大学時代からの友人、
岩手県のJ寺さんが法務で東京に来るという。
30日昼過ぎに終わるから「会おうよ!」とのお誘い。
私はいつも友人が来ると、
東京で飲み食いしても値段ばかり高いので、
温泉へ行って一泊二食付で泊まった方がよっぽど安価で精神的にもいいので、
近くの温泉へ行くことにしている。
ゴールデンウイーク中だったけど…
何とか予約も取れました。
…こういう機会でもないと温泉にも行けないからねェ…
これから行って来ま~す。
大学時代からの友人、
岩手県のJ寺さんが法務で東京に来るという。
30日昼過ぎに終わるから「会おうよ!」とのお誘い。
私はいつも友人が来ると、
東京で飲み食いしても値段ばかり高いので、
温泉へ行って一泊二食付で泊まった方がよっぽど安価で精神的にもいいので、
近くの温泉へ行くことにしている。
ゴールデンウイーク中だったけど…
何とか予約も取れました。
…こういう機会でもないと温泉にも行けないからねェ…
これから行って来ま~す。
不謹慎と思われるかもしれないけど、
私は通夜の前に眠くなり“あくび”が出ることが多々ある。
でも、通夜が終わるとスッキリして、
眠たくなることも“あくび”も出ないんだよね。
私だけなのかなァ…
“あくび”は脳が酸欠状態の時にでるというから、
自分でも気がつかないけどやっぱり緊張しているんだろうね。
身体は正直だ。
私はアラカンです。
アラカンというと「阿羅漢」(あらかん)を思い出す。
辞書には
阿羅漢…尊敬されるべき人。拝まれるべき人。修行を完成し煩悩を脱した聖者。…示される。
でも、私の言う「アラカン」は「阿羅漢」の方ではありません。
「アラカン」は「Around還暦(アラウンドかんれき)」の略で
還暦前後(60歳前後)を指した言葉。
お恥ずかしながら「阿羅漢」にはなれないけど、
今、私は「アラカン」です。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」(良寛さん)
誰でも一つ二つ
人に知られたくない「うら」の部分があるのでは…?
人に知られたくない自らの闇の部分(うらを見せ)を
告白して私に信心お大切さを教えて下さったのが親鸞聖人であります。
親鸞聖人の著作にはいたる所に自身の闇の部分を表白される
偽りだらけの私
賢く偉そうに見せる私
天に恥じる心のない私
お浄土へ行きたいとも思わない私
地位や名誉を求める私 …
そんな私をお救い下さる
「阿弥陀如来のご本願のかたじけなさよ」
南無阿弥陀仏
お寺の隣が工務店の作業場だったんだけど、
取り壊して住宅展示場にすると言う。
そこには未使用の材木とか色々ガラクタが沢山あるんだけど
全て廃棄処分にすると言うので、
仏壮のOさんKさんと一緒に木材を頂くことにした。
昨日は木材運搬という慣れない力仕事をしたもんだから
今日は身体が痛い。
頂いた木材で「ふれあい農園」の中に何を作るか…?
ふれあい農園は大人の遊び場となりつつある。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」は、
良寛さんの詩ですが、
「うらを見せ おもてを見せて」とは全てを見せること、
人間なかなか裏は見せたくないものだ。
よく見せたい、いい人に見せたい、
病気になり下の世話まで人に世話をして貰わなくてはならない時も来る。
色々あると思うけど…
まァ…いいカッコせず、
ありがとうございます。
お世話掛けますと…
構えないで素直に生きて行きましょう!
春になり
お寺のふれあい農園のメンバーによって活動がスタート!
畑を耕し…やわらかな土を作り…種をまく
そういえばダイコンは動はいているんだってね
日の出から日没まで時計回りにネジのように回りながら土に入っていく
だから、抜く時は西から東へ回すようにすると楽に抜けるそうだ
やわらかな土って大切なんだよね
心もやわらかくありたい
昨日は岩盤浴へ行って来た。
岩盤に身を委ねる
身体の全ての力を抜き
心を無にし 煩悩もおこらない
ホンワカ温かく
宇宙(自然)と一体になる
私は宇宙そのもの!
仏さまの「おさとりの世界」ってこんな感じかなァ…
…岩盤浴に入りながらこんなこと考えているですよ!
浄土真宗には「お育て」という言葉がある。
教育でもなく、しつけでもなく
お育て…自分では気づかなかったけど、
振り返ってみれば、
あれもこれもすべて
「阿弥陀さまのお育て」だった。
古代ギリシャの七賢のひとりタレスは、
何が一番難しいことかと聞かれた時
「自分を知ること」と言われたそうだ。
では一番易しいことはと聞かれ
「他人に忠告すること」と答えたという。
自分のことは自分が一番よく知っている。
よく聞く言葉だけど…
自分の背中を自身の目では見えない。
心となると…なおさらである。
教法は鏡であると言われる。
み教えを通して自身の心を知らされる。
親鸞聖人は自身の心を「ヘビかサソリ」のようだ!
と自身で言われているが、
まさに仏さまの智慧に照らし出された
自身の心の姿でありましょう。
ご自身の心情まで表白し、
そんな私たちが救われる道は
仏さまの光に出遇う(信心)ことが
私の救われる道であると
親鸞聖人はおすすめ下さる。