住職の独り言

~ご縁に触れて~

変な驕慢(きょうまん)

2008年05月31日 | Weblog

病院で入院者同士の会話。

貴方は何の病気ですか?
私は○○の病気です
それはたいしたことないわ!
私なんか○○で危篤状態だっんだけど、
やっと潜り抜けた所なんですよ!
と威張っている。

人間の憍慢心(きょうまんしん)は底を知らない。

憍慢…「憍」は自分を自ら誇る。
「慢」は他と比較して誇ること。

浅まし浅まし南無阿彌陀佛…
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位牌から過去帳へ

2008年05月28日 | Weblog
浄土真宗では故人の記録として、
法名・亡年月日・俗名・享年・続柄等を過去帳に記入し位牌は用いません。

阿弥陀如来と同体のおさとりの世界(お浄土)へ往生され、
決して故人の魂が位牌の中に居る訳ではありません。

阿弥陀如来のお姿を通して故人を想わせて頂き、
お浄土からのメッセージとしてお経を拝読させて頂くと共に,
尊いお慈悲に私が導かれていく事であります。

と、言う訳でご門徒さんの過去帳を書く事が多い訳でありますが…

本当の事を言うと、一人二人過去帳に書くだけなら何でもないんだけど、

何十人もの人を「過去帳に書いて下さい」
と、頼まれると「ゾォ~」とするんだよね!

何故かって必ず間違いを犯すんです。
一字間違っただけでも自分で納得できないので、
頼まれたものと同じ過去帳を仏具屋さんで探しまくり…
今まで何度仏具屋さんに買いに行った事かことか、

位牌は用いず、過去帳にしましょうね。

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夏衣体

2008年05月25日 | Weblog
一昨日沖縄地方が梅雨入り

とたんに夏日の天気になりました。

私は、5月に入り絽の法衣に衣替えました。

自分でもこだわりがあり、
スケスケの物は余り好きではないので、
真夏でも、絽の法衣を着ます。

最近は、どこへ行っても冷暖房完備なので、
厚地の物はいらない!

特に冬物の七条袈裟はタンスの肥やしになっている。
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法事の場所

2008年05月22日 | Weblog


法事は皆さんお寺の本堂で勤められるんだけど、
なかにはお墓や墓所の礼拝室でお勤めを希望される方がある。

この礼拝施設というのが問題あるんだよね!!
何故かというと、
礼拝室の本尊は、
お墓を管理している所の宗旨の本尊なんだよね。
だから大日如来だったり、お釈迦様だったり…
もちろん携帯用のご本尊を持参するんだけど、
阿弥陀様が小さくなって、肩身が狭そう…
気分的にいいもんじゃない!

浄土真宗は弥陀一仏のみ教えであり、
お荘厳された本堂には意味がある事なんだから、
法事は本堂で是非して頂きたいものであります。

~御文章~
弥陀如来を一心にたのみたてまつりて、その余の仏・菩薩等にもこころをかけずして、一向にふたごころなく弥陀を信ずるばかりなり。これをもつて信心決定とは申すものなり。

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病院のコンサート

2008年05月19日 | Weblog
先般ご縁があって
病院のコンサートを鑑賞しました。

病院の中央ホールに椅子を並べて、
ボランティアによるコンサート.

演奏する方々は、千葉県八日市場市内の小学校、
竹の子オーケストラの卒業生が、
卒業後もグループを組んで活動しているとの事、
中学生から大学生・社会人までの27名のグループだそうです。

また、病院が休日の為、
薬剤師や会計…その他大勢の病院スタッフが休みを返上し、
ボランティアとして参加されておりました。

聴衆者は、
点滴をしながらの人、車椅子の人、
看護師さんに介護されながらの人々…
病院に入院している人々やその家族でホールは満員。

管弦合奏で、曲はクラッシクからふるさと・川の流れのように等々

その場で感じた事は、皆さんお休みを返上して
入院している方々のお心を
癒す為に頑張っておられる事に感動しました。

演奏に感動と言うより、ボランティアをしている方々の姿勢に感動!
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ご本尊の絵像と木像

2008年05月17日 | Weblog
在家のご本尊は、
絵像(阿弥陀如来)又は六字名号(南無阿彌陀佛)であります。
本山から下附されたものには裏に
「本願寺々務釋即如 方便法身の尊形」と記され、
ご門主の落款が押されています。

仏具屋さんへ行くと浄土真宗本願寺派のお木像として売っています。

お寺のご本尊は、お木像の寺院が多い訳でありますが、
何故、お寺のご本尊はお木像で、
在家は掛け軸なのという疑問を持たれる方がおられると思います。

木像本尊の場合、本来は木像点検を受けなければなりません。
この阿弥陀如来のお姿は浄土真宗本願寺派のご本尊として正しいのか、
お姿・胸の張り具合等々点検され、
許可される訳であります。

昔、これで苦い経験をした事があります。
お木像を本山に持ち込んで点検を受けた事があります。
結果、不可でした。

結構厳しいんですよね!

仏具屋さんで売っているお木像の阿弥陀如来は
木像点検を受けていませんし、
受けてもよっぽどでないと許可されないでしょうから、
結果、在家のご本尊は絵像又は六字名号の掛け軸になる訳であります。
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法は人を通して…

2008年05月15日 | Weblog
礼讃文に
「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遇値うこと難し」
とあるけど、
真実のみ教えに遇うことは、
礼讃文の通りだなァ…と思う。

初めてのご縁の方が、寺に来られて色々尋ねられ,
門信徒会の入会申込書を持って帰られたんだけど、
後日、手紙が来て信仰心もないのに云々…
と丁寧なる手紙が来ました。

考えるに、身近な人の死とか、
人生根源に関わる苦悩に直面し、
或いは、父母の後ろ姿を通して、
み教えに触れ、法が伝わっていくんだと実感する。

お寺の法事でも、
一つの法事で、
多い時は50人以上の方が、
一人の法事の為に全国各地より馳せ参じられる。

お寺の定例法座でお参りして下さいと懇願しても、
なかなかお参りに来て下さらないのに……、
人の力ってすごいなァと実感する次第であります。




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慚愧(ざんぎ)

2008年05月13日 | Weblog
この度、「浄土真宗の教章」(私の歩む道)が改訂されました。

宗名・宗祖・宗派・本山・本尊…等々示され、
その中の「生活」に

 親鸞聖人の教えみちびかれて、
 阿弥陀如来のみ心を聞き、
 念仏を称えつつ、
 つねにわが身をふりかえり、
 慚愧と歓喜のうちに、
 現世祈祷などにたよることなく、
 御恩報謝の生活を送る。

と、示されます。
しかし、慚愧の生活というのは厳しい言葉であります。

慚愧とは、
 「慚」…自ら二度と同じ罪を作らないと決意すること。
    …自ら羞恥すること。
    …人に羞じること。
 「愧」…他人に自分と同じ愚かな「罪」つくらせないようにすること。   
    …「罪」を包みかくさず人々に告白すること。
    …天に羞じること。
 「無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす」(教行信証)

これらの言葉を自身に当てはめ考え見ると、
私など、人間にあらず、畜生そのものであります。

こんな私が南無阿弥陀仏によって救われる。
と実感するところに、
「お恥ずかしい」と思うと共に、
こんな私を目当てとして下さるお慈悲のかたじけなさに
南無阿弥陀仏が歓喜のお念仏(もったいないことであります)となって、
私の口から飛び出して下さることであります。
ご恩尊や南無阿弥陀仏…




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詩(光と闇)

2008年05月11日 | Weblog
絶望のまん中に
希望があるように
地獄のまん中に
お浄土がある
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外面(そとづら)

2008年05月08日 | Weblog

先日、千代田線に乗っている時、
異臭が漂って来た。ン・ウン…?
この臭いは「オナラ」の臭い!

あたりを見回しても皆素知らぬ顔で平然としている。

我慢していても、自然に出るものはしょうがないけど…
それにしても電車内での初めての経験!

その時、思わず「賢善精進現ぜしむ」というお聖教の言葉。
誰だか知らないけれど、周りは紳士淑女ばかりなり?


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