住職の独り言

~ご縁に触れて~

大晦日

2008年12月31日 | Weblog
「おはようと 星にあいさつ 冬の朝」
  
冬至も過ぎ、少しずつ日が長くなってきましたが、
今日は年越し大晦日。

「夕べの歌」
しずかにくれゆく この夕べ 鐘がなる 鐘がなる
世のなやみを つつみて 鐘がなる 鐘がなる
きけよよざめよ 同胞(はらから)よ 鐘がなる 鐘がなる
きょうの感謝と 幸福の 鐘がなる 鐘がなる

この一年、
「住職の独り言」にお付き合い頂き有り難うございました。
 合 掌
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横川法語

2008年12月30日 | Weblog
私が就学中の頃、
まだ、法話もおぼつかない私にS和上は、
「法話が出来なかったら横川法語を拝読させてもらいなさい。」
と言って下さったのが今も耳居残る。


「横川法語」(源信和尚)

 まづ三悪道をはなれて人間に生るること、おほきなるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや。家はまづしくとも餓鬼にまさるべし。心におもふことかなはずとも地獄の苦にくらぶべからず。世の住み憂きはいとふたよりなり。このゆゑに人間に生れたることをよろこぶべし。

信心あさけれども本願ふかきゆゑに、たのめばかならず往生す。念仏ものうけれども、となふればさだめて来迎にあづかる。功徳莫大なるゆゑに、本願にあふことをよろこぶべし。

またいはく、妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念のほかに別に心はなきなり。臨終のときまでは一向妄念の凡夫にてあるべきぞとこころえて念仏すれば、来迎にあづかりて蓮台に乗ずるときこそ、妄念をひるがへしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁りに染まぬ蓮のごとくにて決定往生疑あるべからず。
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年賀状

2008年12月29日 | Weblog
もう幾つ寝ると~お正月

今年もあと二日寝るとお正月。
アットと言う間に今年も終わり!

今年も虚しい年賀状になってしまいました。

何故かって…
裏表ともパソコン…

自分でやっておいて自分で悲しいんだよね。

ごめんなさい。

今、元総代のOさんの枕経へ行って来ました。
通夜30日、31日がお葬儀と気を抜けない年の暮れです。
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追悼と慰霊

2008年12月28日 | Weblog
追悼と慰霊はどう違うの?

【追悼】…死者の生前をしのんで、悲しみにひたること。
【慰霊】…死者の霊魂をなぐさめること。

同じような意味だけどチョット違う。
どこが違うというと、スタンスが違う。

追悼は亡くなった方と同じスタンスなんだけど、
慰霊(なぐさ慰める)というと、
自分を上に置いて下を見ての言葉のように感じる…

供養でも、
「供養する」と言うより「供養させて頂く」というように、
自分を下に置いて上を見上げる言葉を使いたい。
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田舎暮らし

2008年12月27日 | Weblog
昨日から葬儀で茨城県鹿嶋市へ行ってきました。

一時期、大洋村とか言って定年後の田舎暮らしの広告が目に付いたが、
その方も、土地代が安い、海が近い…等々の理由により、
定年後、夫婦で東京から移住された。

で走っていても「田舎暮らし」という不動産屋の看板が目に付く。

地元の組長さんの話を伺ったのでチョット紹介します。

新築時は道路は綺麗だし、下水道も完備して快適なのだが、
住み着いて2~3年すると色々不備が目に付いてくるそうな!

下水でも家の周りの開発地区は完備している様に見えるけど、
実際はその区画だけで、その先が繫がっていなかったりする。

結局オーバーフローになり、蚊やハエが多くなり、
地元の人も困り顔!

住民も市役所へ相談に行ってもどうにもならない!
皆さまもご注意あれ!
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流産児の法要

2008年12月26日 | Weblog
「流産した子供の法要を勤めたい」という依頼があります。

命日は分かるが名前は付いてないので、
出来ることなら法名を付けて法要をしましょう。
と返答する。

先日も釋○○という法名を付けて49日法要を勤めた。

望まないのに別れがある。
希望が失望となり、辛く悲しい別れであります。

しかし、こうした辛い別れを通してでないと、
真実のみ教えに遇うことは難しい!

「先立つ子は善知識なり」と言うが、
子供が私たちを真実へと導いてくれるんですね。

子供さんは死んだのではありません!
光(仏智)となられたのです。

~唯信鈔文意~
阿弥陀仏は光明なり、
光明は智慧のかたちなりとしるべし。
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自死の結果

2008年12月25日 | Weblog
行き詰まり、苦しいから、
楽になりたくて自死を選択するの?

でも、楽にはならないよ!

迷いを深め苦楽の世界を経巡るだけ!

死するより、死ぬきで阿弥陀様から智慧の念仏を頂くことが、
唯一苦楽を超えていく道。

その信は、自分で作り上げる信心ではなく、
阿弥陀様から廻向される信心だから金剛堅固!

~浄土和讃~
智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし

無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな
 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
 仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず
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自死の葬儀

2008年12月24日 | Weblog
自らの命を自ら絶たれた方の葬儀の時、

遺族にどうした訳で亡くなったんですか?

…この言葉は言えないねェ…

本当は聞いてみたいけど…聞けないですねェ…

自死なさった方を責めたくもないし、
残された遺族を自責の念に追いやりかねないから…

光なく
浮き世に疲れ
さびしさに
我が苦を背負う  
大悲の親よ 
   (恵)
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最後の修行

2008年12月23日 | Weblog
「最後の修行」佐藤愛子著

これからの老人は 老いの孤独に耐え
肉体の衰えや病の苦痛に耐え
死にたくてもなかなか死なせてくれない現代医学にも耐え
人に迷惑をかけるいることの情けなさ、申しわけなさにも耐え
そのすべてを恨まず悲しまず
受け入れる心構えを作っておかなければならないのである。
どういう事態になろうとも
悪あがきをせずに死を迎えることが出来るように、
これからが人生最後の修行の時である。
いかに上手に枯れて、
ありのままに運命を受け入れか。
楽しい老後など追求している暇は私にはない。

…○○に耐え、○○に耐え!…
どうせなら「妙(たえ)」の方が良いなァ…

あるがまま自然に受け入れ、
私の人生はすべて阿弥陀さまにお任せしましょう。

朗読法話集(第1巻)
~信心正因のおすすめ~より抜粋
阿弥陀如来さまの本願に「われをたのめ、必ず救う」と仰せられているのは、
そなたの罪も、さわりも、生も、死も、すべて私にまかせなさい、
必ず救ってあげますよと仰せられているのです。

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老人川柳

2008年12月22日 | Weblog
12月の定例法座は天真寺衆徒全員一人7分間の法話をする。

私の場合は、歳を重ねる中に,
いかに老を受け入れていくかという話をしたが、

何を話そうか…思案中に見つけた川柳です。

入れ歯取れ 目玉はずせと せがむ孫
 …目玉はずせとはあんまりじゃない!

化粧する 昔話も 化粧する
 …昔を振り向いて生きたくはないなァ…

あの世にて 待てど暮らせど 来ぬ女房
 …実感がこもっていますね!

還暦を 過ぎて えくぼは しわの中
 …みんなそうなるんだから…

年かさね ほらあれで 会話する
 …あるある…私もその一人…
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