朝の新聞でノーベル賞文学賞に韓国の女性作家が受賞とあり、目を疑うようなニュースに最初は疑うも、ありそうではあるなと思いました。
韓国はノーベル賞受賞者が今まで一人と世界から認められない象徴のようにいわれその評価に韓国国民が異常反応するという歴史がありました。
文学賞の場合選考委員のスキャンダルとか他文化の尊重というのは自己弁護のような後ろめたさが付きまとい本当の世界的文学の可能性とか人類を代表するような知性とか人類の宝のような作品とか先進性革新性とかとは違った今回の受賞のようなイメージです。
まあとかくアフリカや東アジアの文学が受賞すると過去の清算のような取りこぼしの処置というか世界の公平性を示した格好なのかといった見方の方が強い感じですが、これはまだ私は作品を読んでませんし文体とか共感がテーマといったまだ世界が驚いたとか気がついたとかいう新しい知見じゃないような印象です。
ともあれ韓国でも受賞できたんだという驚きの方が強く、これは何でなんだということとテレビでは朝のニュースにもでなかったし全く触れられないのはどういうことなのかと思います。
そんなニュースの需要が正しく伝えるべきこともなんか歪んでしまっている印象も与えて、朝の久しぶりに感じる太陽の光にも秋らしい陽気にも、何となく白々しい金木犀も薫るのをやめ、秋の味覚は色々とこれからも豊穣を感じさせてくれるなか昨日までの雨続きから抜け出したほっとした感じと朝の珈琲がリンクして本来の清々しい気分をじわじわと味わっているのでした。
今朝の珈琲はまたブラジルのエスプレッソレディです。
ブラジルの素晴らしい味のものはカルデモミナスやダテーラサンライズやカクエンジといくらでもあるのにしばらくはこれでいいかなという感じ。
秋は読書とか夜長とか珈琲に合いますね。
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