住職の独り言

~ご縁に触れて~

楽しい…苦しい…

2009年03月31日 | Weblog
今あなたの「心」は、苦しいですか?…楽しいですか?

苦しみの反対が楽しみ?…

苦しみは孤独だよね!

楽しみという言葉で思い出すのが極楽という言葉だ。
極楽というと何でも思い通りになるように思うけど、苦しみから解放された世界という。

その楽しの世界(極楽)は遊びのような世界。

正信偈に「煩悩の林に遊ぶ」とあり、子どもが学校から家に帰って来るや否や、ランドセルを放り投げて遊びに出かける。そして日が暮れるのも忘れて遊ぶのである。

阿弥陀様の救いも同じで、おさとりの世界から迷い苦しみ世界へ来て遊ぶがごとく人を救うという。

…まだおさとりの世界へは行っていないけど…楽しみだなァ…。

辛いこと悲しいことあると思うけど、ありのままの自分で、ありのままの姿で、人を責めず生きて行ける自分になりたい。
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自然な別れ

2009年03月30日 | Weblog
私が勉強になった看護師さんお言葉です。

「人間は高齢になれば、病気や老衰で全ての機能が低下します。自力で飲み込みができなくなったら、無理に水分などは取らない方がいいんですよ。生きるのに必要な水分が体から抜けきって、初めて自然に死ねるのです。死ぬためには、乾ききることが必要で、この状態をドライアップといいます。点滴などなかった昔は、皆そうやって自然に死んで行けたのです。」

…ある人は点滴や酸素マスクをしていると苦しそうなので、先生に頼んで外してもらった。外したら心なしか楽になったように見えたという。そして自然に死を迎えた。

…私の父も亡くなる前、酸素マスクをしていたけど確かに苦しそうだった。あれで本当に良かったのだろうか?…考えさせられる看護師さんの話ですね。
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男三人

2009年03月29日 | Weblog
昨日の夜、次男の中央仏教学院の卒業祝い・研究科入学祝いを口実に私・長男・次男と男三人で生まれて初めて飲んだ。
いつもはケンカになったりするんだけど…
お互いの考え方や生き方について話合うのは有り難かったなァ…
また機会があったら一緒に飲みましょう。
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宗派別お焼香回数

2009年03月28日 | Weblog
お焼香の仕方は宗派によって異なる。

〈天台宗〉回数について特に定めなし。
〈真言宗〉通常三回。
〈浄土宗〉特に定めなし。
〈臨済宗〉回数にこだわらず通常一回。
〈曹洞宗〉回数にこだわらず通常二回。
〈日蓮宗〉通常三回。
…以上の宗派は香を額に戴いて焼香する。

…以下の宗派は額に戴かないでそのまま焼香します・
〈浄土真宗:本願寺派(西)〉一回。
〈真宗:大谷派(東)〉二回。

お焼香は身を清め、部屋を清め、仏徳讃嘆するために用いますので、出来るだけよい香りのもので一回だけ焼香すればいいのでは…と本に書いてあったよ。
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白血球

2009年03月27日 | Weblog
私が得度習礼(僧侶になる為の研修)の時、医学生が一緒だった。

お寺の子ではなかったが、浄土真宗を学びたいと来ていた。

その人が「阿弥陀さんって白血球みたいと理解しているんですよ!」と言っていたのを思い出す。

人がどこかケガをすると、そのケガを見て見ぬ振り出来ず、すぐさま飛んで行ってを排除する役割をはたす。…それが白血球の自性でありましょう。

まさに阿弥陀さまも同じで、阿弥陀様にとっては私の苦悩が自身の苦悩(自他一如)であります。

あらから300年余経っているけど、どうしているかなァ…
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卒業式の歌

2009年03月26日 | Weblog
中学校の卒業式で歌われるアンジェラアキさんの「手紙」という曲が人気だそうだ。

負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じて歩けばいいの?
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう

とってもいい曲ですね!

この歌詞を聞きながら、お釈迦さまの最後の説法といわれる。

「自らを灯(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、他をよりどころとしてはならない。法を灯とし、法をよりどころし、他をよりどころとしてはならない」

という一説を思い出す。

この言葉は、「自分以外のもにしがみつき、自分勝手に生きて行きなさい」というのではなく、まさに真理(法)を心の奥底に蓄え、自らの道を生きて行きなさい。というお言葉であります。
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小川と大河

2009年03月25日 | Weblog
好きな歌に「時代おくれ」(河島英五)がある。

酒場を舞台に、自分を静かに見つめ、愚痴を言わず、友を大切にし、(以下歌詞の一部)…目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは 無理をせず 人の心を 見つめつづける時代おくれの男になりたい…

でもなかなか出来ないんだよね!
愚痴は知らない間に口から飛び出しちゃうし…

お経に「底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで流れる」と示されるが、大河のように思慮深く口を慎み生きたいが、私なんか口数は多いし思慮が浅い小川そのもの…

でも、底の浅い小川も大河と同じように海に流れ込み、一味の塩味(さとり)の世界に転じられるという。

~高僧和讃~
衆悪の万川帰しぬれば 功徳のうしほに一味なり

(現代語訳)
罪重く障り多き私であっても、阿弥陀如来の救いの法におまかせすれば、どんな川も海に注ぎ込まれ川が海になるように無上の安住の世界へ参らせていただくのであります。

~本典(行巻)~
「海」といふは、久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水となる。これを海のごときに喩ふるなり。
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「度」の意味

2009年03月24日 | Weblog
産経新聞~漢字んな話~より

【度】
 咲…暖かかったり寒かったりが続いているけど、ご隠居さま、体調崩してない?

 ご隠居…ありがとう。この通り元気だよ。とはいえ今日の最高気温は20度近くになるっていうから、このところの寒暖の差は度を越してるね。

 咲…うん…。ねえ、いま言った、気温20度の「度」と、度を越すの「度」って、意味合いが違う感じだね。

 ご隠居…ああ、なるほど。ちょっと度の成り立ちを見てみるかい。これも諸説あるんだが、どうもこの字のポイントは「手」にあるようだよ。

 咲…え-、なにそれ。

 お隠居…度の「又」の部分が右手なんだって。かつては、物差しの代わりに手を使ってたりしてたんだろうね。

 咲…それじゃ、度は手で物をはかるってことなの?

 ご隠居…そういうこと。それで度は、はかるとか推量するって意味。そこから物差し、長さ。尺度なんて言葉があるだろ。忖度(そんたく)っていうのは、心の中で推しはかることさ。

 咲…気温の度は?

 ご隠居…目盛りの意味にもなって、温度や角度の単位。

 咲…へえ。でも度を越すの度は、単位じゃないよね。

 ご隠居…物差しが物事の決まりごとって意味になると制度とか法度(はっと)。そこから基準とか標準、ちょうどよい程合いってことにもつながるだろ。

 咲…度を越すっていうのは、程合いを越えるってことかあ。確かに手がポイントだっていのうも分かるなあ。

 ご隠居…度は「渡」とも近い関係らしくて「わたる」って意味もあるんだ。済度(さいど)は仏の教えによって彼岸にわたすこと。仏門にはいることを得度(とくど)っていうんだ。

 咲…ご隠居さまは、おつむだけは得度だね。

 ご隠居…仏の導きで怪我(けが)ない(毛がない)ってか。お咲ちゃん、そこはポイントじゃないから。(前田安正)
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お釈迦さまのおさとり【2】

2009年03月23日 | Weblog
【縁起】
これあるが故にかれあり。これ無ければかれなし。
これ生ずるが故にかれ生じ、これ滅すればかれ滅す。

私たちの身体で、体内ホルモンが低下したので、そのホルモンを薬で補う。
すると体内のホルモンを作る仕組みがサボりはじめ、薬をやめてもホルモンを造り出す機能は低下したままなので、しかたなくその薬を一生飲まなくてはならない場合があるという。そればかりではなく、だんだん量を増やさないと同じ薬効が得られなくなった…

ドリンクの自動販売機だと異物が入ってくると詰まってしまうが、私たちの身体は余計なものをが入ってくるとバイパスを作ったり、何とかそれを無害化しょうとしたり、分解して排出しょうとしたり、…常に揺らぎ、変化しながらバランスを保っている。

お釈迦さまは、私たちの身体に限らず、宇宙に存在する森羅万象の全てが互いに関係し合い大きなつながりの中にあるという真理に目覚められて仏陀となられた。
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3/22日曜礼拝法話要旨

2009年03月22日 | Weblog
本日拝読しました和讃に「智慧」という言葉が出てきました。

仏教でいう智慧とは「如実知見」(あるがまま見る)ということであます。

先日床屋さんでWBC韓国-日本戦を見ていたら、
イチロ-が右バッターボックッスに入っているではありませんか?

店長に「あれ!イチロ-右打ちでしたっけ?」すると店長は鏡・鏡という。
あ!そうか鏡に映ると反対になるんだよね!ビックリ…!

私たちは鏡であるとか自我という色眼鏡を通して見ている訳であります。

男・女、お金が有る無い、地位、学歴…等々という肩書きや姿・形に惑わされて実際はあるがまま見ていない。

私たちの智慧は「分別の智慧」(混ざりものがある)であり、仏さまの智慧は「無分別」(ピュア100%純粋)であります。

…以下省略
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