昨日の夜から日本の被団協のノーベル平和賞受賞のニュースが繰り返し伝えられています。
最近このようにひとつのニュースばかり繰り返し1時間も同じ人が同じことをいうニュースが多い印象です。
津波とか大雨とか画面が狭くなりずっと同じことをいわれている全くニュースの意味のないニュースなのです。
ネットではまったく違ったことが話題になっていたり、韓国の作家のノーベル賞ではノーベル賞は左派が好きだとか日本にまた反日攻撃が来ると予測していたりテレビの世界とは違うものとなっています。
選挙のこともテレビでは野党が首相は論戦から逃げて早期解散をしたと批判をしていますが、自らその存在感のなさをアピールしているようにしか見えずまともなことをいっている党首も見当たらず何も期待できずといった感じです。もとより政権を担える二大政党を日本も目指すべきといわれていましたがかつて社会党がその担い手とされ政権をとってからとたんに弱体化し党勢をなくしたようにその後の新党にも次を担う人は現れてないのです。
そもそもAIが発展したら政治家もその存在価値がなくなるのではないかと思われます。
とかく効率とか成果が問われる現代で人と人が作り出すものが重要になっていくのではないでしょうか。
今朝もエスプレッソレディの多彩な顔の見えるなか色々と思いも巡る朝でした。
夏から秋への猛烈な季節の切り替わりを今年は感じ、体調の悪化などもあり、今まで信じ自分の基本としていたことも意外と脆く体調の変化とともに自分を形作るものも信念とするところも基本は傷つきやすく脆いものと思い知ったりしました。
そんなとき珈琲に癒されいつもほっとしたひとときが約束される豊かなひとときがあるという安心と味の広がりにまた次の活力があると思える魅力にまた元気付けられ日々変わっても変わらないものを感じます。
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