27日 | Weblog

平成17年11月14日の朝日新聞の読者の欄に

「いただきます言わせない親」無職 及川京子(札幌市48歳)
 つい先頃、道内のある中学校で、生徒の母親から「学校側に給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないで欲しい」という要望が出たと聞き、驚いた。
 また、別の中学校の教師が、生徒から「『おはよう』『こんにちは』の挨拶に何の意味があるのか。必要ないのでは?」と問われ、教師もその通りだと思ったと聞き、唖然とした。
 挨拶をしない時代が来るのだろうか。食事ができるのは当たり前、朝、目が覚めるのも、人に会えるのも当たり前、生きていることも当然なのだろうか。
 しかし、病気と闘っている人をはじめ、生きることが当たり前でない人たちが、日本には少なからずいる。世界中の貧しい国でも、大勢の人たちが食べるものがなく死んでいる。「あ~、今日も生きていた!」と感激して一日が始まり、今日も生きることができたことを心から喜びながら、挨拶し合う人たちがどれほどいることか。
 それを子どもたちに教えるべき親や教師は、いったい、何を大切にし感謝して生きているのだろうか。心から挨拶できる世の中になったら、自殺も犯罪も減るのではないだろうか。

全く同感である。

食事をする時『いただきます』というのは、
「あなたの命を頂きます」という事であり、
魚の命、豚の命、牛の命、野菜の命・・・
みんなみんな‘大切な命’その命を私の命とさせて頂く。
 と言う事は魚が人間になり、豚が人間になり、野菜が人間になる事である。
自分の命と思っているけど、
私の体は「みんなの命」の寄せ集め。

まさに、お釈迦様のお示し下さる「縁起の法」である。

 縁起とは・・・すべての存在は多くの条件により生起し変化するもので、
        独立性を持たず互いに存在し合う法である。
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オリンピック

2008年04月25日 | Weblog


オリンピックの聖火が世界中を駆け巡る中、
世界各地では中国によるチベット弾圧が問題視され、
抗議行動が展開されている。

中国共産党は、
パンチェン・ラマをダライ・ラマの後継者にすると決めた…?
等々、色々情報が入ってくるが、
こんな報道を聞いていると中国共産党って恐ろしいと思ってしまう。


オーストラリアのシドニーオリンピックでは、
聖火の最終点火者は、
アボリジニー(オーストラリア大陸の先住民)のキャシー・フリーマンだった。
 又、ブリスベンの会場にはオーストラリアの国旗のほかに、アボリジニーの旗も飾られていたという。

中国もチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世との対話を重ねて、
シドニーオリンピックのように平和の祭典になると良いんだけど…

~浄土和讃~
「いつつの音声いだしつつ 宮商和して自然なり」

 お浄土の世界は、
 それぞの音色が自然に調和して、
 お互いが輝き合うという。

 世界の人々が仲良くなると良いんだけどね。




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ケヤキの命

2008年04月23日 | Weblog


新緑の季節になりました。

お寺の境内にケヤキがあるんだけど、
昨年の秋、木の葉を全ておとし、冬に備えました。
寒かった冬を乗り越え、
春になり新芽が吹き出してくる。

毎年思う事だけど、
ケヤキのエネルギーってすごいなァ…と思う。
ケヤキに何枚の葉っぱが付いているんだろう…?
ケヤキの木の葉は
人間のまき散らした二酸化炭素を吸収し
酸素を供給するんだよね!

でも人間って勝手なもので
春の新緑を清々しいと感じ、
夏のケヤキに自然のクーラーと一息つき
秋の落ち葉掃きに苦しむ…
「このケヤキがなかったらどんなに楽だろう」と…

でも、落ち葉掃きはとっても健康に良いんだよね。
結構体力も使い大変なんだけど、
その運動がメタボの私を,
脱却する導きになってくれるんだよね!
先日のプラス・マイナスの話じゃないけど…
みんなみんな有り難い事なんですね。


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プラス・マイナス

2008年04月21日 | Weblog


人間は物事を相対的に考える。

善悪・幸不幸…良い事はプラスであり、悪い事マイナスという具合に…
良い事(プラス)は健康・合格・願いが果たされる…。
悪い事(マイナス)病気・貧乏・自分の願いが満たされる…。

人生にとってマイナスなんてないんじゃないかと思うんだけど…
誰しも病気にはなりたくないけど、
もし病気になっても本当にそれがマイナスの事なの、
病気になって、まわりの人の有り難さに気づき
「ありがとう」と言える事ってあるんじゃないの…
苦難にあって豊かな人間に育てられる。

「いのち毎日あたらしい」という標語があったけど、
もない有り難い一日なんですよね!

~御伝鈔~
親鸞聖人は新潟へ流罪になった時、
流罪をお念仏を人々に伝えるご縁と喜んでおられる。
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香り

2008年04月19日 | Weblog


お寺内にチョット嫌な香りが漂ってきた。
ウン…これは、「松のお線香だ!」(お墓参り用のお線香)
二階の納骨室から一階本堂に漂っている。
ハッキリ言って「あまり良い香りではない」
納骨室には、良い香りのするお香が置いてあるんだけど、
お墓参り用のお線香を持参して香を焚く人がいるんだよね。

このお香は駄目ですとも言えないし…

そのお香がお寺中に漂った時、ふと、お経のお話を思い出しました。

 ある所に伊蘭林(いらんりん)があり、だだいやな臭いがするだけで、よい香りなど少しもない。その花や実を食べたら発狂して死んでしまうほどであった。そこに栴檀(せんだん)を植え育てると、かぐわしい香りを放ち、ついにこの伊蘭の林のいやな臭いをすべてよい香りに変えてしまいます。そして、その林を見る人々はみなたぐいまれなすぐれた思いをおこす。
「栴壇(せんだん)は念仏に喩ふ」とあり、
念仏の徳により、凡夫が妙好人(美しい香りを放つ人)に
転じられていく事を比喩をもって示されたものであります。

南無阿彌陀佛…
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老後の不安

2008年04月17日 | Weblog


ここのところ年金問題や、
医療制度の保険料が年金から天引き…
行き先不安のニュースが毎日流れています。

また役所の職員と名乗り、
還元金がありますのでお近くのATMに行けば、
すぐお支払いしますとの言葉にだまされて、
振り込み詐欺にあう人が後を絶たない。

医療費は年金から天引きされ、
振り込み詐欺ではだまし取られ、
「取られるばかり…」

役所や税務署から頼みもしないのに
「還付金があります」と
「電話で知らせてくれるほど親切ではありませんからね!」

…将来への不安ばかり…
本当の安心は何処にあるんだろう。

こんな不安の時代にこそ、
み教えを聞き、
後生を大事に思い
お念仏の大道を歩ませて頂きたいものですね。

~歎異抄~
念仏者は無礙の一道なり。
そのいはれいかんとならば、
信心の行者には、
天神・地祇も敬伏し、
魔界・外道も障礙することなし。

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法名

2008年04月15日 | Weblog


浄土真宗本願寺派の宗門法規に
「法名授与規定」というのがあり

第二条(要約)
  法名は、帰敬式を受けた門徒に対して、門主が授与する。
 2 法名は、漢字二字とし、「釋」の字を冠するものとする。
 例示:釋○○

第三条(要約)
  帰敬式を受けていない者が死亡したときは、住職が授与することができる。

 と示され、釋○○○○とか釋○○信士(信女・居士・大姉)等の位号を用いた法名等は規定外となり認められておりません。

以前に、
初めてご縁の方から葬儀依頼があり、
お受けしたんだけど…
「お願いがあります。」とおしゃる!
なんでしょうか?
実は亡くなった主人が自分で法名を作ったので
その法名で勤めて欲しいとの希望である。
しかし、その法名は規定外の法名でした。

残された奥さんはご主人の意にかないたいし、
お寺では規定外の法名を認める訳にもいかず
困った事がありました。
こういうのが時々あるんだよね。

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結婚式スピーチ

2008年04月13日 | Weblog


今日は午後からJ寺の結婚披露宴に出席します。

そこで、チョットユニークな結婚式でのスピーチを
小川一乗著「仏道としての念仏」より抜粋し紹介。

「ご結婚おめでとうございます、結婚はしなくてはいけないものです。
結婚は非常にいいことなんです。
どうしてかというと、結婚すれば自分の思い通りならない人がいつもそばにいるからです。
そうして人間は人間になっていくんです」。

…人間は、だれでも自分の思い通りに生きようと思っています。
なかでも結婚というのは、いちばん愛しあって、いちばん理解しあっている二人が、生涯を共にしたいと思ったから結婚するんでしょう。
ところが、その相手がなかなか思い通りにならない。
あかの他人が思い通りにならなくても気になりませんが、自分のいちばんの理解者だと思っている相手が思い通りにならなければ苦労する。
…そうしてみんな人間として豊になっていくんです。

…実感しますね!!

「人間は耳が二つに口一つ」

一つ言って二つ聞く事を憶えましょうね…
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フリーター

2008年04月10日 | Weblog


昨今、フリーターと称し、定職を持たず、
アルバイトで自由に生きている人が多いと聞く。
そんなことを、ご門徒さん同士で色々話をしているのを聞いていると、
ある人は、親がお金を持っているから、
ついつい甘やかして、子供にやるからじゃないか!
等々、話合っている。
たしかにそれも一理ある。

それに、多くの若者が課長とかの役職に就くのを敬遠する人が多いという。
残業手当も付かず、責任思い役職に就くよりも
ある程度、自由がきく平社員を好むそうである。

私は、背負うものがないからじゃないだろうかと思う。
結婚し子供が出来たら、
男だったらその家庭を護っていかなければと思うはずだ。
だから、早く結婚し家庭を持つべきじゃないだろうか。
でも、今の人はなかなか結婚しないんだよねェ…

私なんか背負うものが多くて押しつぶされそうだヨ~!


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