King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

鍵の憂鬱

2023年06月30日 14時44分01秒 | 日々のこと
蒸し暑く雨が降ったりやんだりしています。そんな中これまたポツポツといらっしゃるお客様に豆を売りその隙間にずっと懸案だったヘルメット用の鍵のダイヤル錠の数字3桁を忘れてしまいあかなくなって使えなくなったやつを片端から数字を当たるという拷問のような作業をしました。小さくて操作しずらいものの真ん中を最後にして一番上を常時回し、一番下を一つづまわすという作業で開けることができました。つまり、同様に番号を知らない他人も解錠できるので鍵としての機能はたいしてないことになります。10数分あれば全ての番号に当たれます。自転車の鍵は5桁になっていましたが、このヘルメット用がすぐ番号を忘れて使えなくなり、自転車用はダイヤルロックでなく鍵で開けるタイプにしました。でも、今回開けられてやっと使えるようになったという喜びも実は使い物にならないんじゃないかという気も改めてしてきて自転車も止める度施錠する煩わしさは出掛ける度強くなり、おいそれと気軽に出掛けられない感じもしてきています。コンビニなんかだとヘルメットは被ったままで買い物しちゃうし小さな店だと店から見えるとこだとそのまま止めてしまうし、そんななれから盗難は発生するのかもしれません。鍵が開いてよかったという気もちのまま、また忘れぬように番号を携帯保存するのでした。説明書にも携帯で撮影しておけとかかれていたようなきがします。
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そば屋と定版珈琲

2023年06月30日 11時13分29秒 | 珈琲
最近は晴れれば真夏以上の暑さと突然の雨と雷雨という激しい気候です。
せめてうちではさっぱり爽やかに過ごしたいものです。
コロンビアエキゾチックハニーは熱い珈琲なのに冷たいオレンジジュースを飲んでいるかのような不思議な感覚の真夏にもホットで飲める珈琲です。
真夏のお客様に出してビックリ爽やかになって貰いたいと準備したい豆です。ちょっと高いですけど世界ではこんなことになっていると新しい嫌気発酵の豆を試していただきたいと思います。
さて、前回に続き珈琲の定版の話です。
そば屋さんの店内に行くと大きな石臼が回っているのを見かけます。工場で製粉されるのは石臼ではなく鋼鉄のミルです。ですからわざわざ店内で石臼を展示してこだわりを主張しているのですが、なぜかコーヒー屋では炭火は強調されても石臼を使ってるとかセラミックで挽いていることを強調している店はありません。しかし、ご自宅でポーレックスのミルを使ってみると鋳物のミルとの差は歴然です。ですがそこまでやってきて、さらに解ってきてもどうしても出せない味というのも存在するのです。
オーソドックスで何も足さない単純なことなのに個人のお宅では太刀打ちできない定版の味。それが老舗繁盛店の珈琲です。今でも名古屋のモーニング店の珈琲は一辺に50人分を大きなネルでバケツのようなホーローのビーカーに落とします。これはどんな機械の一杯出しのものにも負けない最強の淹れ方です。一時に100人も訪れる繁盛店でないとできない淹れ方で個人では再現不能な味です。まあ、50人前飲むなら別ですが。
一杯づつだとネルドリップだと冷めてしまいたっぷりと豆を使って淹れても味は落ちます。ところが50杯だしだと豆は80パーセントで良く節約でき温度も下がりません。
まず、こういうお店の定番の味の話をしてもどの店のコーヒーの味という話をしてもそれをイメージして持っている人は少ないのに驚かされます。
それよりは美味しいコーヒーを求めて自分は毎月どこどこの豆を買いに行くという話は良く聞きます。さてそれではそのどこどこの豆は何が他と違うのですかと聞くと途端に詰まってしまうのです。
私には今の季節灼熱の太陽とひまわりの季節には噴水自動販売機のジュースが頭に浮かびます。中身は色付きの砂糖水にすぎないのも知っています。しかし、それは砂漠に現れたオアシスような神々しさを持ったイメージで私には夏の心象風景として浮かぶのです。それと割烹料理屋や料亭の入り口には必ずあった鰻の生け簀。そんな定版の風景と共に昔の繁盛店の喫茶店は円形のカウンターのまんなかに原子炉のような湯沸し器のタワーがあり、そこから次々に50人分のビーカーにコーヒーが落とされていった光景が浮かぶのです。昔はその珈琲を飲むために店に必ず出掛けて一日が始まったのです。そういう店は歌にもなりました。イノダに行かなくちゃ。時代が進み味はかろんじられるようになりましたが、まだ50人前をネルで落とす店はなくなりません。それを飲むために出掛けてもいいと思います。
まあ斯様に鮮烈な記憶はだれにでもあるわけですが、それが味として残っている人は少ない感じです。タンポポというラーメンの映画でも死ぬ前にあのラーメンの味が味わいたいと富豪になった老人が死の間際の願いとしてあの味を探すというのがありました。世の中にはどこどこのなんの味と言葉にしただけで通じるものもあったり、その人だけの心象風景中だけのものだったりと複雑です。しかし、珈琲であそこのあの味という話をする人は少ないのです。それだけ定版の味が広まってないというか認知されてないのは残念です。
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