住職の独り言

~ご縁に触れて~

詩「湖面に…」

2009年08月31日 | Weblog
『湖面に映る月』

きれいな時もあるよ
おだやかな時もあるよ
ゆれる時もあるよ
映らない時もあるよ
たたきつけられる時もあるよ

でも月はいつも照らしてる
湖面は私
月は阿弥陀さま

   (惠)
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北海道開拓布教

2009年08月30日 | Weblog
北海道開拓伝道は、
明治2年に真宗大谷派は徳川家の恩顧(おんこ)蒙り開拓伝道に着手。

時を同じく本願寺派でも開拓伝道を試みたが、
幕府からの許可が許されず、
大谷派だけの伝道の地であったという。

大谷派に遅れること13年、
本願寺派の開拓伝道が始まる。

未開の地であった北海道へは、
全国各地より大きな夢を抱いて住民が移り住んだ。
北海道に広島・伏見…等々の地名の付いているのはその名残である。

今回幹事をして下さった岩見沢のKさんのおじいさんは、
島根県邑智郡桜江町の出身で、
養子として北海道へ来られた事が判明!
…私の田舎の寺のすぐ近くではありませんか…

昔を尋ねて行くと人もお寺の関係も繋がっているんだよね。
狭い世界だ!

~歎異抄~
「一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。」
とあるけど知ってみれば実感します。
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同窓会その3

2009年08月29日 | Weblog
北海道研修同窓会も最後の日になりました。

大谷派札幌別院を参拝。
札幌別院は大谷派の別院の中でも三本の指に入る大別院であります。

5年前に25億円かけて本堂等の古い建物は改修。
別院・教務所・会館等は充実設備で新設されました。

ご輪番に大谷派における北海道開拓の歴史や、
別院の活動等々のお話を頂き、
会館・納骨堂を案内され説明を受ける。

…でも、これだけの設備を有効利用し
管理運営するのは大変だろうなァ…

そうこうしている間にお昼の時間も過ぎ、
急ぎ新千歳空港へ、
千歳→羽田間の飛行機便は1時間おきに飛んでいるから、
チケットはその時取ればいいやと安易に考えていたが、
ところが全便満席!
やっとの思いで潜り込んで無事に帰ってきました。
…よく考えたら金曜日なんだよね…失敗したよ!
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同窓会その2

2009年08月28日 | Weblog
北海道の日の出は、松戸より30分早い。
6時30分に朝食会場へ行ったらもう一杯だ。
この時期は観光客が多い。

私達は朝から小樽の本願寺小樽別院へ参拝。
本堂は横15軒・奥行き17軒あり立派本堂だ。
ここのT輪番は氏が東京教務所長時代に天真寺へ講師として来て頂いたこともあり色々お話をたまわった。

その後、小樽散策…北海道開拓村で開拓の歴史を尋ね、
…大倉山ジャンプ競技場へ行ったけど寒い寒い…東京の気温が30℃なのに大倉山は17℃さすが北海道!!

夕食にジンギスカン(羊肉)を頂いた後、飲み組は街へ…私は就寝組で早々とホテルへ帰り寝ました。
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伝道院同窓会

2009年08月27日 | Weblog
本願寺の布教使養成機関である、
伝道院住職課程の同窓会で昨日から北海道に来ています。

今から28年前、京都の伝道院で100日間衣食住を共にした仲間であります。
同窓会は毎年、九州・広島・京都・東京…全国各地で開催されます。
当時は44名在籍していましたが、今年の参加者は10名。

私もここ何年か欠席しているので久しぶりの参加です。

本願寺札幌別院で北海道開拓伝道の歴史や別院の沿線についてお話を聞く。
懇親会では28年前にタイムスリップして話が弾む。二次会・三次会…しかし皆さんバイタリティーがあるよね…12時就寝!
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御法楽詠進歌募集

2009年08月26日 | Weblog
平成22年の「御正忌報恩講御法楽詠進歌」を募集している。

【募集要項】

題  御堂(みどう)
締切 平成21年10月31日(必着)

○詠進歌は短冊を使用し一人2首まで。
○表は詠進歌のみとし、必ずフリガナを記す。
○裏に住所・氏名(フリガナ)を記す。
○短冊は送付に便利なものを用いてもよい。
○内容は、単なる叙景や身辺雑歌ではなく、
法味愛楽の歌であり、法の讃嘆や親鸞聖人にかかわりのあるもの。
○送付に際して、詠進歌であることを明示する。

送付先
〒600-8501
京都市下京区堀川通花屋町下ル
本願寺派宗務所内・参拝志納部
電話 075-371-5181

以上本願寺新報より抜粋

ちなみに昨年の題は「草の花」でありました。
昨年の入選作を参考にして、チャレンジしてみては…
○生かされて我は名もなき草の花 六字の御名に抱かれて咲く
○誰が供へし草の花咲く野佛の 慈光の中に合す両の手
○幼児の手向けし草の花咲きて 御堂に洩れる法のともし火
○名も知らぬ草の花にも命あり 弥陀の慈光をともにいただき
○八十路まで弥陀に抱かれ今日も又 草の花にも語りて歩む
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今は昔

2009年08月25日 | Weblog
残暑厳しき折になりました。
新緑の緑も色濃い緑に移り変わり、
もう秋ですね。

自分は変わらないと思っているけど、
月日は夢のように過ぎ
一夜明けて今日になれば、昨日は遠い昔
明日になれば、今日も昔…

連続の中に一瞬一瞬の今が、
水の流れのように過ぎゆく今。

まさに「蟪蛄(けいこ)春秋(しんじゅう)を知らず」で
セミは夏に生まれて夏に死んでいく。
春秋冬も知らず、はかなく一生を終える。

蓮如上人御一代聞書(155)に
(意訳)
世間の人は用事を終え、
暇な時間を作って仏法を聞こうとするが、
とんでもないことである。
仏法は世間の用事を差し置いて聞きなさい。
仏法に、明日ということがあってはならない。

と戒められます。
…お互い心したいものであります。
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天真寺ビアガーデン

2009年08月24日 | Weblog
天真寺日記(http://blog.goo.ne.jp/tenshinji/)を見ていたら、
天真寺ふれあい農園のテント小屋が「天真寺ビアガーデン」と命名されていた。

昨日も雅楽教室の後、
納涼会を口実に11時頃迄オープンしていたようだが…?

しかし若い人は、よく食べ、よく飲み、よく喋る。
でもこうしてお酒を飲みながら話すことはいいことだ!

蓮如上人の御一代聞書(196)に、
(意訳)
「…お聖教のことや仏法について語り合う場では、喋らないのは大きな誤りである。み教えについて心の中をすべて打ち明け、互いに、信心を得ているか、いないかについて語らねければならない。」

でも私は朝は強いんだけど…
夜になると元気も消失し…疲れたので途中で退散しました。
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無垢(むく)

2009年08月23日 | Weblog
今日の日曜礼拝は、
雅楽教室の講師としてお世話になっているHさんの調声。
法話は次男のDくんが法話をした。

Dくんはただ今、京都で勉強中の身であるが、
昨年から大阪の尼崎のお寺へお盆参りのお手伝いに行っている。
今日は、その体験談を取り入れての法話でした。

お寺の世界ではまだ無垢?な状態なので、
皆さん新鮮な感じがしたのか喜んで下さった。
なかには拍手した人もおられたけど…

無垢の垢は「あか・よごれ・けがれ・煩悩」の意味だから、
無垢とは「煩悩を離れて穢れのない」ことであります。

私たちも「このネックレスは無垢ですか?」とか、
無垢な瞳・純真無垢等々使う。

また白無垢(しろむく)というのがある、表裏を同質同色で仕立てた着物。
よく結婚式なんかで用いられる。

無垢の本来の意味は、仏さまや仏さまの世界を表す言葉であります。

~願生偈~
安楽国は清浄にして、つねに無垢の輪を転ず、
化仏・菩薩の日、須弥の住持するがごとし。
無垢荘厳の光、一念および一時に、
あまねく諸仏の会を照らし、もろもろの群生を利益す。
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奇跡の贈り物

2009年08月22日 | Weblog
ふと思ったんだけど、
仏教は有り難く生きて、
有り難く死んでいける道を教えて下さる。

でも、なかなか有り難く思えないんだよね…

不平不満で愚痴になり、
チョットした出来事で腹が立ち、
欲張り心は人一倍!

若田光一さんが宇宙から帰還した時、
「シャトルのハッチが開くと、草の香りが入ってきて、やさしく地球に迎えられた」
という想いを話されていた。

ある女性の詩に、

苦しみに 心痛む日もあるよ
悲しみに 心塞ぐ日もあるよ
今地球に在ればこそ…
可憐な花に 心惹かれる日もあるよ
そしてまた人を想い 涙する時もある…
今地球に在ればこそ…
それはすべて素晴しい
素晴しい奇跡の贈り物

と詩っておられた。

愚かな私であっても阿弥陀様は見捨てることなく、
愚かな私のまま無条件で抱きとって下さる。
有り難いことよ!

~正信偈~
極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のなかにあれども、
煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつ
ねにわれを照らしたまふといへり。
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